君に囁く


イルカ先生は不機嫌な顔をして黙り込んでばかりいる。
だから俺は必死で言葉を繋いでいく。

「イルカ先生、今日は良いお天気ですね。」
「季節もいいし。何処か遠出したいですね。」
「この窓から見える銀杏の木も、もうすっかり色を変えて。」
「俺の知らないうちに秋になっていたんですねえ。」

どうでもいいようなことばかりを休むことなく話し続ける。
イルカ先生をあやすように、優しく、囁くような声で。

それでもイルカ先生は曖昧な笑みを浮かべて頷くだけ。

こんな時はすぐにでも抱きしめて、その隙間を埋めてしまいたいけど、肝心の腕が今動かせない状態だ。
そう、俺はヘマをしてしまった。任務で重症を負ってしまったのだ。
意識が戻った時俺は病院のベッドの上にいて、半分死にかけていたことを知った。

本当にヘマをした。
イルカ先生に心配を掛けてしまった。イルカ先生が不機嫌なのは俺がヘマしたせいだろう。

イルカ先生は人を愛することにとても臆病な人だったので。
俺はゆっくりゆっくり時間を掛けて近づいた。もう逃げることのできない距離まで。
そしてようやく手に入れたのに、俺はヘマをしてしまったのだ。
イルカ先生は失うことをとても怖がる人なので。
失うことに耐えられないから、失う前に放棄してしまうだろう。

今俺は放棄されかかっているんじゃないかな。

「俺、捨てられちゃうのかな〜?」冗談めかして呟く。

「何の事ですか?」怪訝な顔をするイルカ先生に、今度は一生懸命お願いする。

「イルカ先生、俺のこと捨てないで〜?」

イルカ先生は一瞬目を見開いて、ぽかりと俺の頭を殴った。

「怪我人になにするんですか〜!」俺が抗議すると、イルカ先生が唐突に話し出した。

「俺はね、小さい頃、猫を拾ってきたことがあるんです。その時に俺の両親が、動物は可愛いばかりじゃ飼えないよ、って。世話は大変だし先に死んだり悲しい思いをするけど、飼うんだったらちゃんと最後まで面倒をみるんだよ、って教わったんです。」

「はあ」俺は気の抜けた返事をした。

「だからカカシ先生のことも、ちゃんと最後まで面倒見ます。捨てたりしません。」きっぱりイルカ先生が言いきった。

どうしよう。すごく嬉しい。猫とか動物レベルに扱われてるのに。俺は今最高に情けない顔をしているに違いない。

「俺は猫ですか〜。」そんな言葉ではぐらかしながらも、やばい、泣きそうだ。

「不機嫌そうに、黙ってばっかりだったから。俺てっきり捨てられちゃうのかと。」

俺の言葉に、イルカ先生はぷいと横を向いた。あれ、やっぱり怒ってる?と思ったのも束の間。

「....俺、何もできなくて。」イルカ先生がぼそぼそと呟いた。

「カカシ先生が死にそうなのに、何もできなくて。ただ傍にいて泣いてるだけで。それが悔しくて。」それが悲しくて。そうイルカ先生は消え入りそうな声で言う。

「あんたが死にかけてるのに、何もできなかった...!」両親が死に行く時も何もできなかったように。

ごめんなさい、とイルカ先生はぼろぼろと大粒の涙を流して言った。ごめんなさい、カカシ先生。

俺は熱いもので胸が一杯になってしまって、動かないはずの手を渾身の力を込めて動かして、イルカ先生を抱きしめた。
今ここで抱きしめて。隙間を埋めてしまうのだ。イルカ先生がこれ以上泣かないように。

そしてどうでもいいことを、耳元で囁く。

退院したら紅葉狩にでも行きましょうか。
お弁当には卵焼きを入れてくださいね。

あなたをあやすように、優しく。

                     終
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