秋はマツタケ狩り

 

 

 

「カカシ先生、今日はご馳走ですよ!」

 何故か得意げにイルカが胸を反らして、手に握った代物をどうだとばかりにカカシに見せた。

 イルカが握っていたもの、それはマツタケだった。

「同僚がお裾分けしてくれたんですよ、田舎から送ってきたらしくて…」

 秋の味覚の帝王マツタケ。

 それはイルカが滅多に味わう事のできない贅沢品だった。

 薄くスライスして半分は土瓶蒸しにして…

 残りは炭火で炙ろうか…そうだ、酢橘はあったかな…?

 イルカがウキウキと心を躍らせていると、目の前のカカシもまたポウッと頬を赤く染めた。

「ええ?あの……イルカ先生、そんな小さいマツタケで足りるんですか…?」

 もじもじと体をくねらせるカカシが、照れたように畳にのの字を書くのを、イルカは不吉な気持ちで見詰めていた。

 カカシの鼻からは赤い滴がぽたぽたとたれている。

 また絶対変な事考えてるよ……

 イルカはフウと溜息をついて、

「カカシ先生…何を勘違いしてるか知りませんけど、これは夜のおかずですからね…!」

眉を吊り上げて釘を刺せば、

「よ、夜のオカズだなんて、イルカ先生なんて大胆な…!そうですね、マツタケはイルカ先生のオカズで、マツタケを咥えたイルカ先生は俺のオカズですね…!」

 何処となく不穏当な発言をしながら、カカシが股間を膨らませる。

 言い方が不味かったかとイルカは自分自身に舌打ちして、

「カカシ先生…マツタケを食べるのは上の口です。」

 さっくりニッコリとカカシの妄想を切って捨てた。

 同時に、なんちゅう事を言ってるんだ俺、と羞恥と物悲しさに目頭が熱くなる。

 結婚して半年。カカシの不可解な鼻血の原因も、風船の様にすぐに膨らむ股間の理由も、イルカは誤りなく理解できるようになっていた。

 畜生…こんな理解力を深めたくはなかった……!

 変態の思考に理解を深めて一体何になるというのだろうか。しかも、理解できても根本的なところで止める事はできないのだから、何処となく不毛だ。

 そしてこんな変態を、それでも好きだっていうんだから、もっと不毛だ……!!

「一本数万円もする国産マツタケを、あんた何処に咥えさせようとしてるんです?」

イルカは腹立ち紛れにティッシュを取ると、カカシの鼻の穴にぐいぐいと捻じ込んだ。

「痛い…っ痛いでず、イルガ先生…ちゃ、ちゃんと分がってまずよ…」

 嫌だなあと鼻をふがふがさせながら、カカシが引き攣った笑顔を浮べる。

 絶対に嘘だ。黙っていたら、確実に突っ込まれていた。

イルカはカカシの盛り上がった股間をじと目で見詰めながら、

 安いものならともかく…こんな国産の高級品を、危うく無駄にしてしまうところだった…勿体無い……

 全くずれた方向で、ホッと胸を撫で下ろした。

「しかし、こんなものがそんなにいいですかねえ…」

 カカシはイルカの手からマツタケを奪うと、しみじみと見詰めながら呟いた。マツタケを握る手つきが限りなく怪しい。しかも何だかハアハアし始めていた。

 気違いに刃物、カカシにマツタケ。

何だか危ない組み合わせだ、とイルカは慌ててカカシの手からマツタケを引っ手繰った。興奮のままに押し倒されたら、幾らイルカが嫌だと言っても聞いてもらえないのだ。

はやくマツタケの安全を確保しなくては…!

イルカは目にも止まらぬ包丁さばきで、タタタタタン!とマツタケを三十六枚切りに超薄切りスライスにすると、ようやく安堵する事ができた。これでもうよからぬ事には使えまい。

「今日はマツタケを土瓶蒸しと炭火焼にするつもりでしたけど…そんな風にいうならカカシ先生の分はありません。」

 イルカが口を尖らせると、焦ったようにカカシが言葉を続けた。

「違います…そういう意味じゃなくて…こんなものでよかったら、俺、沢山はえているところを知ってるんですよ。」

「えっ!?

