第五回

関係者以外立ち入りを禁ずるロープが張られる。
引っ切り無しに鳴り響く救急車のサイレンの音。ばらばらと頭上を煩く飛ぶマスコミのヘリ。
パシャパシャと遠慮の無いフラッシュが、ぼんやりとするイルカの網膜を焼く。
「ひでえ面してるな、」
左肩に包帯を巻いたアスマがイルカの鼻先を弾く。
しかし揶揄するアスマの顔も疲労が濃く、いつもの覇気がない。
そんな中で紅だけが気丈に振舞っていた。
「警部補、署長があちらでお待ちです、私はこれから検死官に詳しい検死報告を聞くから…イルカ、ちょっと私の持ち場に入って頂戴、」
てきぱきと指示され、やれやれとアスマが嘆息する。
「ちっとは休ませて欲しいぜ、こっちは怪我してるんだ。」
「犯人が死亡しただけで事件は終ってません。」
アスマの尻を追いたてると、イルカに向かってファイルを渡す。
「検死が済んだら遺体を現場から搬出するから、遺族に対面させてもいいわ。」
そのための場所としてバスの隣りに大きなテントが張られていた。
「全員、ですか?」
「希望があれば、」
「…死体修復無しに?」
「それは葬儀屋と遺族に相談して、」
気が重い仕事を回されて、イルカは表情を暗くした。そんな顔しないの、と今度は紅に鼻先を摘まれる。鼻の受難日だ。
「…悪いわね、ごめんねイルカ。」
苦笑を浮かべた紅のその一言が酷く優しくて、途端にイルカは自分が情けなくなった。

紅さんに気を遣わせて…遣り切れないのは皆も同じなのに…しっかりしろ、

イルカはファイルを受け取ると、ぎこちない笑顔を浮かべた。
「大丈夫です、俺のほうこそすみません、」
紅は少しだけ微笑むと、悪いわね、ともう一度繰り返しバスの中に消えた。
硝子の飛び散った窓には目隠しが張られ中の様子は窺えない。
だが、そこが如何に悲惨な有様なのか、銃声に飛び出したアスマの後ろに続いてバスに飛び込んだイルカは知っていた。
犯人の至近距離での発砲は恐ろしいほどの破壊力を持っていた。
赤いペンキをぶちまけたような車内に腕や頭の吹き飛んだ、原形をとどめぬ小さな肉塊。
イルカの目の前で、ドウッと犯人の銃が轟音をたて、逃げる子供の腹に大きく穴を開けた。

本で見た地獄よりも恐ろしい。

あまりに凄惨な光景にイルカは一瞬我を忘れた。犯人の銃口はこちらに向けられていたというのに。
だがアスマは冷静だった。
「頭下げてろ!」
子供達へ叫びながら、まるで教則本のお手本のような無駄の無い動きで、銃を構え引き金を引く。
弾は正確に犯人を捉えその左胸を打ち抜いた。衝撃に肉片が飛び散り、男の体がまるで紙切れの様に宙を舞い、倒込む。
勝負は一瞬でついた。
しかし喜びは無かった。二十四人の子供のうち、助かったのは十名。半数以上の無辜なる魂が犠牲になったのだ。
そのうちの半分はバスジャックをされた時点で殺されていたらしい。
一応の解決を見たものの、なんとも遣り切れない事件だった。

だが俺達よりも…遺族の方がずっと辛い…

イルカはテントの前に立ち、ぎゅっと唇を引き結んだ。
あの遺体を遺族に引き合わせる瞬間に立ち会わねばならない。

その場に居合わせて、俺は平気でいられるだろうか…?

怖かった、とても。目を閉じると遠い日の自分の泣き声が聞こえた。冷たい骸と成り果てた両親に縋り、泣きじゃくる自分の声が。あの日の、自分の心が砕け散る音が。
その時、「イルカ」と紅の声がした。
はっと目を開けると、一体目の遺体がテントに運び込まれるところだった。
遺体の入った袋につけられたプレートで名前を確認し、遺族を待機させている警官仲間に告げる。そして遺族が遺体と対面した時点で手元のリストにチェックを入れる。嫌な仕事だった。ペンがこれほどまでに重く感じられた事は無い。
泣き叫び遺体に取りすがる親の姿をイルカは直視できなかった。
できるなら耳も塞いでしまいたいくらいだった。
遺体を見るまでは気丈に振舞っていた母親も、テントを出て行く時には何人もの警官に抱えられて出て行かねばならなかった。
そして漸く最後の遺体が運び込まれた時には、魂をすり減らしたイルカはくたくたになっていた。どこぞの重篤患者かといった雰囲気だ。
「キース=スケアクローか…」
遺族の名前を確認して、イルカは首を捻る。
何処かで聞いた事がある名だ。一体何処でと考えていると、不意にテントの入り口がシャッと開けられた。
「ああ、ミスタースケアクロー…?」
続く冥福を祈る言葉はイルカの口から出てこなかった。
そこに立っていたのは親にしては年若い、長身痩躯の男だった。髪の色もその瞳の色も黒いのに。

似ている…

そこにかつての面影を見たような気がして、イルカの心臓がドッドッと激しく脈打った。


続く