イルカは混雑するデリでギトギトのシシカバブやドレッシングの海に浮かぶサラダを購入すると、自分のアパルトメントへと足を向けた。
家に帰るのは久し振りだ。イルカの家はダウンタウンのソーホーにある安アパートの一室だ。林立する高級マンションに囲まれて少々みすぼらしいが、NY大学の学生の頃から住んでいる。住み慣れたその場所をイルカは気に入っていた。
「天には栄え、御神にあれや」
クリスマスデコレーションに華やぐ街角を、イルカは賛美歌を口ずさみながら歩いた。
浮かれた気持ちではなかった。ただ祈らずにはいられないだけだ。
今年のクリスマスを凄惨な殺人現場で過ごす事の無いように。それがロトで大当たりを引くよりありえない事だとわかってはいても。
溜息をつきながら小路へと道を曲がると、イルカのアパートが見えてきた。近づいて、イルカはおやと首を傾げる。
2階の真ん中の窓に明かりがついている。誰もいる筈のない、イルカの部屋だ。
だが、心当たりが無いわけでもない。

また来てるのか…?ったく、学校にはちゃんと行ってるんだろうな…

イルカは心の中で悪態をつきながら階段を上った。当然の様にインターホンを押すが、誰も出ない。

まさか本当に空き巣か何かか…?

ゴクリと唾を飲み込んで、イルカはガバメントを抜いた。そっと鍵を差し込んでドアノブに手をかける。
新米とはいえ、この程度の事なら日常茶飯事だ。だが、何時まで経っても慣れない。
イカレた野郎が潜んでいる事よりも、銃の引き金に指をかける事に。怖いと感じる。

全く、これで警官といえるのかよ…?情けねえなあ、

イルカはチ、と舌打ちして勢いよくドアを開けた。
「動くな…!」
銃を構えた先にはインターホンの受話器を取ろうとする、裸の少年の姿があった。
今までシャワーを浴びていたのか、全身びしょ濡れで金髪の先からぽたぽたと滴をたらしている。
辛うじて腰にタオルだけ巻いた少年は銃口に青い瞳をまん丸にしながら、降参とばかりに両手を挙げた。
「そうしてると本当に警官に見えるってばよ、」
ニシシッと多少引き攣った笑みを浮かべる少年に、イルカはガックリと肩を落とした。
「見える、じゃなくて本当に警官だ…ナルト、おめえまた『ホーム』を抜け出してきたな…」
銃をしまうと、イルカの腰に早速とばかりに金髪の少年ナルトが抱きついてくる。
「うわ、ちゃんと拭けお前。びしょびしょじゃねえか!」
「だって、インターホン鳴ったから、すぐに出ようと思ったんだってばよ、」
飛び散る水滴に、仕様がねえなあとイルカは近くにあったタオルでナルトの頭を乱暴に拭いた。
叱りながらも自然と顔が緩んでくる。あんな事件が続いた所為だろうか、ナルトの屈託無い姿に何処かホッとしていた。
ナルトは孤児院の子供でボランティア活動を通して知り合った。
気難しいところがあり、里親がついてもなかなか上手くいかず、何度か孤児院に舞い戻っていた。
詳しい事は知らないが、小さい頃に親に虐待を受けていたらしい。その親は既にヤク中によるショック死で天に召されている。
幼少時の心の傷が深いのだ。いつも集団の輪から一人ぽつんと離れたところにいるナルトが気になった。
カカシが、いつもそうだったからかもしれないとイルカは思う。何となく放っておけなかった。
ヘロインで頭のおかしくなった男が刃物を振り回し孤児院に乱入した時に、ナルトを庇ってイルカは大怪我をした。
しかし怪我の功名とはこのことか、それ以来少しずつナルトが心を開いてくれるようになったのだ。
六年経った今では合鍵を使って、こうして勝手に忍び込んでいたりする。もうイルカにとっては家族のようなものだ。
「外泊届けは出してきたんだろうな?」
一応ギロリと睨んでナルトを窘めてみるが、
「うん、出した出した、出したってばよバッチリ」
信用できないほど軽い調子の返事が返って来る。学校を嫌うナルトは隠れ家の様にイルカの家を使う。ひょっとすると、もう2、3日もこの部屋で過ごしている可能性もあった。

後でホームに連絡しないとな…

思いながら「飯はちゃんと食ったか?」とデリの袋をテーブルに置く。するとナルトは腹ペコの野良犬の様に袋に飛びついた。
「ちゃんと体を拭いて服着てからだ!」
イルカが小突くとナルトは急いで服を着始めた。やれやれと椅子に腰掛けて、イルカはテーブルの上の新聞と手紙の山に気付いた。多分ナルトが気を利かせて取っておいたのだろう。

どうせたいした手紙じゃないだろう、

イルカは封筒を手にして差出人を確認する。様々な勧誘に、カードの明細、それから….

おっと、これはアンコの結婚式の招待状じゃないか…!

自分のことの様に胸を弾ませてイルカは日付を確認する。『ポニーボーイ』で始まる文面にイルカは知らず笑みを浮かべた。

今日はついてるじゃないか、

イルカは気分がゆっくりと浮上していくのを感じた。今日はついている。落ち込む自分を励ますものが、次々とこの部屋に用意されているのだから。賛美歌を口ずさんだのが良かったのかと思いながら次の封筒に目をやって、イルカは首をかしげた。
切手も住所も無い、『イルカへ』とプリンターで打ち出されただけの封筒。勿論差出人の名前も無い。

ナルトが俺に置手紙でもしていくつもりだったのかな…?

何の気なしに封筒を開けて、イルカはギクリと固まった。
服を着たナルトが目敏くその様子に気付いて、
「どうしたんだってばよ?」
イルカの手元を覗く。イルカは慌ててそれをクシャリと握りつぶした。
「な、なんでもない…ちょっとぼんやりしてただけだ…それより飯にしよう、」
「ふうん?」
ナルトは訝しげな顔をしながらコップに注いだミルクを舐める。その視線を受けてイルカはぎこちなく微笑みながら、手の中の紙をポケットに押し込んだ。ゴミ箱に入れるわけには行かなかった。

ナルトは聡い子だ。後で拾いあげるかもしれない…。

イルカの胸が早鐘を打っていた。
握りつぶした手紙の文面が頭の中をぐるぐると回っていた。

『お前が大事に育てているのはカッコーの雛だ。巣から蹴落とされたのはお前の幸福。ナルトの親こそがお前の両親を殺した犯人なのだ!



その恐ろしい内容が、ずっと。

続く