 カカシの思わぬ言葉にイルカは大袈裟な声を上げた。

「確か以前任務に就いた帰り道…人が入らないような大分山奥ですけど。ありがたみも感じないほど、マツタケが密生してましたよ。まるで一面に広がる絨毯の様に。」

「えええっっっ!?

 そんなまさかと思いながらも、イルカの心はもう遙か彼方にトリップしていた。

 だって秋の味覚の帝王だ。一本数万円の代物だ。

 そのマツタケがありがたみもないほど密生。

 マツタケ絨毯とペルシャ絨毯ではどちらが高価だろうか。

 そんな馬鹿な事まで考えてしまったイルカだ。

 兎にも角にも、それはイルカにとってまさに夢のような光景だった。

「カカシ先生っ!!

 イルカはがしっとカカシの両肩を掴んだ。

「俺を是非、その山へマツタケ狩りに連れて行ってください!お願いします!!

イルカに迷いはなかった。

 それが悲劇への幕開けになるとは、マツタケに目の眩んだイルカはその時気付く事が出来なかった。 

 

 

 

「あのう、カカシ先生…まだ着かないんですか…?」

早速次の休日にマツタケ狩りに出かけたイルカは、美しい紅葉に彩られた山道を歩きながらも、浮かない顔をしていた。夜明けの暗い時分に出発したというのに、日は既に傾き始めていた。

一体何時間歩いたんだろう……

もう随分歩いたというのに、前を行くカカシは全く足を止める気配はない。昼食の時に少しばかり休憩しただけだ。

イルカは山歩きが好きだった。しかもマツタケ狩りという贅沢なオプションつきとあれば、多少のきつい行程も苦にはならない。 

しかしそれにしても限度というものがあった。

清々しい空気を吸い込み、秋の山を散策する楽しさは今はもう感じなかった。歩いているのも険しい獣道で、忍びの足でなければ進むのも無理なようなところだ。

軽快だったイルカの足取りも、今は疲労に重いものになっていた。しかも。

 何だか同じ所をぐるぐる回っているような気がする…

 嫌な予感に額を伝い落ちる汗を拭いながら、イルカは先導するカカシにもう一度声をかけた。

「マツタケは何処にあるんですか…?」

 そこはかとなく恨みがましい声になってしまうのも、仕方の無いことだろう。

 カカシはイルカの言葉にビクリと体を震わせて、恐る恐るといった感じで振り返った。その視線が所在無く泳ぎ捲くっている。

「え、えと…も、もう少しですかね…?」

 えへっと小鳩が首を傾げるようにして可愛い子ぶるカカシに、

 ンな訳ねえだろ!?

 イルカは心の中で即突っ込みを入れた。

 見渡す限り松の木がないのに、マツタケがあるわけねえだろ!?何がもう少しですかね、だ!!この大嘘つきのすっとこどっこいが…!!

 散々悪態を吐いてガックリと肩を落とす。

 そういえばカカシ先生…昼ご飯の時も好物のタラコのお握り残してた……あの時に気付くべきだったんだ…!

 それなのに俺はマツタケに浮かれて、取り返しのつかないことを…!

 イルカは自分の無用心さに歯軋りをした。

「道に…迷ったんですね?」

 地を這う様な低い声でカカシに問えば、わざとらしい笑顔がヒクリと引き攣る。それは最悪の事態を告げていた。

「まさか…俺達遭難したんじゃないでしょうね…?」

「実は…そうなんです、なんちゃって☆」

 今の洒落なんですよう、気付いてました?アハッと開き直ったかのように笑うカカシに、イルカはがくりと膝をついた。

 怒りを上回る疲労がイルカを襲っていた。

 おかしいと思ったんだよ、こんな獣道を…ってか、天下の上忍が道に迷ったって、どうよそれ…!?

