三年目の危機

 離婚してやる…!
 イルカはギュッと閉じた目蓋の縁に涙を滲ませながら、心の中で息巻いた。
 一時の激情と侮る事なかれ、本気も本気だ。
 変態の中の変態、まさにキングオブ変態であるカカシに懐かれ、流され、ほだされて。
 この変態の面倒は俺が見なくちゃ、と結婚して早三年。
 イルカの想像を遥かに超えたカカシの変態振りにも大分慣れ、世では倦怠が囁かれるこの時期も順風満帆、上手くやって来た筈だったが…
 雲行きが怪しくなって来たのは、最近カカシが嵌まっている新たな変態プレイの所為だ。
 それはイルカの許容範囲を遥かに越えていた。
 幾らなんでもあんまりだ、とイルカは思うのだ。だってそこには愛がない。
 身体の上ではぐちゅぐちゅとイルカの中を突き荒らすカカシの、ハアハアと乱れた息遣いが聞こえる。
 耳元ではカサコソとプラスチックケースの中で大嫌いな黒い生物が蠢く音。
 …黒い生物が、蠢く音。
 目を閉じて視界から追い出してみても、その音だけでぞわわと肌が粟立つ。
 本当に、本当に嫌なのに。
 何度も何度も止めてくれと涙さえ浮かべて懇願したのに。カカシは聞いてくれないのだ。
 それどころか涙を浮かべて抵抗するイルカに、「なんか新鮮…v」とご満悦の様子でさえある。
 こんなの絶対に許せねえ…!
 カカシの無体な仕打ちに、イルカはズズッと鼻を啜り上げた。
 如何にしてカカシがこのおぞましき変態プレイに傾倒していったのか。
 事の発端は二週間ほど前に遡る。
 二人はベッドの上でいつもの如く、夜の夫婦生活を営んでいる真っ最中だった。
「挿れますよ…」と興奮に鼻血を滴らせた流血絵図なカカシにコクリと頷きながら、イルカが冷静に、ティッシュで作ったこよりをその鼻の穴にそっと詰めてやっていた、まさにその時。
 カサカサカサ〜と何処からとも無く、その物体はイルカの視界に姿を現したのだ…!
「ひああああぁぁぁ……っっっ!」
 あまりの驚きに、イルカは突然絶頂でも迎えたかのように、大絶叫して身体をビクビクと震わせた。思わずきゅうっと、カカシを迎え入れた場所にも力が入る。
 予期せぬ締め付けにカカシもまた驚いた表情を浮かべながら、「うう、」と呻いて腰の動きを止めた。
 どうやらもって行かれそうになったらしい。
「イ、イルカ先生…イきそうな時は前以て教えてくださいって言ってるデショ…!酷いですよ、挿れたばっかなのにいきなりきゅうっと締め付けるなんて…!気持ちい〜じゃないですか…!」
 何とか危機を乗り越えたカカシが、熱い息を吐きつつも恨めしげに訴える。
「な、何馬鹿な事言ってんですか…?ぜ、全然イキそうじゃないだろうが…っ!見て分かれ…!」
 目の端で黒い物体の動きを確認しながら、イルカが萎えた下半身を指差して見せると、
「ふふ、何?硬くして欲しいの…?」
 話の流れを一切無視したカカシに嬉しそうにニギニギされて、全く埒が明かない。
 そんな事言ってねえだろうが!とイルカは突っ込んでやりたいのだが、今はそれどころではなかった。
 だって、天井の隅っこにぺたりと張り付く、黒光りする小判のような物体がカサコソと…こちらに向って…
 イルカの視線はカカシの背後に見えるその黒い物体に釘付けだった。長い触角を揺らしているそれは、結構な大物だ。
 ま、間違いない、あ、あれは俺の大嫌いな…ゴ…
 頭文字を思い浮かべただけで、イルカはおぞぞと背筋を震わせた。その名前をはっきりと口にするのもおぞましい。
 そうなのだ。実はイルカはその厳つい図体に似つかわしくなく、ゴ○ブリが大の苦手という、意外に繊細な一面を持っていた。
 子供の頃水を飲もうとして、流しの下にあった獲物満載のゴ○ブリホイホイに脇の穴から足を突っ込んでしまった暗い記憶が、イルカの中でトラウマとなっている。
 幾ら逃げても逃げても、足の裏にしっかりと貼り付いたゴ○ブリホイホイが剥がれる事無くついてくる、ついてくる……その恐怖。
 侮りがたし、粘着シートの引っ付き度。
 恐るべし、粘着シートに引っ付きながらも生き長らえ、触角を揺らすゴ○ブリの強靭な生命力…。
 びいびい泣いているところを、「靴下脱げばいいでしょう、」と冷静な母親の一言が救ってくれなければ、一体どうなっていた事か…
