(7)

日没と共に最後の移動を開始した。
なるたけ気配を消すように、とカカシは部隊に十分注意を促した。戦火が落ち着く夜間の移動の上、味方の陣営の背後に回り込むルートを辿って来たので、然う然う敵に出くわす心配はないと思うが、激戦区に入った事は確かな事実だ。いつ何時敵が仕掛けて来ても対応できるように、カカシは警戒を怠らなかった。
今は隊列の前を暗部の部下が行き、カカシが後方について隊列の背後を守った。激戦区に入った今は、全体が見通せる場所にいる方が何かと動きやすい。
カカシは前方を見遣りながら、結局脱落者はひとりきりだったか、と人数を確認しながら思った。
前方を行く隊列の中には件の少年とイルカの姿もちゃんとあった。甚だ心許ない足取りではあるが、それでも自分の足で歩いている。薬様様だな、と頭数が減らなかったことにカカシは満足しながら、救護のために派遣されてるのに、到着と同時に倒れそうだな、と予見して苦笑を浮かべた。
イルカの黒い括り髪が歩を進める度にゆらゆらと揺れる。その後姿を見つめながら、カカシは先ほどの出立時のことを思い出していた。
部隊が野営を引き払う作業をしている中、イルカがこちらに向かって真っ直ぐ歩いてくるのが見えた。動けるようになったか、と目の端にイルカの姿を認めながらも、カカシは視線を向けようとはしなかった。

「先程はありがとうございました。」

イルカはカカシの傍らまで来ると、深く頭を下げながら礼を言った。その言葉にカカシは動揺した。あの後。イルカに水を飲ませた後、結局意識の無いイルカを背負って野営テントまで運んだ。別に親切心からではない、とカカシは心の中で自分に向かって言った。部隊長として、放って置けなかっただけだ。
イルカに全く意識は無かった。筋肉の弛緩したデカイ体を背負うのは一苦労だった。何度もずり落ちそうになるイルカの体をその度毎に背負いなおしながら、さして長くも無い道のりをカカシはゆっくりと歩いた。自分の耳元のすぐ近くにイルカの吐息を聴きながら、ゆっくりと。

その時のことを、覚えているというのか。

忙しなく頭を働かせながら、いやそんなことはあるまい、とカカシは首を横に振った。確かにイルカは気を失っていた。

「何のコト?」

カカシはつとめて冷静な口調で言った。イルカはカカシの言葉に何ら落胆や疑問を感じていないようだった。寧ろその言葉を予想していたようで、イルカは破顔して言った。

「砂漠の件で、我侭を聞いていただいてありがとうございます。それに最後まで黙って歩かせてくれた....嬉しかったです。」

イルカのその言葉にカカシは瞬間呆然となった。面をつけていてよかった、とカカシは思った。そうでなければ、大きく口を開けた間抜け面を晒していたことだろう。カカシは心底呆れると同時に、また言い様の無い苛立ちをイルカに感じた。

「あんた馬鹿だねぇ....別に俺にはどうでもいいことだから放っておいただけなのに。何ソレに感謝しちゃってんの?」

勘違いにも程がある、とカカシは鼻先で笑った。イルカはというと、やはりそんなカカシの態度を意に介さないまま、重ねて言った。

「それでも、嬉しかったです。」

へへ、と鼻先を擦りながら、イルカは無防備な笑顔を晒し、ありがとうございました、ともう一度繰り返しながらペコリと頭を下げ踵を返した。

カカシはどっと疲れた。イルカの言葉はいつも理解できない。いつもカカシを苛立たせる。
何もかもが違う。あんなに馬鹿な人がこの世に存在するなんて、本当に驚き呆れる。

へらへら へらへら。無防備に馬鹿面晒して。
すぐ人を信用しようとする。すぐに騙される。
馬鹿じゃないの。

そのうち足元を掬われるから。
そして傷つくのはあんたなのに。

踏みつけて傷つけて、ほら、世の中は甘くないでしょ、あんたのやり方は間違ってるでしょと、自分が痛感させてやりたかった。


だがそうした苛立ちからもう解放されるのだ。

カカシは淀み無く進む隊列を眺めながら、そう思った。

白々と夜が明けようとしていた。


続く