 カアと鳴きながら頭上を過ぎる鴉が、自分達を嘲笑っているかのようだった。

 遭難した上にマツタケの収穫も無し。

 まさにイルカが考える最悪の結末だった。

「俺達、どうなるんですか…?」

 その場にぺたりと座り込めば、イルカのお腹がグウと鳴った。よく歩いたのでお腹もペコペコだった。冷たい夜風にイルカがブルリと体を震わせると、

「大丈夫ですよ、イルカ先生!」

 カカシはイルカを励ますように、親指をぐっと突き出して自信たっぷりに言った。

「実はこういう事もあろうかと、拾った白い小石を道に落としてきました…夜になって月が出れば、月明かりに光る石を辿って帰れますよ!」

 なんかそういう童話、あったなあ……

 イルカは目の縁にジワと込み上げるものを感じながら、

「カカシ先生…そんなんじゃなくて、もっと確実な方法はないんですか…?忍犬を口寄せするとか…?」

 弱々しく問えば、

「それには俺も体力を使い過ぎました…無理です。」

 あっさりとカカシは首を横に振った。

 そ、そんな……!

 イルカは遂に我慢していた涙が堪えきれなくなるのを感じた。

 別にイルカとて忍びの端くれ、サバイバルが苦手なわけじゃない。何時かは山を降りて、無事家まで帰れるだろう。

 そんな事を心配しているのではなく、マツタケに釣られてこんな失策を踏んでしまった、自分自身を情けなく思っての涙だった。

 ううう…大体変態行為以外にアンテナのきかないカカシ先生を信じるなんて、最初から間違っていたんだ…!

 ボロボロと大粒の涙を瞳から溢れさせると、

「イ、イルカ先生…!?

 カカシが急にオロオロとした声を上げた。

「ゴメン…ゴメンねイルカ先生…な、泣かないで…俺がいけなかったよね…で、でも、もう少し行けば、もうちょっと歩けばマツタケが見つかるかと……」

 そこまで言ってカカシは顔を俯け、そして小さく続けた。

「そうしたら、イルカ先生のとびきりの笑顔が見られるかと…俺…俺……欲張りでした…」

 ゴメンなさい。

 項垂れるカカシにイルカは止まらぬ涙を擦った。

 今イルカの瞳から零れているのは、己の情けなさに対するものではなかった。

 欲張りって何だよ…

 俺の笑顔が見たいってのが欲張りだって言うのか…

 なんてささやかな欲なんだろうとイルカは胸が熱くなった。

 大体、自分の事でも何でもないじゃないか…

 相変わらず馬鹿だなあ、この人…

 馬鹿で馬鹿で…そんなところが堪らなく好きだなあ……

 くそ、と小さく罵りながらも、イルカは一生懸命涙を拭った。早く笑って、月が出るのを待ちましょうと言ってやりたかった。それまでは肩を寄せ合って寒さを凌ぎ、少し疲れた体を休めるのもいい。

 それでも溢れる涙に目元がひりひりとするほど擦っていると、

「イルカ先生…!マツタケ、マツタケですよ…!マツタケがありましたよ…っ!!

 早く早く、見てくださいっ、とカカシが突然大声で叫んだ。

「ええっ!?

 そんな馬鹿なと思いながらも、驚きに一瞬イルカの涙が止まった。曇らぬ視界で辺りを見回せば、カカシの姿が忽然と消えていた。

 ええええ?カ、カカシ先生は一体何処に…!?

 すっかり涙の退いてしまったイルカが、キョロキョロと慎重に辺りを探ると、

「こっちですよ、」

 もう一度カカシの声がした。

「カカシ先生…?」

 イルカは声のした方へと急いで視線を向けた。

 その瞬間イルカは度肝を抜かれた。

 イルカが目を向けたそこには。

 木の根元に不自然なほどの枯葉が山を作っていた。

 その枯葉の山は横に180pほどに渡って伸びていた。思い当たる事の多すぎる小山だ。

 そしてその小山の真ん中辺りから、にょっきりとマツタケが顔を出していた。

よく見知った色・ツヤ・形のマツタケが。

 ……捨て身だ、カカシ先生……

 イルカはバクバク言う心臓を押さえながら、思わずよろめいた。

 この上なく変態臭い状況だった。

変態臭いというよりは、まるっきりの変態だ。

それなのに最初の衝撃が過ぎ去ると、イルカは何処となくカカシにいじましさを感じていた。何だか胸が温かいものでゆっくりと満たされていくようだった。

 正気か俺は…?

