(4)

翌日砂漠地帯を横断する。
後々響くような痛め方では不味いだろう。

カカシはイルカへの罰を考えながら思った。

見せしめにする必要があるだろう。
脱落者が出た後の隊列の動揺は、目に余るものがあった。高があれくらいのことで。
それというのも、全てはあのイルカの振る舞いの所為だろう。イルカの咄嗟の行動は、人の柔弱な部分を増長させるようだった。
仲間を失った哀悼と。助けられなかった悔恨と。見捨てようとした慙愧と。
そして、己の死への恐怖とを。
そんなもの、どれもいらない。これから戦場に赴こうとしているものにとって、それは極めて危険な事と言えた。

だから、見せしめにする。
もう一度、部隊の忍としての士気を引き締めなおすためにも。

隊列の先頭を行くカカシは、ちらりと後続のイルカを見遣った。

善良そうな、間抜け面。
愚鈍なだけの奴だと思っていたのに、なんて食えない奴なのか。

カカシは自分でも持て余すほどの苛立ちを感じた。





「上官の命令違反に対する処罰を執り行う。」

その日の野営地まで辿り着くと、カカシは皆を集めて厳かな口調で言った。
極みを目指して昇り始めた太陽が、ようやく目的地に届こうとしている時だった。砂漠とほどなく境界を接するその場所は、乾燥で空気は罅割れ、照り付ける太陽の熱を何も遮ることなく受け止めていた。
名前を呼ばれたイルカが集団の前に進むと、カカシの部下のもうひとりの暗部が手早にイルカの体を縛り出した。イルカは皮製の紐のようなもので、あっという間に雁字搦めになった。最後の仕上げにと、布の切れ端で目隠しを施される。カカシは猿轡を噛ませなかった。これから与える苦痛を、その口から零れる呻き声で証明してもらおうという目論見と、ひょっとしら許しを求めて泣き叫ぶ、無様な醜態を見せてくれるかもしれないという期待からだった。
しかし、イルカはまるで怯えていなかった。その口はきゅっと一文字に結ばれたまま、瞳は真っ直ぐに前を見据えていた。布切れがその瞳を塞ぐまで、イルカの目は閉じられることはなかった。
カカシはその姿に苛立ちを募らせながら、ヒュッと風を切る勢いで突然イルカの鳩尾を殴打した。自由の奪われたイルカの体は、受身を取ることも出来ず、地面に叩きつけられるようにして横転した。唯一自由を許されているイルカの口から、ゴホゴホと苦しげな咳が吐き出される。その上から容赦なく、カカシは靴底でグリグリとイルカの鳩尾を踏み躙った。イルカは苦しげに体を折り曲げながら低く呻いた。

こういう男は自尊心を傷つける方が効くのだ。

カカシは鳩尾から足を移動させると、躊躇うことなくイルカの横顔を踏みつけた。

「よく見といて?命令違反は重罪だよ。戦場では個人の感情で動くことを禁ずる。これ、基本でしょ?今更そんなことを俺に言わせないで欲しいなあ。あんたたち仮にも忍なんだから、あんまり些細なことで手を煩わせないでよ。」

カカシはそう言って、手にしたバケツの水をイルカの上にぶちまけた。
濡れそぼったイルカをグイッと引っ張りあげて立たせると、控えていた暗部の部下に命じた。

「吊るしといて。」

カカシは水を打ったかのように静かな群集に向き直って言った。

「罰として海野イルカをこれから一時間吊り下げの刑に処す。その間は何も施してはいけないし、何か話し掛けてもならない。もしそれを破るものがいるならば、同罪に処す。他のものはこの後各々休息を取ること。8時間後には出立する。以上、解散!」

皆イルカの方をちらちらと気にしながらも、関わるのを怖れるように、三々五々と散って行った。

日差しの強い最中に、イルカは地面に足が届くギリギリのところで、木から吊るされていた。太陽の熱が水を吸った皮製の紐を徐々に乾かし、それにつれ縮む皮がジワジワとイルカを締めつける。力を込めることができない体は、その緩やかに強まる苦痛に震え、吊り下げられた木の下で心許なげにゆらゆらと揺れた。

苦しいだろうねえ。

その様子をカカシは至近距離で見つめた。

でも一時間で止めてあげるんだから、温情措置だよねえ。

この熱さの中、一時間吊るしっぱなしというのはかなり堪えるだろうが、暫し休息すれば大丈夫だろう。忍の訓練を受けたものなら。それよりも徐々に締めつけられる恐怖に、屈服してくれるといいんだけど。
失神しそうなほど乾いたら水をかけ。またそれを繰り返す。じわじわと締めつける苦しみを。気を失うことを許さずに。

「ねえ、これであんたも身に染みたでしょ?だからもう馬鹿な真似しないで?」

カカシは何とも優しげな声でイルカの耳元に囁いた。
イルカは呻きを漏らすまいと必死に歯を食いしばり、黙ったままだった。
布切れに隠された瞳がもし晒されていたら、イルカの瞳は今どんな色を湛えているのだろうか。
カカシは見てみたい気がして、一瞬手を伸ばしかけた。まさにカカシの指先が布切れに触れようとした瞬間、カカシはハッと正気付いた。

何をするつもりだ、一体?

