「歌を歌おう」連載第2回


少年の誰彼憚ることの無い泣き方に、カカシは呆れると同時に言い様の無い腹立たしさを覚えた。

そんなに泣きたいのなら、里で泣けばいいのだ。今日はその為の日なのだから。
今日だけはどんなに涙しても、誰もその理由を問わない。誰もそれを詰責しない。

それを何故こんなところで。

折角、胸糞悪い空気を避けてここまで来たというのに、とカカシは自嘲的な笑みを浮かべた。今日は最高についてない。

カカシは今まで泣いたことがなかった。泣きたいと思ったことはある。だが泣いても何も解決しないのだと思うと自然と涙が退いた。
人々は何故あんなにも簡単に泣き顔を晒すのだろうか。悲しみに酔った、その醜悪な顔を。
カカシにとって涙は自分の脆弱さと愚かさの象徴でしかなかった。
九尾の悲劇が里を襲った3年前も泣かなかった。全てを失ってしまった3年前でさえも。
悲しみに捕らわれ蹲っているよりも、前に足を踏み出す方がずっといい。カカシは自分を信じていた。

だからカカシは侮蔑のこもった眼差しで少年を見つめた。

泣くことで、全てが癒されるとでも思っているのだろうか。悲しみが薄らぐとでも?

浮かべた皮肉な笑みが苦痛で歪んだ。ぐらぐらと視界が揺れる。

こんなところで道草を食ってる場合じゃなかったのに...畜生...限界か...?

カカシは慌ててその場を離れようとしたが時既に遅く、急速に遠のく意識に力を失った体がぐらりと大きく傾いだ。カカシは光を失っていく瞳の中に、影のようなものが近付いてくるのが映ったような気がした。



この人、なんであんなところにいたんだろう。

イルカは目の前で死んだように眠る男をじっと見つめた。その男は眠りながらも傷が痛むのか、時々苦しげに眉根を寄せては呻き声を上げる
。男の額に滲む脂汗を拭ってあげようと、伸ばした自分の手が血で赤く汚れていることに気付いて、イルカは慌ててその手を引っ込めた。さっきこの男を手当てする時に汚れてしまったのだ。突然バタリと人が倒れるような物音がして、イルカがハッとして慌てて駆けつけてみると、本当に男が血を流しながら意識を失って倒れていた。イルカはあまりの驚きに自分も倒れてしまいそうだった。普段は違う。そんなことで驚いたりはしない。自分も下忍とはいえ、忍の端くれだ。血や死体やらに動揺するような柔な神経では忍としてやっていけない。
しかし、今日イルカは思い出していたのだ。失ってしまった両親のことを。
3年も前のことだというのに、その傷跡はまだ塞がることなく、じくじくと痛んでイルカを苛む。
だから、男の血だらけの体が転がっているのを見た時、両親の遺体と重なって見えたのだ。血まみれで冷たくなった、両親の遺体と。その男の瀕死の姿はイルカに当時のような悲しみと混乱をもたらした。

助けなくては、とイルカは心を乱されながらも強く思った。

助けなくては。

あの時は間に合わなかったけれど。今度こそは助けるんだ。

イルカは急いで男を抱えて小屋に辿り着くと、すぐさま小屋に常備してある救急用具を使って応急処置を施した。だが男は重傷で自分の施した処置だけでは心配だった。

里に戻って、医者を呼んでこなくちゃ。

今日1日里にいるのが嫌でを脱け出してきたというのに、イルカは最早そんなことはどうでもよくなっていた。
ただ、男を一人残していくのが躊躇われたが、自分がここにいても何も変わらない。

「医者を呼んできます。」

イルカは意識のない男に律儀にも断りをいれて、里へ向かって大急ぎで駆け出した。


3年前九尾の事件で両親を失ってから。長い間イルカはその悲しみの淵から脱け出せないでいた。
悲しみの後を付いて回る孤独が、幸せな過去を振り返ることをイルカに強要する。
気がつくといつも過去の閉ざされた時間の中にいた。自分がまだ両親の腕の中にあった、優しい時間に。
途中で途切れた未来へ続かない世界を、イルカは何回も何回も巻き戻した。
そんなことをしても、悲しみと孤独が増すばかりだというのに。

幸せなはずの想い出を何度巻き戻しても、幸せな気持ちは戻ってこなかった。

それに気がついた時、過去を振り返るのは止めようとイルカは決めたのだ。

悲しみも孤独も癒された訳ではなかったけれど。


だが、年に一度の慰霊祭の日はどうしようもなかった。里中が過去の悲しみに包まれるその日だけは。
その日だけはイルカ自身も思い出さずにいられなかった。失った両親のことを。過去の思い出を。
そして思い知るのだ。悲しみと孤独がまだ全然癒えていない自分を。思い出すともう駄目だった。
里の人々は悲しみに包まれながらも、皆それを癒してくれる手を持っていた。涙を流した後、優しく抱き締めてくれる手を皆もっているのだ。
悲しみを分かち合える人を持っているのだ。イルカの目には人々が安心して悲しみを享受しているようにも見えた。

皆、俺とは違うのだ。

居た堪れなかった。
何も持たない自分が。

だからこっそり里を脱け出した。
一人になりたかった。一人で泣きたかった。
とことん泣いてしまおうと思った。



あの男も一人で泣きに来たのだろうか。

イルカは里へと急ぐ途中、そんなことをふと思った。

あの男も癒えない悲しみと孤独を抱えているのではないだろうか。

馬鹿なことを、とイルカは自分の考えに首を横に振りながら、しかしその考えを拭い去ることができなかった。


カカシは忘れていなかった。
10年前の慰霊祭の日のことを。

あの日俺は大失態をやらかしたのだ。
大怪我をしていた俺は、無様にも道端で気を失ってしまった。
それだけならいいが、不本意にも助けられてしまったのだ。

自分が軽蔑した少年に。
醜悪な泣き顔を晒していた少年に。

意識の朦朧とする俺に、「医者を呼んできます」という声が聞こえた。
その声に薄く目を開けると、俺を覗きこむ黒い瞳と鼻の上を横に走る大きな傷跡が目に飛び込んで来た。
ぼんやりと意識の中に、しかしハッキリとそれは刻まれた。

次に目が覚めた時は病院のベッドの上で、俺を助けた少年の姿はなかった。
少年を目にしたのは、その時ただ一度きりだった。

だが、カカシは忘れていなかったのだ。



「はじめまして。アカデミーでナルトの担任をしていました、海野イルカといいます。宜しくお願いします。」

そう言って笑顔を浮かべた男の鼻の上に、あの時と同じ傷跡があった。



つづく

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