第七回

キース=スケアクロー。
偏屈で有名な大富豪ラトシス=スケアクローの莫大な遺産全てを、十八歳にして引き継いだ一人息子。母親は高級娼婦だという噂で、結婚もせず肉親も無いラトシス=スケアクローが跡継ぎとして、大金を積んでキースを引き取ったのだという。
何故娼婦との間の子供を。
その出生に確かに間違いは無いのか。
本当だったら、ゴシップとして格好の餌食になるそのネタは、しかし一行も取り沙汰される事はなかった。
何故なら遺産を引き継ぐより以前に、キースは自らの力で世界の舞台にその名を知らしめていたのである。
十七歳の時にキースが開発したマイコンのオペレーションシステムが、瞬く間に世界を席巻した。
その僅か一年の間でキースは父ラトシスの資産を超える、軍事予算並みの利益を手にしたのだ。
若干十七歳にして世界の情報網を握った男。
天才と謳われる男は、同じく天才と呼ばれた父の血を色濃く受け継ぎ、それを凌駕していた。
ラトシスはキースの才を知って引き取ったのだろうと世間は納得し、沈黙せざるを得なかった。
そしてキースも父のラトシス同様気難しく、点在する住居に身を隠し側近の前にも姿を現さない、何処か人を寄せ付けない生活を送っていた。
「そんな時代の寵児を知らないなんて…イルカ、世間に疎いでは済まされないわよ。」
心底呆れた様子でイルカを見詰める紅の視線に、イルカは身を縮ませた。
「ど、何処かで聞いたことがある名前だなあとは思っていたんですけど…あまりにも日常とかけ離れてたんで…気付けませんでした…す、すみません…」
顔を赤くして頭を下げるイルカに、
「まあ、無理も無いわ…私もまさかマスコミ嫌いのキース=スケアクロー自身がやってくるなんて、思ってもみなかったもの…公式の場に顔を出すのは、ひょっとしたら六年ぶりかもよ?」
紅が今度は慰めるように優しく肩を叩く。
「…それだけ、あの子供を大事に思っていたんですね…」
何気なく呟いたイルカに、あらどうかしらと紅は眉を顰めた。
「なんだかあの男、いい感じがしないわ…身寄りの無い子供に施設を作ったり、児童福祉に熱心なのは有名だけど…それで心がお優しいという証明にはならないでしょうよ。政治家にでもなるつもりなんじゃない?だから自分の施設の子供が凶弾に倒れたこの機会を、プロパガンダとして利用しようとしてるんじゃないかしら…?」
「紅さん、」
遮るイルカの語気が荒くなった。咎めるようなイルカの視線に紅は肩を竦めた。
「…ごめんなさい、言い過ぎたわ。」
「…いえ…」
素直に謝られて、イルカは急にしどもどした。何をムキになっているのだろうと自分でもよく分からなかった。

紅さんは一つの可能性を言っただけなのに…

紅の言い分はイルカにもよく分かった。何百何千といる施設の子供達を、多忙な男が一人一人目を掛けている筈が無い。
そもそも金持ちの慈善事業なんてそんなものだ。金持ちの出資者はクリーンなイメージを買っているだけで、自分達が自ら足を運び子供達と向き合おうなど、考えてもいない。それなのにこんな時だけ、と紅は腹立たしく思うのであろう。

でも…キースさんは違う…彼は本当に自分で施設に足を運び、子供達を一人一人慈しんでいたに違いない…

遺体と対面した時のキースを知るイルカには、それがよく分かった。

あの人は何度も何度も…「アーニー、」とあの子供の名前を呼んで、頭を撫でてあげた事があるんだ…

そうとしか、思えなかった。
「紅さんは…いい感じがしないみたいですけど。俺は、すごくいい人だと思います…、」
思い切ってそう口にして、イルカは恥ずかしさを誤魔化す為にぽりぽりと鼻先を掻いた。
その様子に紅は一瞬黙りこくって、ハアと溜息をつきながら愁眉の面持ちを浮かべた。
「イルカ、あなた警官に向かないわ…」
しみじみと言われ、イルカは傷心した。
「警官なんて自分以外は全て疑ってかかるのが商売よ…イルカは何でも簡単に信じ過ぎるわ、」
自覚があるだけに忠告にも似た紅の呟きが身に堪える。
「紅さん、俺は…」
何か言い訳をしようとするイルカの鼻先を摘んで、
「そんなところ、嫌いじゃないわ。でも、」
紅は少し困ったように微笑んで、何処かで聞いたような台詞を吐いた。
「気付いた時は棺桶の中っていう事態だけは勘弁して頂戴。そんな事になったら許さないわよ?」
アンコよりもずっとドスのきいた、脅迫を含んだ恐ろしい声だった。


続く