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ハクション、と派手にくしゃみをするカカシを横目に見て、「そんな薄着で来るからー。ほんと常識ないよね、カカシは。」とイルカは呆れたように言った。
その言葉にカカシは「お前の所為だろうが!」と激しく突っ込んでやりたいのだが、ビュウビュウと吹きつける海風に歯の根が合わない。
そうなのだ。抵抗空しく、結局カカシはイルカに引き摺られて遂に海にまで来てしまったのだ。半ば拉致されるように連れ出されたため、寝巻に上着を羽織っただけの軽装で来てしまった。夜明けの海辺は果てし無く寒い。強制的に握らされた釣り竿を放って、カカシはすぐさま家に帰りたい衝動に駆られた。

そうだよ、こんな馬鹿馬鹿しい事に付き合ってられるか!
第一こんな事で体でも壊したら、健康管理も出来ないのかと暗部の中でいい笑い者だ。

沸沸と湧き上がる怒りに、こんなものへし折ってやる、とカカシが釣り竿を折ろうと力を込めたその瞬間、イルカが「仕方ないなあ。」と溜息を吐きながら自分の上着を脱いだ。
「これ、着てなよ。」イルカはそう言うと、有無を言わせぬ勢いで、カカシの肩にフワと自分の上着を羽織らせた。
カカシはイルカのあまりの素早さに、身動ぎ一つすることもできず、ただ茫然となすがままになっていた。イルカはそんなカカシの様子に全く構う事無く、「ほら、これも。」と自分のしていた軍手を片っ方、投げて寄越した。
そしてイルカは吹きつける海風にブルッと体を震わせて、「うひっ、寒いなー!な?カカシ。」とカカシに向かってニシシと笑って見せた。
忽ち赤く染まるイルカの鼻先と頬っぺたを見つめながら、カカシは先ほどまでの怒りが急速に萎えていくのを感じた。

阿呆か、こいつ。俺に上着や軍手を貸して、自分が震えてりゃ世話がない。

カカシはイルカの上着を脱いで、ボフッとイルカに投げつけた。

イルカは驚いたように、「何するんだよー?人が折角...。遠慮するなよ、寒いんだろ?」と口を尖らせながら、もう一度カカシに上着を投げ返した。
するとカカシがまたそれを投げて寄越す。イルカの上着はそうして二人の間を行ったり来たりした。

「いい加減にしろよ!?寒いんだから、我慢せずに着ればいいだろ!?」

先に堪忍袋の緒が切れたのはイルカの方だった。イルカはカカシに自分の上着を叩きつけると「カカシが風邪引いちゃうだろうが!俺はそれ、絶対に着ないからな!」とプリプリと怒り出した。

風邪引いちゃうだろうがって...元はといえば、お前が薄着の俺を無理矢理連れ出したんじゃないか...何を今更、気を遣ってるようなフリして...

こちらも文句を言ってやろうとカカシは思うのに、口から飛び出した言葉は自分でも思いもよらないものだった。

「お前だって風邪引いちゃうでしょ...。」

ボソリと呟かれたその言葉に、イルカは吃驚したように何度も目を瞬かせた。その様子にカカシがハッと我に返る。

い、今俺は何を...?

焦るカカシを他所に、イルカは先ほどまでの怒りは何処へやら、破顔一笑するとカカシに向かって言った。

「カカシって意外にいい奴なんだな!俺、お前の事好きだよ。」

瞬間カカシは固まった。全ての体の機能が止まってしまったかのような衝撃だった。目の前のイルカは今やすこぶる上機嫌で、「俺は大丈夫だから、その上着着とけよ。ありがとうな、カカシ。」とニコニコと笑顔を浮かべている。カカシはそんなイルカを茫然と見つめていた。頭の中ではイルカの言葉がグルグルと回っている。

意外にいい奴なんだな。
おまえの事好きだよ。

うわあ....な、なんて恥ずかしい奴...
臆面もなく、よくそんな事が言えるな....

考えると自分の方が恥ずかしくなってしまって、カカシはボッと顔を赤らめた。そんな自分を悟られたくなくて、慌ててイルカの上着を頭から被った。するとすぐに、変な着方ー、とイルカから野次が飛んだ。しかしカカシはそれを無視した。分が悪いと思った。

こんな阿呆で恥ずかしい奴とまともに遣り合うなんて、正気の沙汰じゃない。
分が悪い。関わったら馬鹿を見る。これ以上引っ掻き回されるのは御免だ。なるべく無視をしよう、無視だ無視!

黙ったままでいるカカシを特に不審に思ったようでもなく、イルカはまた鼻歌混じりに釣りを再開した。

「丸坊主では帰らないからね!」とカカシに念を押しながら、真剣に釣り糸の垂れた先を見つめる。
カカシがやれやれ、厄介なのに取り憑かれちゃったなあ、くそう、火影様め!と内心呪いの言葉をはいた時、

「カカシには魚の下ろし方を教えてやらなくちゃ、と思ってるんだ。」とイルカが真剣な様子で呟いた。

はあ?ま、また、何を突拍子のない事を....

カカシのイルカを見つめる瞳は、未知の生物にでも遭遇したかのような驚きと戸惑いに満ちていた。イルカはそんなカカシの瞳をじっと覗き込みながら、至極真面目な調子で言った。

「刺身、食べようね。」

まるでそれがこの世で一番大事な事だと、言わんばかりに。
カカシは今までにない疲労がドッと押し寄せるのを感じた。

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