(それでも自分自身では靴下を脱げなくて、母親に脱がしてもらったのだが)
 思い出しても身の毛の弥立つ出来事だ。
 兎に角それ以来、どうも徹底的に駄目なのである。大人の男が情けないとは思うが、彼奴等の黒いボディの残像がしゅっと台所に走っただけで、暫く台所に立てなくなるくらいのダメージなのだ。
 だから今年も早くからホウサンダンゴを撒き、念には念を入れてバルサンまで焚いたのに。あんなにまるまる肥えた彼奴等の出現を許してしまうなんて…
 イルカは敗北を感じて、ひとり無念の涙を目尻に浮かべた。その間も黒い物体は留まる事無くカサコソと動き回り、イルカを翻弄する。
「うひいぃぃ…っ!」
 その動きにいちいちイルカは大袈裟に反応して、カカシの下でじたばたと暴れた。ついでに自分の中のカカシもまたきゅきゅう〜っと締め付けてしまう。
 するとイルカの上でカカシが切羽詰った声を上げた。
「イ、イルカ先生…っ、はあ…っ、だ、だから駄目だって言ってるデショ…!?…そんなに焦らないで…っ!あっ、あぁ…っ、」
 眉を寄せて切なげな表情を浮かべるカカシは、ひとり壮絶なまでに艶めいている。
 はあはあと暴走モード一歩手前といった様子で、官能に身体をくねらせるカカシと。
 その傍らの壁でカサコソと不吉な音を立て、無軌道に蠢く黒い物体と。
 一見相容れない奇異なコントラストは、しかしどちらもイルカにとって「禍々しい」という点で、不思議な調和を見せていた。
 白銀の変態とその側を駆け巡る漆黒の害虫とが見せるハーモニー…なんだかとても不安を駆り立てられる。
「ち、違うんです…!こ、これは俺が締め付けてるわけじゃ…っ、」
 イルカは必死になって弁明しようとしたが、目の前のカカシはお構い無しだ。
「何が違うの…?」
 ぐいっと案外な強い力で顎をとられ、むっちゅう〜と口付けられる。
「ん…っむぅ…っ」
 口の塞がれたイルカは、それ以上何も言う事ができなかった。
 カカシは散々熱い舌でイルカの口内を蹂躙すると、名残惜しげにようやく唇を離した。二人の唇を銀糸と熱い吐息とが繋ぐ。酷く淫らだ。
「違わないでしょ…?俺が欲しいんだ〜よね…?」
 熱っぽい眼差しで囁きながら、ゆらりと腰を揺らされて。今度はイルカが切羽詰った声を上げた。
「ま、待って…カ、カカシ先生…!動かないでください…っ!ゴ、ゴ○ブリ…!壁にゴ○ブリが……っっっ!!!!」
 色気もへったくれもないイルカの必死の形相に、流石のカカシも面食らったようだった。
「え?ゴ、ゴ○ブリ…?」
 目をパチパチと瞬かせるカカシに、イルカは至極真剣な顔で何度もコクコクと頷いた。
 このままカカシに抜き差しされたら、絶対に壁のゴ○ブリが動いてしまう。
 動いたゴ○ブリがぽとりと布団に落ちてきたら…そしてカサコソと身体の上を這って来たら…ブブブと飛んで顔に乗ってきたら…と、こんな時だけイルカは妙に想像力が豊かだった。
 兎に角怖くて仕方がない。
「そこ…そこの壁のところにいるんです…!!は、早く退治してくださいカカシ先生…っ、お、お願いします…!」
 イルカはカカシに向かって、夢中になって叫んでいた。我ながら情けないなあと思ったが、自分では彼奴等を殺る事さえできないのだ。死体をティッシュで摘む事にも勇気がいる。
 イルカはなかなか動かないカカシに焦れてしまって、「早く早く!」とその背中をばんばんと勢い良く叩いてしまっていた。
 するとその振動が伝わってか、カサカサカサ〜と黒い物体が壁を伝い、イルカの方へと猛スピードで降りて来た。
「ひいいい…!」
 移動してきたゴ○ブリに、イルカはまたしても大袈裟に身体を戦慄かせた。
 その瞬間にまたきゅ、きゅう〜!と今までになくカカシを締め付けてしまった。
「う、うう…っ、」
 カカシは呻きながらも、
「そっか…イルカ先生…ゴ○ブリがそんなに怖いんだ…?ハハハ…可愛いですねえ〜!」
 ハアハアと乱れる息の下で、にっこりと優しげな微笑を浮かべ、よしよしとイルカの頭を撫でた。
 ここは感激するところの筈なのに…何故かイルカはおぞぞと背筋を震わせた。
 な、なんかこの人、絶対よからぬ事を考えてるよ…!
