(4)

イルカは迷わないだろうとカカシは思った。
一ヶ月前のあの時の様に、俺に本気で刃を向けてくる。
イルカの手に握られた小刀が暗い夜の中でも鋭利な光を放っていた。
一ヶ月前もそうだった。封印の外れかけたナルトが自来也と五代目火影によってその暴走を抑えられた後の事だ。九尾の妖気に負傷した忍の何人かは興奮状態にあった。火影の威光も虚しく、九尾の恐怖に怯えた暴徒は、正気を取り戻したナルトにわっと一斉に襲い掛かった。
同胞と遣り合う事を躊躇って、誰しもが僅かに動きを止めたその瞬間。
黒い影が風の様に駆け抜け、何の迷いも無く同胞に刃を向けた。
その冷静な太刀筋に、ナルトを取り囲んだ輩達は次々と倒れていく。
空を染める夕暮れよりも赤い血が一面に舞った。
「イルカ先生…」
自分を背に庇い、返り血に真紅に染まる男をナルトがか細い声で呼んだ。ぎゅうっと小さな手でその背中に抱きつく。
カカシはイルカのその姿に息を呑んだ。いつもは温厚で人の良い笑顔を浮かべた中忍教師が。
血の臭いとは無縁なこの人が。
誰もが躊躇する中、仲間に向かって微塵の躊躇いもなく刃を向けた。
その瞳に宿る強い意志、そして獰猛な輝きにカカシは背筋を震わせた。
致命傷ではないにせよ、確実に動きを止める為にイルカの刀は急所を突いていた。
よく見ると、倒れている忍の中にはイルカと同じ教職の者もいた。勿論イルカとは顔見知りの筈だ。

それなのに…迷わなかったのか…?

自来也と五代目火影の号令の元素早く現場の事後処理が進められる中、カカシは血を拭うイルカに近寄った。
「疾風のようでしたね、中忍にしておくには惜しいくらいです。」
軽い調子を装ってカカシが声をかけると、
「いいえ、人並みです。俺にいわせれば…皆が動くのが遅過ぎだと思います。俺は普通です。」
イルカは憤懣やる形無しと言った様子をしてカカシを睨み付けた。

躊躇した俺を責めているのか、

カカシは口の端を片方吊り上げながら、
「そう?でも普通躊躇うデショ。暴挙に出た仲間の気持ちも分かるしね…イルカせんせはすごいよ。あの中に顔見知りも居たみたいなのに…眉一つ動かさず…意外に鬼だね、あんた。」
皮肉な口調で揶揄すると、イルカの強い眼差しがカカシを射抜いた。
「俺は迷いません。一瞬たりとも。」
視線を逸らさずに、挑むようにイルカが言う。
「この子を…ナルトを守る為なら。俺は同僚にでも火影様にでも牙を剥く。」
なんて凶暴な。
カカシは放心したようにイルカを見詰めた。
なんて深く狂おしく、この九尾の忌子を慈しんでいるのだろうか。
凶暴でいて、なんて揺ぎ無い。

それは俺が持っていないものだ。

何かがカカシの錆びた心を爪弾いた。それが何なのか分からなかった。ただ心が震えていた。
その震えは甘美な痛みを伴った。ずっと心の奥底で何かを求めていた。自分でも正体の分からぬ何かを。それをイルカが与えてくれそうな気がしていた。

あの時と同じような目をして、イルカは俺に刃を向けている…

カカシの心臓がドクドクと激しく脈打っていた。よく分からない緊張と興奮がカカシを包む。

俺はあの刃を心臓に受けたいのか…?この躊躇いの無い瞳に見詰められて…

ホルダーにかけた手がクナイを掴んでいた。普通に動けば自分のクナイの方が速い。決着は一瞬でつくだろう。
だが、クナイを握るカカシの手は躊躇いに震えていた。

殺せるのか…?俺にこの人が…

カカシの額から柄にも無く汗の雫が流れ落ちた。
その瞬間。
イルカが手にしていた武器を自ら地面に投げ捨てた。
「何…!?」
驚愕にカカシが僅かに身じろぐ。自ら武器を捨てるとはイルカが何を考えているのかサッパリ分からなかった。
咄嗟にクナイを身構えるカカシに一歩近付き、
「なんてね…俺はあんたとやりあう気はありませんよ、どうせ敵わない。…だから、」
イルカは挑発的に言った。
「俺を殺してください。」



続く