窓に映る


あ、まただ。

イルカは視界の端に陽光に輝く銀髪を捕らえて、今度は意識的に視線を向ける。
遠くのベンチに座って、銀髪の主はたけカカシが何やら指先で小窓のような形を作って、その中を覗き込んでいた。

いつもしてるよなあ、あれ。

イルカがカカシを見掛ける度に、正確に言うとそれは大抵カカシが一人の時なのだが、必ずと言っていいほどあの指先で作った小窓の中を覗きこんでいる。

何をしているんだろう。

イルカはそれがとても気になった。その小窓を覗き込んでいる時のカカシの表情が、ひどく優しいものでありながら何処か悲しみを帯びたものだからだ。機会があったら訊いてみたいと思いながらも、何故か触れてはいけない事のような気がして、イルカはいつも訊けず終いだった。それにカカシとはナルトを通じて知り合ったものの、相手が上忍ということもあり、気軽に会話できるほどの間柄ではなかった。

尚もイルカがじっと見つめていると、その事に気付いたカカシがニッコリ笑ってちょいちょいと手を招いてみせた。
カカシの仕草にイルカはハッと我に返った。自分の不躾な視線に気づかれた、とイルカは顔を赤くさせたり青くさせたりしながら、ギクシャクとカカシのいる方へ歩み寄った。

「コンニチハ〜イルカ先生。」

独特の間延びした喋り方で言いながら、カカシはベンチの真中に座っていた自分の体を端に寄せて、イルカの為に席を空けた。

うっ、俺に座れって言うのか。

イルカは一瞬怯みながらも、仕方なく腰を下ろした。別にカカシのことが苦手という訳ではなかったが、こうして隣同士に座って話をするのはどうも緊張する。何せ今までまともな会話は、受付所でしか交された事がなかったのだから。それも大抵はナルト絡みの任務の話だ。カカシがニコニコとイルカを見つめたまま黙っているので、その緊張は更に高まった。

「イルカ先生、俺のことをじっと見てたでしょう?」突然カカシは単刀直入に言った。

その問いに何と答えようとイルカがわたわたしていると、カカシは更に言葉を重ねて止めを刺した。

「いつも見てるよね、俺のこと。」

き、気がついてたのか!!

カカシの言葉にイルカは狼狽した。カカシに気が付かれていたのだ。あの小窓を作るカカシを見掛ける度に、自分が足を止めてじっと見つめていたことを。恥ずかしい、とイルカは思った。こんなことならもっと早くにカカシに尋ねていれば良かった。カカシはさぞ自分のことを変に思ったことだろう。変どころか、失礼な奴だと不快に思っているかもしれない。そう思った途端、イルカは既にカカシに向かって頭を下げていた。

「も、申し訳ありません!」

カカシはそれが思い掛けない言葉だったようで、「えっ、何で謝るの?」と心底不思議そうに言った。
その声にイルカも自分の先走りを悟って、思わず顔を上げた。そして吃驚して固まってしまった。顔を上げた自分の目の前に指先で作った四角い小窓があった。カカシがそこからイルカを覗き込んでいた。イルカは息を飲んだ。いつもと同じように、カカシはとても優しい表情をしていた。けれどもいつもと違って、その表情に悲しみの影は無かった。

「それ、何ですか...?」イルカは我知らずそう訊いていた。今なら訊いてもいいような気がしていた。悲しみの影の無い今なら。

カカシは小さく笑って言った。

「これはね、『きつねの窓』って言うんです。昔四代目が俺達に話してくれた、何てこと無いお伽噺なんですけどね。」

もう内容もうろ覚えなんですけど。
きつねの子がね、何かのお礼に指先にまじないをかけてくれるんです。
その指先で小窓を作って中を覗くとね、死んでしまった愛する人や失ってしまった大切な想い出が見えるんです。
そんな話、ずっと忘れていたんですけどねえ。
なんだか大人になってから、矢鱈と思い出すようになって。

「こうやって覗くとね、俺にも見えるかなと思って。」

馬鹿でしょ?と笑うカカシの顔は思いの外さっぱりしていて、返ってイルカの胸を締め付けた。カカシがあの窓を覗いていた時の気持ちを考えると、どうしてだか自分の心がひどく痛んだ。ずっと気になっていた。カカシの、あの優しくて悲しい顔が。ずっと。そう、自分が気になっていたのはあの小窓ではなかったのだ。それを覗くカカシの表情だったのだ。何がカカシを悲しくさせているのか知りたかった。でも、だからこそ訊けないでいたのだ。今ようやく気がついた。

イルカはカカシに何か言いたいのに何を言っていいのかわからなかった。自分の眉尻が下がるのが分かった。

「ああ、そんな顔しないで?イルカ先生。想い出は映らなかったけど、もっといいものを映してくれたんだから。」

ほら、とカカシが窓からイルカを覗きこむ。

「この窓の中で、いつもあんたが俺を見てた。」

カカシが指先の小窓を覗き込む度、何も見えないはずのその中にイルカの姿があった。イルカが立ち止まってこちらを見ていた。とても優しい目をして。指先の窓を解いてもイルカの姿は消えない。イルカは過去の失われた想い出ではなかった。窓なんて覗かなくても、触れることの出来る、確かな存在。

「もう窓は覗かないから、」

だからこっちへ来て?窓の枠を飛越えて。

今までに見たことが無いほどの笑顔で強請られて、何言ってるんだとイルカは思うのに、広げられたカカシの腕に何故か自分からすっぽりと収まってしまった。あの優しくて悲しい顔をもう見なくてすむのだと、何処か安心しながら。


終り
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