 イルカの鍛え上げられた変態アンテナが働いていた。その性能が確かな事を裏付けるように、カカシの鼻先からは詰めたこよりとともにドバッとと大量の鼻血が流れ出し、イルカの中ではあそこがどくっと脈打ち肥大する。
 よく分からないけれど、遂にカカシの変態スイッチがオンになってしまったらしい。
 こうなるとカカシは止まらないのだ!
 あわわわ…!
 イルカは心の中で悲鳴を上げた。
 よりにもよってこんな状況で一体どんな変態行為をされてしまうのか…?
 何をされてもいいから、兎に角ゴ○ブリだけは今すぐ片付けて欲しい…!
 人としての矜持をかなぐり捨てた、最低限且つささやかなイルカの望みは、しかし叶えられる事はなかった。
 カカシは壁のゴキブリもそのままに、イルカの身体をがっちりと押さえつけ、腰を動かし始めた。ぎしぎしとベッドが軋むのに合せて、カサカサカサ〜とゴ○ブリが壁の上を縦横無尽に這い回る。
「ああ…っ、や…っ!止めてください…ゴ、ゴ○ブリが…っっっ!!!!」
 ゴ○ブリが音を立て、近付いたり遠退いたりを繰り返す度、イルカは無意識の内にカカシをきゅうきゅうと締め付けていた。
 その変則的な締め付けがカカシを喜ばせるようで、
「は…っ、こんなの初めて…!イルカ先生気持ちいいー…」
 もがくイルカを押さえつけ、カカシがうっとりと心底気持ちよさげに突き上げてくる。
「カ、カカシ先生…っ!お願いです、な、何してもいいですから…っ、お、俺、なんでもしますから…っ!だから取り合えずゴ○ブリだけは始末してください…っ!」
 涙目で懇願するイルカに、カカシはニコッと綺麗に笑って、実にあっさりと言い放った。
「駄〜目!」
「…は?」
 聞き間違いかと思ったイルカは、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
 だって、こんなに心からお願いしてるのに。
 一瞬の躊躇もなく、「駄目」なんて、そんな酷い…
 だがカカシはあくまでも、「本気」と書いて「マジ」だった。
「んーだって、いつもと違うリズムでイルカ先生の中がきゅうきゅういって…堪んないよ…止められない…これゴ○ブリの所為なんでしょ?だったら殺せるわけないじゃない、」
 しゃあしゃあと言ってのけるカカシに、イルカは眩暈がした。
 マジか…?こいつ…
 ゴ○ブリに対して以上に、カカシに対し殺意が沸いた瞬間だ。
「い、嫌だ…っ、離せ…!」
 ゴ○ブリジェットを取りに行こうと暴れるイルカを強く抱き締めながら、ごめ〜んね、とカカシはこれ以上もないほど優しく囁いて、無情にもいきり立った熱棒を抜き差しした。
 いつもはササッと物陰に姿を隠してしまうゴ○ブリなのに、カカシの変態磁場に捕らえられたのか、そのゴ○ブリは一晩中壁に留まり、トリッキーな動きでイルカを翻弄した。
 そしてそんなイルカをカカシは飽く事無く、一晩中貪り続けたのだった…。
