俺は迷いません。一瞬たりとも。

その言葉は錆びた心を爪弾いた。
鳴る筈の無い音はしかし魂を震わせる振動となり、俺は瞬間顔を顰める。
予感がしていた。彼の爪弾く手に、自分の痛んだ弦はいつか切れてしまうだろうと。
弾けた弦は彼の指から鮮血を滴らせるだろうと。

凛呼とした黒き双眸が俺をひたと見詰めた時には。

確信に、変わった。


Pieta 「道行きの留」

茜色に染まる空を見上げながら、自分の心に似ているとカカシは思った。
隣を歩くその人の存在は、自分の心を黄昏時のような暖かい色で満たすのに、その色は何処か暗くくすんでいる。それは自分の心の問題だとカカシは知っていた。
「カカシ先生、また怪我をしたんですね、」
不意に声をかけられて、カカシは返事が一拍遅れた。
「―――っ、意外に鋭いですよね、イルカ先生。というか、血に敏感なのか…大した怪我じゃないのに、よくわかりましたね、」
カカシは心底感心したような声で言った。本当に大した怪我じゃなかった。
胸元を刃先で微かに撫でられた程度だ。皮膚の上にほんの僅かに朱の線を残すだけで、痛みすらも感じない。だが、イルカはいつも言い当てる。何食わぬ顔をするカカシに、怪我をしたんですね、と。それが指先を切ったくらいの些細な怪我でも見逃さない。
「何で分かるんですか?種を明かしてくださいよ。」
カカシが茶化すように尋ねると、イルカが困惑気味に返してくる。
「…分かっていないんですか?」
「何がです?」
窺うようなイルカの視線に、カカシは不思議そうに首をかしげた。特に傷口を庇うような仕草もしていない筈だ。
イルカは苦笑しながら、
「内緒です、種は分からないからおもしろいんですよ。」
もっともらしく口に人差し指を立てる。イルカはその悪戯な子供のような表情をすぐに真剣なものに変えて、ゆっくりと言った。
「カカシ先生、お願いですから、怪我を、しないでくださいよ?」
頑是無い子供に諭すように、ゆっくりと。

無茶な事を。

カカシは喉の奥で笑いながら肩を竦めた。忍に言うべき言葉じゃないなと、少しばかり呆れた面持ちで、
「ええ、約束しますよ。」
平気で嘘をつく。そして「できる限り、」と付け足して、「でも敵も強いですからねえ」と適当な言い訳を並べた。イルカは自分のそれに気付いていないだろうと高を括って。
イルカは暫く黙ったままだったが、岐路に差し掛かると何処かホッとしたように、再び明るい笑顔を取り戻した。
「それじゃここで失礼します。お疲れ様でした、カカシ先生。」
イルカは決して「さよなら」とは言わない。カカシはそれを好ましく思いながら、頭を下げるイルカをぼんやりと見詰めた。

穏やかそうな顔をして。
この人は本物の牙を持っている。獲物に躊躇わずに爪を立てる獰猛さを。
例え敵わない相手だと知っても。

だからすぐに動くと分かっていた。不確かでも微かな危険を手を拱いて見ている筈がない。
「イルカ先生、この前の件で里はナルトの処遇を決めましたよ。」
背を向けたイルカがゆっくりと振り向く。
「火打箱に煙硝を入れて昼寝するのは間抜けだと、火元を消す事に決まったんです。」
自分を睨み付ける黒い瞳が獣の野性を宿していた。


続く…


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