カカシは自分を誤魔化すように、もう一度バケツの水をイルカにぶちまけた。
惨めに濡れるイルカの姿に満足を求めて。



それからきっかり8時間後。
日没を確認して、カカシの部隊はいよいよ難所の砂漠地帯に向け移動を始めた。
イルカは先ほどまでの責苦がまるでなかったかのように、淀むことなくその足を進めた。

罰が軽すぎたかな。

その意外にも元気そうな姿を目にしてカカシは思った。だが次の瞬間イルカの足元が少しふらついたのを目の端に認めて、カカシは緩く笑みを作った。
このまま夜通し歩き続ける。砂漠の温度差は激しい。今は肌寒きこの気候も夜明けと共に灼熱の暑さに取って代わる。そうなる前に渡りきらねばならない。
踏み締める足元で波紋のような形を作る砂礫が、さらさらと静かな音を立てる。砂漠を渡る風が砂漠の表面を削り、その姿を刻々と変えていく。僅かな月明かりがそれを無表情に照らしていた。目に映るものは砂ばかりで視界を遮るものは何もなかった。
カカシは機械的に足を前へ前へと進めながら、その心は不思議な感覚に捕らわれていた。

この世界はどこか別の世界に繋がっているのではないか。

そんなことある筈無いと分かっているのに、そうした意識とは別のところでカカシは夢想していた。あまりに日常の風景と隔絶されたこの世界が、カカシの感覚を狂わせているようだった。

俺が向かっているのは本当に戦場なのか。

それが期待なのか憂いなのか、カカシには分からなかった。何にせよ、あまり良くない傾向だとカカシは自分自身を嘲笑した。
その時第2の脱落者が出た。イルカか、とカカシは思った。しかしそれは違った。イルカよりも年若い、別の中忍だった。

高熱を出し、意識の朦朧としたその青年の症状は、明らかに熱中症のものだった。

熱中症だって?それを避けるために日没と共に移動しているのに?

カカシは眉を顰めた。何らかの理由で、青年は今日休息を取るべき時間に外にいたのだ。熱中症になるほど。暗部の部下がカカシにこっそり耳打ちした。

「どうやら、脱走しようとしていたらしいです、昼間皆が休んでいるうちに。だが恐ろしくなって戻って来たとか。どうしますか。処罰しますか。それとも。」

それとも、と言った後、その部下は面の下でクククと下品な笑い声を上げた。面が無かったら、その声よりもいやらしい笑みが分かったことだろう。

「折角戻って来たのに可哀想ですねえ。」

カカシの言葉を予想して、暗部の部下は言葉の内容とは裏腹に楽しそうに言った。
脱走。脱走ねえ、とカカシは銀の髪を掻き毟るようにガシガシと掻いた。よく見れば青年と言うより少年だった。背格好はしっかりしているが、顔がまだあどけない。15、16才といったところか。命に関わるような実戦経験があまりないのだろう。この任務は少年にとって荷が重すぎたのだ。昼間の脅しが効きすぎたか、とカカシは溜息をもらした。
もたもたしているわけにはいかなかった。夜明けまでに砂漠を抜けなければ、部隊は全滅だ。この行程には時間制限があるのだ。だからカカシは今度も迷わずに決断した。

「そいつはここに置いて行く。」

朦朧としながらも、その少年の顔が恐怖に歪むのが分かった。だが仕方が無い。遅れるわけにはいかないのだから。砂漠を歩くだけで体力の消耗は甚だしいものなのに、その上お荷物の少年の面倒を見ようなどという、余裕のある者は誰一人いないだろう。切り捨てていくしかない。それでもカカシは最後の情けとばかりに、慰めにもならないことをほざいた。

「また戻る際にこのルートを通る人に、頼んどいたげる。拾って帰るようにって。それまで自力で何とかして?」

とても本気とは思えない、悪戯けた言葉だった。事実、カカシは絶望を煽る為にわざと言葉にしたのだ。脱走を企てたことに対する罰も含めて。少年が何か言いたげに口をパクパクさせる。だが己の身に降りかかった災厄に声も出せない様子だった。
その時またあの声がした。あの男の声が。

「俺がそいつを連れて行きます。隊には迷惑をかけません。」

イルカ、だった。

カカシはまた冷静になれないほどの感情の高ぶりを感じた。何を言い出すんだ、この男は。

「またあんたか...いい加減懲りないねえ。また罰を食らいたいの?それともああいうプレイが好きなわけ?」

カカシの皮肉たっぷりの言葉に動じる様子もなく、イルカはもう一度言った。

「俺が連れて行きます。絶対に遅れません。遅れた時は...俺達二人を置いていって下さって結構です。」

お願いします。

そう言ってイルカはその場に土下座した。カカシは一瞬呆然とした。イルカは日中受けた罰の所為で、自分の体力も然程残っていないはずだ。庇ってみたところで、共倒れは必至だ。少し考えれば分かることなのに、目の前の憐憫に盲目的になっている。土下座までして。なんて馬鹿なんだろう。そんなことのために命を捨てるというのか。嘘だ。絶対後悔する。絶対に音を上げるに決まっている。

その時のあんたが見物だな。

カカシは意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「勝手にすれば?でも少しでも遅れたら...その時は遠慮無く置いていくから。恨まないでよね?」

イルカは途端に嬉しそうに顔を輝かせて頷いた。そしてすぐに少年を自分の背中に背負った。意識の朦朧とする少年は自力で歩けそうにも無いので、イルカは当然のようにそうしたのだった。それには周囲も驚いたような呆れたような顔をした。無謀なことを。口には出さなくても皆の顔にそう書いてあるようだった。

理想と現実は違うんだよ。残念ながらね。

カカシはイルカの背中にむかって小さく諌めた。




続く