 しかも不幸な事に、それはその日だけに終わらなかった。変則的な締め付けの虜になったカカシはそれをもう一度味わうべく、翌日の情事の際にとんでもないものを用意していたのだ。
 それは。
 生きたゴ○ブリの入った、四角いプラスチックケース……だった。
 カカシはそれをイルカの鼻先に突きつけてみたり、耳元に置いたり、ぺたぺたと身体にくっ付けてみたり。
 その度毎にきゅうっと違った締め付けをするイルカに、カカシは夢中のようだった。
「嫌だ!」「止めろ、」「この野郎…っ!」とイルカは必死になって抵抗したのだが、それは変態を喜ばせるだけだった。
 そしてその後二週間もの間、イルカはその生き地獄ならぬゴ○ブリ地獄を味わっていた。
 もう我慢も限界だ。
 今もカカシはプラスチックケースをイルカの耳元に置き、イルカの上で恍惚と腰を振っている。
 こンの腐れ外道が…っ!やっぱり離婚だ!と込み上げる怒りにイルカが拳を震わせた瞬間。
 プラスチックケースから逃げ出そうと黒い物体がブワワと翅を震わせる音がして、イルカは背筋を這い登る怖気に、身体を大きく戦慄かせた。
 それと同時にきゅうっと窄まった内壁を割り開くようにして、カカシがぐうっと強く腰を押し付け、その最奥に熱い迸りをぶちまけた。
「はあー…気持ちいいー…」
 カカシはうっとりと呟きながら、ゆるゆると腰を回し、
「ねえ。このまま抜かないで、もう一回していい…?」
 悪びれずにしゃあしゃあと訊いてくる。
「ふ、ふざけんな…っ!絶対にやです…!あ、あんた、抜かないまま、もう三回もしたじゃないですか…っ、」
 イルカが涙を堪えながらそう訴えると、カカシが耳元のプラスチックケースをひょいと手に取って、上下にカツカツと振った。その中で頭に「ゴ」のつく黒い物体もカツカツと渇いた音を立てて上下する。イルカはその光景を恐怖の面持ちで見詰めた。はっきり言って怖過ぎる。
「この蓋、開けちゃおうかなあ〜?」
 悪戯っぽく微笑みながら、九月生まれの恐怖の大王が腰を振ってくる…まったく洒落にならない。
 世紀末的な予感に、ついついノストラダムスの大予言をイルカが重ねていると、いきなりプラスチックケースをぺたりと腹の上に置かれた。
「ヒ…ッ!」
 間接的とはいえ大嫌いなものを腹の上に置かれ、イルカは思わず腹に力を込めた。と同時に恐怖に収縮する内壁が、吐精に萎れたカカシの性器をしゃぶるように刺激する。その反応に、カカシはククッと喉の奥で笑った。
「やだって言いながらこんなに俺のをしゃぶって…ほんとはもっとして欲しいんだ〜よね…?」
 身体中のいたるところに何度もプラスチックケースをぺたぺた押し付けながら、その度毎にきゅっきゅと従順にカカシを締め付けるイルカの内部に、カカシが満足げにアッハvと頬を緩ませる。それが物凄く癇に障った。
 やだって言ってんだろ?こンのぉ…!
