(2)

「明日からは二手に別れて、別ルートで陣営を目指す。」

カカシの言葉に、鬚面の男が「戦力の分散は危険だ。」と眉を顰めた。
戦力の分散、とカカシは繰り返して、皮肉たっぷりに言った。

「お荷物の分散の間違いでしょ。はっきり言って俺達暗部とあんたくらいしか、戦力になるのいないじゃない。」

カカシのあんまりな言いぐさに、「あんた」といわれた鬚面の男、猿飛アスマは嘆息した。アスマはイルカの属する医療部隊を、暗部との合流地まで率いてきた正規部隊の隊長だった。目の前に偉そうに鎮座する、暗部のチームリーダー且つ作戦総指揮の権限を持つ男、はたけカカシとは2年前まで仕事を同じくしていた。そう、アスマはかつて暗部に籍を置いていたのだ。アスマはカカシがその実力を評価する、数少ない忍のうちの一人だ。今回の任務の責任者に当る二人は今、上官用野営テントの中で、明日からの行程について確認を兼ねて話し合いをしているところだった。

「数人の医者を除けば、医療部隊の奴らだって皆忍だぜ?それなりに戦いの心得はある。」

アスマは医療部隊に敬意を払う意味で、カカシにそう反論した。

「だけど、正規部隊に劣るのは確かだし。大人数での移動はそれでなくとも目に付く。激戦区に近付けば、戦いの火の粉が降りかかるのを免れることはできないでしょ?全滅を回避するためにも、二手に別れたほうがいい。」

カカシは譲らなかった。

「火影様も容認していることだよ?半分は死ぬ算段で、それを見越して余分に派遣してる。そうでしょ、アスマ?」

カカシの容赦ない言葉は、しかし全て真実だった。前線の部隊の戦況はかなり思わしくなく、既にアスマ達に先んじて、追加戦力の部隊が派遣されたところだった。前線の部隊は残る医療と救援物資の到着を、今か今かと待ちわびているはずだ。
アスマは憮然とした態度で、沈黙したままだった。アスマはその沈黙を以って、了承の言葉の代わりとした。
その様子をカカシは不思議に思った。かつてのアスマらしくない、と。

「あんたさ、変わったね。腑抜けになった。」

辛辣な内容にそぐわない、のんびりとした口調でカカシは言った。詰るつもりではなく、つい正直な感想を言ってしまった、という風に。
アスマは煙草を口の端に咥えながら、苦笑した。

「あぁ?俺は昔から腑抜けだったぜ?」何か考えるように煙草の煙を見つめながらアスマは言った。

「だから暗部を抜けた。」

カカシはアスマとの気安さから、面を外した素顔を晒していた。その無表情な素顔が、アスマの言葉に少しだけ揺れた。2年前アスマは突然言った。

俺ぁ、今日で暗部を抜けるぜ。

冗談だと思って聞き流していた言葉は真実だった。翌日にはもう暗部からアスマの姿は消えていた。その時になって初めて、アスマがもう随分と前から転属願いを出していて、足抜けをするために必要な、相当数の任務をこなしていたことを知った。暗部を抜ける。それはアスマにとって突然のことではなかったのだ。そのことにカカシはとても驚いた。アスマは実力もあったし、強靭な精神力にも恵まれていた。大きな怪我も脆弱な神経による人格崩壊もなかったのに。どうして。2年前訊けなかったことを、カカシは今、口にしていた。

「どうして暗部辞めちゃったの?勿体無い。」

アスマは、さぁな、とカカシの言葉を軽く流しておいて、その後独り言のように呟いた。

「始めのうちはよ、俺も有頂天だった。暗部という精鋭に選ばれて。自分の強さに自惚れてたぜ。俺が里を救ってやってるんだってな。いい気になってた。だが、それが高度な技を凌ぎ合うような、忍の戦いのうちはまだよかった。相手が忍でも何でも無え、ただの無力な人間の時、俺は、あぁ、向いてねえなと思ったのよ。罪悪感じゃねぇ。相手が女子供でも、殺す手に躊躇があったことも無え。だがよ、」

そんな自分が憐れに思えたからよ。

カカシはアスマの言う事の全ては理解できなかったが、少しだけ、分かるような気がした。
カカシは暗部の世界が好きだ。戦いに優れている自分は、戦いの方法しか知らない。その世界でしか生きていく術を持たない。
物心ついた時からカカシは戦場にいたので、他の世界を知る機会も無かった。それについて何も不満に思ったことはないのだが、時々ふと。ふと、他の世界はどんなだろうと夢想することがある。
他の世界を知ってみたいような気がする時が。
だが、それと同時にいつも恐怖を感じた。戦いの無い世界。死の臭いがしない場所。
そんなところで俺は生きていけるのか、と。
だからカカシはアスマを少し羨ましく思った。暗部を抜けて里に身を置くアスマ。カカシが稀に帰還する木の葉の里は、どこか他人行儀でカカシを受け入れることを拒んでいるかのようだった。それだけでカカシは、ここは俺の場所じゃないな、と諦めた。しかし、アスマはどんな世界も渡り歩いていけるのだ。自分で進んでいくその強さを。少しだけ、羨ましいと。

「ふうん。そんなに里はいいもん?あんな愚鈍な奴らとつるんでて、楽しいわけ?」

カカシは自分でいいながら、医療部隊の面々を思い出して反吐が出そうになった。
特に、あの。黒い括り髪の、鼻の上に傷のある、あの男。
医療部隊とはいえ、同じ忍びを名乗っているとは。
カカシは思わず渋面を作った。

「ああ、まあ。俺は楽しいぜ?」アスマは本当に楽しそうに笑った。

「暗部に戻りたいと1度も思ったことがねえほど、な。」

アスマはわざと、カカシも暗部を辞めてみたらどうだ、と軽口を叩いて、カカシの機嫌をもっと悪いものにした。


続く