 イルカは自分自身に呆れながら、不穏な小山に近付いた。

「マツタケってこれの事ですか…?」

「そうです。」

即座の返答は忍術を使ったらしく、別の方向から聞こえた。

だけど、印を組むために枯葉がガサガサ動いてるんだよなあ…

何のための忍術かと頭を抱えながらも、

「…俺の知っているマツタケとは違うようですが…それにマツタケの根元に何だか丸いものが……」

 イルカは馬鹿馬鹿しい事を口にした。

 するともっと馬鹿馬鹿しい答えが返って来た。

「それは世界三大珍味のトリュフですよ。よかったですねえ、マツタケ以外にトリュフまで!」

 一生懸命な様子でカカシが捲くし立てる。カカシはあくまでもマジだった。

「マツタケ狩りができてよかったですねえ…!だからイルカ先生…もう…もう、泣かないでください…!」

 泣き顔は嫌ですよう、と情けなく呟くカカシの声の方が、えぐえぐと涙混じりだ。

 ……全く。俺の笑顔の為に普通ここまでするか?

 その努力の方向性は遙かに間違っているのだが、その間違った努力を愛しいと思うんだから仕方が無い。

 参った。俺も変態かもしれない……。

 イルカは苦笑しながら、落葉の山を手で払った。

 すると枯葉の中から、涙と鼻水でぐちゃぐちゃのカカシの顔が出てきた。

 可愛い…。

 イルカは顔を綻ばせて、その唇にチュッと優しく口付けをした。

 途端にブッとカカシの鼻から赤いものが噴出し、次いでマツタケからビュッと白いものが噴出す。

 そんな反応にももう慣れてしまったイルカだ。

 鼻には持ってきたティッシュを詰めてやって。

 マツタケの方は。

「まあ、確かにそうですねえ…俺はこのマツタケがあれば十分ですよ。」

 秋の味覚ではないですけどねえ、と笑いながらパクリと丹念に舌で味わってあげた。大分脳内がカカシ菌に侵されていた。

「あ…っ、あっ…イ、イルカ先生…っ、お、俺…俺…っ」

 カカシはハアハアと息を乱しながら、さっきまでの涙が嘘の様に、もう満面の笑顔を浮べていた。

「このマツタケでよかったら、幾らでも食べさせてあげます…!俺…俺…頑張ります…!!

 このカカシ先生の笑顔が見られるなら、俺も捨て身で頑張るぞ…!

 イルカもまたカカシの言葉に嬉しそうに頷いた。

 そしてその晩、イルカは豪華マツタケ尽くしのフルコースをたらふく味わう事になった。

もうお腹一杯です、と泣いて叫ぶまで。

 

 

 

 

 結局下山途中で、イルカは本当にマツタケが密生してる場所に出くわした。カカシの言葉は真実だったのだ。

 沢山のマツタケを持ち帰るには帰ったのだが、イルカはそれを受付所の皆に全部配ってしまった。

「こんなに高級品を…いいのかよ?」

 遠慮を見せる同僚に、イルカは唇を一文字に硬く引き締めて、難しい顔でポツリと呟いた。

「なんだか…今年はマツタケを食べ過ぎて食傷気味で…。見るのも嫌なんだ…。」

 イルカの言葉に、

「贅沢な事言ってるなあ!やっぱり稼ぎのいい伴侶を持つと違うねえ!」

 羨望を込めて同僚がワハハとイルカの肩を叩く。

 イルカは乾いた笑みを浮かべながら、そっと目尻に浮かぶ涙を拭った。

 また嫌いな食べ物リストにひっそりと、項目が追加されてしまったイルカだった。

 

                    (終わり)