「歌を歌おう」連載第3回

うわ、最悪。

ぺこりと下げられた頭の上で括られた髪がゆらゆらと揺れる様を、カカシは呆けたように見つめながら内心独りごちた。

今日カカシは久し振りに受付所に足を運んでいた。大抵は他のものに使い走りさせるか、ついでを頼むか。あまり自分で任務報告を提出したことは無かった。それに難易度と機密性が高い任務が殆どだったので、そういう時は直に火影が預かってくれたりしたのだ。ただ今回ばかりはちょっと違った。この度カカシは下忍の担当教官になったのだ。合格者を出したのは初めてだった。餓鬼のお守が面倒ということもあったが、なかなか眼鏡に適う逸材に巡り合うことがなかったからだ。何せ初めてのことなのでカカシも勝手が分からず、そのための任務書類ばかりは自分で取りに行かねばならなかった。その時受付所に座る見知らぬ男に声をかけられたのだ。それがイルカだった。

できればこのままずっと、会いたくなかった相手に会ってしまった。俺の過去の汚点。侮っていた少年に情けなくも助けられたという事実。
不幸中の幸いなのは、イルカがあの時助けた男が俺だとは気付いてないことだ。いや、ひょっとするとそのこと事体忘れているのかもしれないが。まさか、あの少年が忍だとは思ってもみなかった。あんな大泣きをしていた、弱っちい少年が。
年齢から考えると、10年前のあの時も下忍かもしくは中忍だったはずだ。
それなのに、あんな馬鹿面晒して、隙だらけで。頑是無い子供のように泣いて。

カカシは堪らない苛立ちのようなものを感じた。

こんな奴ばかりだから、九尾の事件からの里の復興が遅れたのだ。

10年前の里の様子を思い出してカカシは顔を歪めた。何時までたっても悲しみから立ち直れない、弱くて愚かな人々。カカシにとって漠然としたものでしかなかったその苛立ちの対象は、一人で泣いていたイルカの姿を以って明確な形を成した。それはイルカにとっては不幸な巡り合わせだった。里の人々に対するカカシの苛立ちや憤怒を、一人で背負いこむことになったのだから。

宜しく、なんてそんな一端の口きいちゃって。泣いてたくせに。
あんたには泣き顔の方がお似合いだよ。

カカシは口の端を吊り上げて酷薄な笑みを浮かべた。歪んだ決意をその懐にコッソリと忍ばして。
その笑みを友好の印してと受け取ったイルカは、嬉しそうな顔をして話し始めた。

「あの...今回はナルト達を合格にしてくださって、ありがとうございます。お、俺嬉しくて...ナルトはあんな感じでいつも誤解されやすいんですけど、本当は頑張り屋で一生懸命な、いい奴なんです。ご迷惑をお掛けすることもあるかと思いますが、どうぞあいつを...ナルトを、宜しくお願いします!」

心底嬉しそうに顔を輝かせながら、イルカはまたペコリと頭を下げた。

その言葉にカカシの苛立ちは頂点に達した。歪んだ決意を早々に振り翳す。

「あんたねぇ、何勘違いしてんの?ナルト達が合格したのは別に俺のお蔭じゃなく、あいつらに力があったからでしょ?それとも何?俺が自分の気分で合否を決めてると思ってんの?冗談じゃない。」

目の前のイルカが大きく目を見開いたまま、顔色を失っていく。カカシはそれを目の端に認めて満足しながら、更に言葉を続けた。

「それにあんたにはもう関係無いでしょ?あいつらのことは俺が自分で判断する。いつまでも先生気取りでちょっかい出されても、迷惑なんですよ。」

静かな口調でありながら、その声音は大の男を震い上がらせるほどの怒気を孕んでいた。
そのあまりの迫力に、ざわついていた受付所は一瞬のうちにして静まりかえった。
皆の視線が一斉にイルカに集中する。その視線はイルカへの憐れみで満ちていた。

カカシの言葉にイルカは茫然と固まったままだったが、突然ハッと正気に返ると、今度は深深と頭を下げた。

「も、申し訳ありません...俺、そんなつもりじゃ...」

イルカはそこで言い淀んで、もう一度ハッキリと、申し訳ありません、と謝辞を述べた。その間頭はずっと下げられたままだった。

その姿を見ながら、カカシは自分の歪んだ考えを正当化するように、心の中で呟いた。

あんたがいけないんだ。
あんなところで泣いていた、あんたがいけない。あの日里で泣いていればよかったものを。
醜い泣き顔を晒した。隠すこともしないで。俺はそれを避けるために、あそこを訪れたというのに。
いけないのはあんただ。
あんたが俺を苛立たせるんだ。

カカシがもっと詰ってやろうと口を開きかけた時、邪魔が入った。

「もうその辺にしとけ、カカシ。何してやがる、ったく...面倒臭ぇ。」

カカシと同じ、下忍担当教官のアスマだった。アスマが口を挟んできたら、それは終りの合図だった。カカシはアスマとやりあってまで、この趣味の悪い茶番を続けるつもりは無かった。

「別に。この人が口の利き方知らないから、教えてあげてただけ。」カカシが短く言うと、へっとアスマは呆れたように笑った。

「口の利き方を知らねぇのはお前の方だろ、カカシ?何言ってやがる。イルカもすまなかったな、こいつは任務帰りで少々気が立ってるのよ。勘弁してやってくれ。」ほら、行くぞカカシ。

アスマはカカシの肩をぽんと叩くと、強引に受付所から連れ出した。

「任務帰りって何?行ってないでしょ、任務になんか。」引き摺られながらカカシが悔し紛れに口を尖らせた。

アスマはあぁ?と顔を顰めながら「そうだったか?知らねぇなあ。」とすっとぼけた。すっとぼけた口元が笑っていた。




「イルカ、気にすることはないぞ。あの人、変わり者で有名なんだから。」
「そうそう。かなり気難しいらしいぜ。」
「まあ、今日は運が悪かったと思って忘れちまえ。」

カカシが受付所を去った後、同僚やその場に居合わせた人から、イルカは暖かい慰めの言葉を沢山貰っていた。
しかし、それに関してイルカは困惑していた。皆が言うようにカカシが悪いとは思えなかった。

変わり者...かぁ。
そんな風には思わなかったな。でもまあ、少し胡散臭い人だなあとは思ったけど。
顔の半分以上を口布で隠し、左目の上には斜めにかけた額当て。唯一晒された右目は眠たげに半開きで、髪の毛はボサボサ。
忍者登録証の写真で見て知ってはいたが、実際目にするとその風貌の怪しさは例え様も無いほどだった。
だから、ふと。ふと、心配になってしまったのだ。
カカシが受付所に現れたら、ナルト達を合格にしてくれたお礼を言おうと待ち受けていたイルカだったが、いざその怪しい風貌を見たら「この人にナルトを任せて大丈夫なのかな」と心配になってしまったのだ。それであんなことを言ってしまった。

イルカは自分の発言を思い出して、はあーっと深い溜息をついた。悔恨の溜息だった。

確かに驚いたし、怒られたのはショックだったけど、あの人は間違ったことは言っていない。
下忍に受かったのは子供達の実力だし、自分はもうあの子達の担任でもなんでも無いんだから、あの人にとやかく言う権利は無いのだ。それを俺は。

そこまで考えてイルカはきゅっと口を固く結んだ。

俺が悪かったんだ。何の考えも無しにあんなことを。今度会ったら、もっときちんと謝ろう。

イルカはそう決心すると、顰めていた顔を緩ませて、ふうわりと笑みを浮かべた。


つづく

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