 イルカはキッとカカシを睨みつけた。
 こっちは一回もイッてないどころか、下半身はその手の昂りも見せていないのに…
 そんな事にも気付いていないのかとイルカは情けない気持ちになった。結婚して三年にもなると、相手を思い遣る気持ちも薄れていくものなのだろうか。浮気も倦怠もないけれど、この変態行為もかなり酷い。
 イルカはなんだか腹立たしくて…それ以上に悲しくて…
「…いい加減にしろってんだ!!この変態野郎がああああ―――――っっっ!!!」
 思わずブチリと切れたイルカは、絶叫しながら鼻血を噴くカカシの鼻にガッと己の太い指先を捻じ込んで、躊躇う事無く鼻フックをした。
「いだだ…っ、いだいっ、いだいです…っ!」
 毎日の鼻血で粘膜の弱ったカカシに、鼻フックはかなりきついようで、カカシは情けない声を上げながら涙をぽろぽろと零した。
 だがイルカは容赦しなかった。
「何が『いだい』だ…!?俺の心の方がよっぽど痛いってんだ―――!!!」
 怒りのままに、おりゃおりゃ〜!とイルカは鼻フックで部屋中を駆けずり回った。その間に畳みに落ちたプラスチックケースの蓋が開いて、中からゴ○ブリが飛び出したが、イルカは最早どうでもよかった。
 怒りが恐怖を上回っていた。
 ていっと丸めた新聞紙でそいつを叩き潰すと、後片付けもそのままに、イルカはアパートを飛び出していた。痛みに呻くカカシを放ったらかしにして。自分の名前を書き込んだ離婚届を卓袱台の上に残して。
 ちょびっとだけ潰れたゴ○ブリの事が気になったが、もうあのアパートには帰らないのだから、考える必要はないとイルカは思った。
 そうしてイルカが逃げ込んだ先は、木の葉の核シェルターとも言うべき火影邸だった。
「そうか!ようやくあの変態男と別れる気になったか…!」
 火影様は手放しの喜びようで、イルカを出迎えた。暫くは仕事も休んで疲れた心と身体をここで癒すがよい、と火影様がカカシ避けの結界を張った絶対安全な屋敷の中で、イルカは日々をぼんやりと過ごした。
 離れてみると幾分冷静になって、
 いきなり何も言わずに飛び出してきて、ちょっと可哀相だったかなあ…
 俺の無骨な指先を突っ込んだ鼻の穴は大丈夫かな…ピーナツが縦に入るほど、穴が広がってないといいけど…
 ふと気がつくと、カカシの姿を思い浮かべていたりする。
 は…っ!何を考えてるんだ…!?いかんいかん…!!!あの男が俺にした酷い仕打ちを忘れたのか…?
 イルカがぶるぶると首を横に振り、カカシの残像を頭から追い払っていると、軒先にチチチと可愛らしい小鳥が飛んで来た。結界はカカシの侵入だけを弾くもので、その他の生物の出入りは自由なのだ。小鳥はその小さな嘴に不釣合いな、大きな封筒を咥えていた。
 カカシの使役鳥だとすぐにピンと来た。
 封筒は随分と肉厚で、イルカは何が入っているのかと気になった。
 ちょっと…見てやってもいいかな…
 イルカは躊躇いながらもその封筒を開封して、「ひ…っ!」と恐怖にそれを放り投げた。
 なんと封筒の中には便箋のほかに、一匹のゴ○ブリの屍骸が同封されていたのだ…!
 い、嫌がらせか…!?とイルカは胸を嫌な具合にドキドキとさせたが、悲しいかな、カカシが自分に嫌がらせなんてしない事はよく分かっている。理解に苦しむけど、きっとカカシなりに何か意味があるのだ。
 それを知りたいと思ってしまうは、どうしてなんだろう…
 イルカはピンセットでゴ○ブリをどけると、やはりピンセットで恐る恐る便箋を開いた。(触る勇気が無かった。)そこにはミミズがのたくるような字で、こう書かれていた。
『イルカ先生ごめんなさい。ゴ○ブリを使ったえっちはもう絶対しません。信じてもらう為に里中のゴ○ブリを殲滅します。同封のゴ○ブリはその誓いの印です。俺は上忍で写輪眼ですから、きっとちょちょいのぱです。そうしたら迎えに行きますから、どうか帰って来てください。どうかどうか、帰って来てください。帰って来てください。カカシ。』
 報告書での達筆なカカシの字を知るだけに、イルカは少し笑ってしまった。
 余程気持ちが乱れていたのだろう。文章も稚拙だ。しかもひょっとするとこの手紙を書きながら泣いていたのかもしれない。その証拠にインクが所々ぽつぽつと滲んでいる。
 いつも猫背な背中を、より一層惨め臭く丸めて…この手紙を…
 イルカはその姿を想像して、ざまあ見ろ…!ちょっとはそうやって反省してやがれ、と口の中で小さく悪態をついた。
 里中のゴ○ブリを殲滅します、って阿呆だなあ…誰がそんな事頼んだよ?大体誓いの印に俺の大嫌いなゴ○ブリ入れてきたら、逆効果だろうが…
 悪態をつきながらも、カカシの阿呆さ加減になんだか胸がほわっとして、イルカは泣きたくなってしまった。
 あんなに嫌だと思ったのに。
 絶対に別れるつもりだったのに。
 もうほだされている。
 この程度の手紙で。
 たった一言、「ごめんなさい」の言葉に。
 ひょっとしたらあのカカシの愛よりも、自分の愛の方が大きいかもしれない、とイルカは思った。
 だってこんな変態を許せるなんて、大概凄いよな…?
