(12)


油断した。

容赦ない一撃だった。

まさに火花が散ったとはこういうことか。

呆然とカカシは思った。ぶれた視界がチカチカとして、左頬からは噴出すような熱を感じた。痺れるような痛みも。
一瞬何が起こったのか分からなかった。ようやくイルカが殴ったのだという事実に気づいた時には、イルカは身繕いをして立ち去ろうとしているところだった。カカシは沸沸と煮え滾る怒りを感じた。

「あんた、俺にこんなことして只で済むと思ってんの?」語気も鋭くイルカに詰寄ると、イルカがゆっくりと振り向いた。

その顔には確固たる強い意思が漲っていた。

「これ以上何をするっていうんです?もうこんなことは止めてください。俺はこんなことでは傷つかない....あんたは俺を傷つけたいんでしょう?」だったらこんなこと、無駄です。

イルカの言葉にカカシは意地の悪い笑みを浮かべた。

「無駄?何が無駄?俺は楽しいけどね。あんたが苦痛に顔を歪ませながら、腰を振る様は...」

「そうですか?俺にはそうは見えません。」カカシの言葉を遮って、イルカがキッパリと言った。

「こんなことをしても憎しみは晴れない。違いますか?その証拠にあんたはいつも浮かない顔をしている。あんたの気が晴れるんならそれでもいいと思っていたけど....間違っていました。俺はもうこういう関係を続けるつもりはありません。でもあんたの苦しみを放って置けない。あんたの気の済む方法があるなら言ってください。あんたは俺をどうしたいんですか?」

イルカの曇りの無い瞳がカカシを射貫いた。二人の間に沈黙が落ちた。

畳み掛けるようなイルカの言葉に、カカシは怒りを忘れる程混乱していた。

どうしたいって。そんなの決まっている。
俺の憎しみが枯れるまで。イルカを踏み躙ってやりたい。
その顔から笑顔を奪うほど、泣かせて、絶望させて。それから。
それから....?

カカシが返事をしないでいると、どう思ったのかイルカがフッと顔を緩めた。哀しそうな笑顔だった。

「あんたが死ねと言うなら....死んでもいいです。」

イルカがポツリと洩らした言葉に、カカシは自分でも吃驚するほど衝撃を受けた。イルカが死んでしまったら憎しみをぶつける対象が無くなってしまうではないか。昇華されない憎しみは何処へ行くというのか。それともイルカの死と共にこの憎しみは消え去るものなのか。イルカが憎い。今でもその気持ちは変わらない。だが、その死を願ったことは唯の1度もなかった。その不自然さに気付き、カカシは愕然とした。甚振りたかったからだ、死より辛い責苦を味あわせたかったからだ、とカカシは自分を納得させようとしたが、自分の奥底で何かがジクリと痛んだ。

「あんたは....」カカシは我知らず口を開いていた。

「あんたは何でそんなことまで言えるんだ....幾ら俺を好きだといっても、非道いことしかされてないのに。どうして命まで差し出そうとするんだ?」その声は無様に掠れていた。

何でそこまで。

イルカは柔らかく顔を綻ばせた。

何でそこまですんの。以前もカカシに言われた言葉だ。

あんた、馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、本当に馬鹿だねぇ。
自分が何を拾ったのか、分かっちゃいない。よく確かめないで拾うもんじゃないよ。
捨て置かれてるには理由があるんだから。
そんなガラクタを宝物にするなんて、あんたおかしいよ。

その後も馬鹿だ馬鹿だと連呼するカカシにイルカは怒鳴った。

あんたこそ馬鹿だ。
他の人にとってガラクタでも、俺にとっては価値あるものなんだ!
俺に言わせれば、その真価も分からず捨て置く奴が馬鹿なんだ!
だから今日俺は得した気分だ、いいものを拾ったんだから。

息巻くイルカに、カカシは呆気に取られながらも、肩を揺らしてクククと笑った。

そこが馬鹿だって言ってるんだよ...




「...一番大切な宝物だから。」

イルカの言葉にカカシは瞠目した。大切な宝物。その言葉は確かにカカシの耳に届いているのに、カカシにはその意味がわからなかった。何が宝物だって?カカシは懸命に頭を働かせたが、自分で答えを出せそうに無かった。どういう意味なのかカカシがイルカに問い質そうと口を開きかけた時、カカシせんせー!とカカシを探す声と共に茂みをがさがさと掻き分ける音が聞こえた。子供達だった。
会話に気を取られて気配に気付かなかったカカシは、ハッとしてイルカから注意がそれた。一瞬の間だった。
カカシが視線を戻した時にはイルカの姿は消えていた。

「あーーーっ!カカシ先生みっけー!何してたんだってばよ!?」茂みからピョコンと黄色い頭の少年が顔を出した。

なあなあ、カカシ先生?どうしたんだってばよう?

反応の無いカカシにナルトが纏わりつく。だがカカシはナルトに答える事も出来ずに、暫くの間立ち尽くしていた。




続く