(13)


ちらちらと降り出した真っ白な雪が、カカシの銀色の輪郭を薄くなぞっていた。
月の無い暗い夜空に、その雪の白さが僅かばかりの色取りを添えていた。

早く帰ってこないかな。

カカシはイルカのアパートの階段の下に佇んで、イルカの帰りを待っていた。冬の寒さに凍えた指先を、上着のポケットの中で閉じたり開いたりしながら、イルカが帰るのを待ちつづけていた。戦地でイルカに拾われて以来、カカシはこうしてイルカのアパートを度々訪れるようになっていた。

あれからもう2ヶ月になるのか。

しかしその鮮烈な記憶は色褪せることなく、今思い出してもカカシの内側を熱く濡らす。
2ヶ月前。イルカはカカシを背負ったまま戦地を渡り切った。道中傍目からも限界であったイルカを心配して、仲間は皆カカシを置いていくようにと諫言した。しかし、イルカは頑として首を縦に振らなかった。イルカは強情でしぶとかった、と後にアスマが述懐するところとなる。お前なんか捨てとけと口を酸っぱくして言ったのにな、と憎まれ口を叩きながら、実際はイルカの後方を気遣うようについてきたことを、イルカから聞いていた。
カカシ自身に意識があったら、やはり置いていってくれるように頼んだかもしれないが、イルカに背負われて間もなく意識を飛ばしていた。カカシも限界だったのだ。
目が覚めたら木の葉の病院で、傍らにはイルカがいた。ずっと目が覚めなかったのだ、とイルカがカカシに告げた。

これからは、こんなのご免ですよ。もっと自分を大切にしてください。

イルカが怒りながら泣いていた。カカシは不謹慎にもイルカの涙を嬉しく思ってしまった。もっと泣いて欲しいような衝動を押さえながら、カカシは言った。

それじゃ、教えて。大切にする方法が分からないから、あんたが教えてみせて。俺を大切にして?

その時イルカは顰め面をして、今更ながら自分の拾ったものの厄介さに気がついたようだったが、全く、と呆れたように呟いただけで後は何も言わなかった。
だからカカシは退院するとすぐにイルカの家に押しかけた。

あんたが拾ったんだから。宝物なんでしょ。大切にしてください。

当然のことのように、滅茶苦茶な理屈を引っさげて。



思い出して、カカシはひとり忍び笑いを漏らした。その時、カカシさん、と驚いたように自分を呼ぶ声がした。
暗い夜の下だというのに、その姿は暖かい灯を燈したようにカカシの目にはハッキリと映った。

「もう任務から帰って来てたんですか。...まさかずっと外に?家の中で待っていれば良かったのに....どうして何度言っても無茶するのかなあ。風邪ひきますよ、もう!」

心配して怒ったり窘めたりと忙しいイルカに、カカシが三日月の形に目を細めて笑った。

「だって、はやくおかえりなさいって、言いたかったから。」

少しでもはやくイルカに会いたかったから。
待ちきれなくて。

カカシがそう言うと、イルカは顔を赤くして困ったような顔をした。

「全く。そんなことのために...」文句を言いながらも最後の方はゴニョゴニョと小さくなる。イルカが照れているのだと分かった。

「おかえりなさい、イルカ。」

カカシはそう言ってイルカの首に自分のしていたマフラーを巻いた。

「帰り道、寒かったデショ?」

イルカが瞬間息を詰めて、真っ直ぐにカカシを見つめた。なんだか泣きそうな顔をしている、とカカシは思った。それがどうしてなのかわからなくて少し戸惑っていると、突然イルカが手を繋いできた。瞬間ピクリとして引きそうになったカカシの手を、指先を絡めてキュツと握りこむ。イルカがこんな風にするのは初めてのことだった。カカシは驚いてイルカの顔を見た。イルカはカカシの視線を避けるように少し俯いて、やはり怒ったように言った。

「あんたの方が、こんなに冷たい...。」

カカシは胸がカーッと熱くなるのを感じた。もしかしたら、顔も随分と赤いのかもしれなかった。指先から伝わるイルカの温もりが、凍えたカカシの体にゆっくりと広がっていく。

この2ヶ月、カカシはイルカのところに入り浸りながら、1度もその思いを口にしたことは無かった。勿論触れるようなことも。
カカシにとってイルカは特別な存在だったが、イルカはそうじゃないと分かっていたからだ。
仕方無いですね。カカシがイルカの家を訪ねるとイルカはいつもそう言いながら、決してカカシを拒むことは無かった。けれど、それは特別というわけじゃないのだ。
何十回と切ない我慢を重ねなければならなかったが、カカシは焦らなかった。確実に絶対に。手に入れるつもりだったから。

そして今、ようやく少しばかり自惚れてもいいような気がしていた。カカシは俯いたイルカの顔を、繋がれていない方の右手で上に向かせた。イルカはまだ怒ったような顔をしていた。カカシは緩く微笑むとイルカの唇にふうわりと唇を重ねた。瞬間繋いだ手にギュッと力が込められた。カカシはすぐに唇をはなし、イルカの様子を伺った。イルカは茫然として目を見開いていたが、特に抵抗の素振りも見せなかったので、カカシは角度を変えてまたすぐに口付けた。どうして今まで我慢ができたのか不思議なほど、荒ぶる感情が熱となってカカシの身体中を駆け巡り、熱の疼きが解放を求めてカカシを狂おしいほどの欲求へと駆り立てる。堪らず舌を差しこんで深く口付けると、イルカが少し身を捩った。性急過ぎるかもしれないという懸念がちらりとカカシの脳裏を掠めたが、抱き寄せる手の力は強まるばかりだ。

もう、待てそうに無かった。


続く