 イルカは苦笑しながらも、すぐさま身を翻し長い廊下を駆けた。
 ゴ○ブリの殲滅なんて有史以来誰も成し遂げた事のない偉業を待っていたら、人生が終ってしまう。そんな事を悠長に、待っていられる筈が無かった。
 今すぐカカシに会いたい。
 その一心でイルカが火影邸の門を飛び出すと、
「い、いるかせんせい…っ!」
 思いがけずカカシに呼び止められて吃驚した。
 どうやらカカシは火影邸の外周をぐるぐる回り、中にいるイルカの様子を窺っていたらしい。
 数日振りに見るカカシはヨレヨレでボロボロで、頬は痩せこけ、泣き腫らした目はいつも以上に細く塞がって、ちゃんと見えているのか疑問なほどだ。すっと通った鼻の先は無様な鼻ガーゼで覆われている。心配した通り、鼻フックの傷は案外深かったらしい…。おまけにそのガーゼに開いた二つの呼吸穴からは、ダリッと鼻水が垂れていた。
 物凄く間抜けな顔だ。
 だけどその顔が一番愛おしいと思うのはどうしてなんだろう。
「い、いるか…イルカせんせえ…っ!俺、俺…ご、ごめんなさい……!!!!」
 カカシは慌てたように居住まいを正すと、米搗きバッタの如く、何度も何度もイルカに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…!」
 それしか言葉を知らない子供の様に。カカシは頭を下げ捲くった。その鼻先に、ぷうっと鼻提灯ができる。
 イルカはそれに苦笑しながら、胸ポケットからティッシュを取り出した。慣れた手つきでくるくるとこよりを作る。
 参ったなァとイルカは思った。
 あの鼻水を拭ってやりたくて仕方がない。
 俺も随分とマニアックになって…
 イルカはやれやれと溜息をつくと、カカシに向かって手招きした。
「もう怒ってませんよ…ほら、鼻水拭いてあげますから、こっちへ…」
 来てください、と言い掛けて、イルカはギクリと身体を強張らせた。というのも、カカシの背中の巨大な背負い籠の存在に、今更ながらに気付いたからである。
 背負い籠の口一杯にぎっしりと詰まった、黒い物体。
 あれはまさか…
 イルカは蒼白になった。
 思わず一歩後ずさって動きを止めたイルカに、
「イルカ先生…っ!好きです、大好きです〜〜〜!!!」
 感極まったカカシがうわーんと泣きながら、流石は上忍の物凄い速さで駆け寄ってくる。
 その勢いのままにどーんと抱きつかれたら、絶対にぼとぼとと黒光りする恐怖の大王が降って来る事に…
 それでなくても、揺れるカカシの身体に既にぼとぼとと、道端に黒い物体が落ちている。
 ひいいい…!近寄るなあああ……!せめてその籠下ろしてからにしろおおお……!!!!
 イルカは叫びたかったのだが、あまりの恐怖にそれは声にならなかった。逃げ出したくても、駆けて来るカカシの瞳が、
 俺の事、好き?
 と問いたげに、まだ不安に揺れていて、イルカはその場を動く事ができなかった。
 その後強烈なタックルに、黒光りする恐怖の大王がボタボタと降って来るのだが、それ以上にカカシの唇も至るところ降って来た。
 だが軽く失神していたイルカには、その事を知る由もない。
 その日を境に、イルカのトラウマは更に深刻なものになった。
 しかし、そんな恐怖の対象を写輪眼で手早にささっと時空移送してくれるカカシに、イルカの愛もちょっぴり深まったらしい。

終わり