「歌を歌おう」連載第4回

「うぅっ、冷え込んできたなあ。もう12月だもんなぁ。」

イルカは鼻の頭を赤くしながら、乳白色に染まった夜明けの道を歩く。途中土を持ち上げる霜柱をわざと靴底で踏みつけて、キュッキュッと軽快な音を楽しみながら進む。早朝の散歩はイルカの日課だった。その足の赴く先はその日の気分によって様々だ。一日が始まり出す前の、まだ静かな眠りに就いている街を抜けて、眺望のいい高台に登ってみたり、耳に心地良い鳥のさえずりに溢れる森に出向いたりした。
それはイルカが一日のうちで最も大好きな時間だった。昇り始めた太陽の光が、全ての息吹を優しく揺り起こすこの時間が。イルカにとって朝は希望に満ちていた。

「今日は特別清々しい、いい朝だな。」空気が澄んでいる、とイルカは嬉しそうに独りごちた。

両親を失ってからというもの、暗い夜に膝を抱え、もう立ちあがれないと思った時もあった。それでも朝は必ずやってきて、絶望と悲しみに頬を濡らすイルカを暖かく照らした。まるで降り注ぐ太陽の光が、お前は一人ではないよ、と慰めてくれているような感覚。何時の間にかイルカは朝日に誘われるようにして、外を出歩くようになった。太陽がくれるぬくもりを求めて。そうしているうちに、イルカはようやくかつて火影に言われた言葉の意味が分かったのだった。

お前は独りではない。火の意思を持っておる限り、この里に居る者は全て家族そのものじゃ。

太陽が自分を優しく照らすように、木の葉を優しく照らす火が自分を包んでくれていたことに。

それに気付くまで時間がかかったよなあ。

イルカは苦笑しながら、今日は慰霊碑にまで足を伸ばしてみようと思っていた。こんなに特別に気持ちのいい朝は、両親に向かって語りかけたくなるのだ。俺は大丈夫、元気でやっているよ、と。両親を思う時の心の痛みは決して無くなることはないけれど、それに溺れて自分を見失うことはなくなっていた。
慰霊碑に向かって迷うことなく踏み出すイルカの足元を、柔らかな朝の光りが優しく照らしていた。
イルカがようやく慰霊碑の近くまで辿り着くと、驚いたことに既に慰霊碑の前に先客がいるのが見えた。

俺以外に、こんなに早くから来る人がいるなんて。

そして近付くにつれハッキリとするその姿に、イルカはドキリとした。知っている姿だった。銀髪にすらりとした長身、猫背気味の背中に顔を覆う口布。昨日挨拶を交したばかりの、ナルトの担当教官。

「カカシ先生...」

イルカは思わず声に出してしまってから深く後悔した。
カカシは誰にも会いたくなかったから、この時間をわざわざ選んで慰霊碑を訪れていたに違いない。
それを証明するように、咄嗟に振り向いたカカシの顔が、隠しきれなかった深い悲しみに揺れていた。


迂闊だった。こんな時間には誰も来ないと思って、気が緩んでいた。こんなに近付くまで気がつかないなんて。

カカシは心中舌打ちしながら、己の不甲斐無さを呪った。しかも突然現れた来訪者はカカシが最も嫌悪している人物だった。

なんだってこんな時間に、こいつがここにいるんだ?

カカシは苛々していた。早朝のこの時間、カカシは何時も慰霊碑を訪れていた。過去の愚かな自分を戒め、誓いを新たにするために。再び見えぬ愛すべき人々の姿を思い浮かべながら。それは一日を始める為の、カカシの神聖ともいえる大切な時間だった。その領域をイルカが侵した。

今日は厄日だな。

カカシが露骨に厭わしげな視線をイルカに投げかけると、何故かイルカは「も、申し訳ありません、カカシ先生」と謝ってきた。返事をするのも億劫でカカシは黙ったままでいた。イルカの出現によってカカシの気分は酷く削がれていたので、もうお開きにして立ち去るつもりだった。カカシがその場を離れようと身を翻した瞬間、イルカがカカシの腕を掴んで引き止めた。

「あの...俺が帰ります。カカシ先生の邪魔をしてしまってすみません。」

イルカの必死な様子にカカシの苛立ちは益々募った。しかし、カカシが不快の念をその表情に顕にするほど、イルカの引き止める手には力が込められた。

「俺も昔、慰霊碑の前によく座りこんでました。...時間が経つのも忘れて。ずっと、泣いてました。慰霊碑に刻まれた...両親のことを思って...誰にも邪魔されずに泣きたいって思ってました、その時。誰も俺が泣いてるのを見咎めないようにって。だから、あの...すみませんでした。」

カカシはイルカの言葉に瞠目した。今イルカは何と言ったのか。この俺に向かって。まるで俺が自分と同じだと言わんばかりじゃないか。だらだら泣いて馬鹿面を晒していた男と俺が、同じだなどと。カカシは例え様のない怒りが沸沸と湧き上がるのを感じた。なんと見当違いなことを。

イルカはカカシの怒りの在処を勘違いしていた。だから、それを宥めようと更に重ねた言葉が致命的なものだと気付かなかった。

「カカシ先生の気持ち、俺にも分かります...」

その瞬間、カカシの頭にカッと血が上った。理性が働くよりも早く、突き上げる衝動がカカシの体を動かしていた。気がついた時には風を切る勢いで繰り出されたカカシの右手がイルカの鳩尾にめり込んでいた。みしりと肋骨が軋む嫌な音がした。何本かいったかもしれないな。カカシはそう思いながらも、力を緩めることはなかった。後方に体を吹き飛ばされたイルカは地面に体を叩きつけられて苦しげな呻き声を上げた。

「あんたに俺の何がわかるって...?あんた自分が何言ってるのか、分かってんの?」

分かるはずがない。
俺がどんな思いでここまで生きてきたのか。
俺がどんな思いで慰霊碑の前で誓いを立てているのか。
皆が悲しみで立ち止まっていた時、走り続けていた俺の気持ちを。
あんたなんかに分かってたまるか。

カカシの剣幕にイルカは何かを答えようと口を開くのだが、出てくるのはゴホゴホという苦しげな咳ばかりだった。

いい気味。

カカシがイルカのそんな様子に満足して今度こそ帰ろうと背中を向けた時、イルカが小さく呟くのが聞こえた。それは独り言のように小さく、実際イルカは独り言のつもりで言ったのかもしれなかった。だが、その言葉はカカシの耳にハッキリと聞こえた。

泣きたいのかと思って。
だって今にも泣き出しそうな顔をしてたから。

その言葉に憤りを感じるよりも前に正体の分からぬ感情の波が押し寄せてきて、カカシの心を振り子のように大きく揺らした。

泣きたいのかと思って。

そんな馬鹿な。

泣き出しそうな顔をしてたから。

嘘だ。

嘘だ。

違う。

俺は誓ったんだ。
俺は弱くない。

俺は。

カカシは思わず振りかえってイルカを見遣った。イルカの瞳が怯えたように揺れていた。また何かカカシの不興を買うようなことをしてしまったのかと戸惑っているようだった。
その様子にカカシは苛立ちと、罪悪感と、様々な感情が押し寄せてきてなんだか分からなくなった。
どうしてなのだろう、と思う。どうしてイルカの振る舞いは、一々俺の心をこんなに激しく波立たせるのか。
任務では冷静沈着な自分が、こんなにも感情的な人間だったとは本当に驚く。

もう本当、俺の目の前から消えて欲しい。

カカシは心の中でそう呟くと、イルカから逃げるようにしてその場から去った。


つづく

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