カカシ日記

(36〜40))

○月某日。
とっておきのコートの為に俺は頑張った。
材料を用意して、裁断や縫製の方法を写輪眼コピーして、一生懸命手作りした。
だって、とっておきといったら手作りでしょ。すごく心がこもってるって感じがするよね!
勿論防寒という本来の目的も忘れていない。品質にもちゃんとこだわった。
俺はわざわざ北海の地の遠方任務を引き受けて、加工前のラッコの毛皮を手に入れた。
1cm四方に10万本という体毛密度のあるラッコの毛皮は、保温力に優れた最高級品で、べっこうのような色合いと滑らかな手触りがなんともいえない。
きっとイルカ先生も気に入るよね…!
でもラッコだけじゃ足りない気がして、俺はセーブルだの、ミンクだのチンチラだのも金にものをいわせて取り寄せて、いろいろと継ぎ接ぎした。
気分が乗ってきて、お揃いの帽子も作ってみた。
裏地にはイルカの模様をシルクの糸で刺繍した。ちょっと俺からのメッセージも込めて、ハート模様も混ぜてみたり…
一針一針心を込めて、三日三晩不眠不休で作り上げた。
その間もイルカ先生のうちに夕飯を食べに行く事だけは欠かさなかった。
長時間にわたる写輪眼の使用でへろへろだったけど、これだけは欠かす事なんてできない。
目の下にくっきり隈を作り、息も絶え絶えな俺に、
「あんた、なんて面してんだ…どこか身体の調子が悪いんじゃないのか?」とイルカ先生は顔を顰めていたけど。
ここで真実をばらす事なんてできない。
だって、コートの事は内緒にして、後で吃驚させるんだから。
俺はくふふと口に手を当て小さく笑いながら、
「大丈夫です、何処も悪くありません。それよりもイルカ先生あーんしてください!」
その一点張りで、追求してくるイルカ先生を押し切った。
イルカ先生は何か言いたげにしていたけど、いつもの如く諦めたように溜息をつくと、あーんと口を開ける俺に食べ物を詰め込んだ。
俺はそれをもぐもぐと噛みながら、コートを渡した時の事を想像してうっとりしていた。
ああ〜楽しみだ〜よ…!イルカ先生、すっごく感激して、ひょっとしたら「あーん」以上の事を俺に許してくれるかも…。
トリップしていたら、
「…シ先生、あんた俺の話聞いてましたか?」
イルカ先生の怒ったような声に、現実に引き戻された。
うわ、どうしよう。聞いてなかった。イルカ先生怒ってるみたい…
俺は焦って咄嗟に、「勿論聞いてましたよ〜!」と答えていた。
「そうですか。ならいいですけど…」
イルカ先生はそう言いながらプイッと顔を背けてしまった。
まだ怒ってるのかな〜…?嘘ついてるのバレた…?
ちょっと不安になっていると、イルカ先生がまた俺の口に料理をもきゅっと押し込んだ。
いつもどおりのイルカ先生だ。俺はホッとしながら、また来たるべき瞬間を思って、ひとり脳内トリップしていた。
暴走する想像に俺はたまらない気持ちになって、
「楽しみですねえ…!」
気がつくと俺はそんな事を口走っていた。
何口に出して言っちゃってんの…!?追求されて、ばれたらどうすんの?と本当に焦ったが、イルカ先生は俺の不審な叫びが気にならないようで、何も言わなかった。それも不思議だなあと思ったけど、何故かイルカ先生が顔を赤くして、憮然とした表情を浮かべている方がもっと不思議だった。

(註・ラッコの毛皮はワシントン条約違反です)



○月某日。
また雪が降った。チャンス到来だ。
コートの一枚も買えず、寒さに震えるイルカ先生の肩に、さりげなく俺の手作りコートをかけてあげるんだ!
早速イルカ先生を迎えに行かなくちゃ…!
大急ぎで出来上がったばかりの手作りの毛皮のコート(+帽子)を小脇に抱えると、ズシリと重くてちょっとよろめいてしまった。
調子に乗って毛皮を継ぎ接ぎしていたら、何だか物凄い厚みになってしまったのだ。
これも愛の重さってヤツ?ま〜実際の俺のイルカ先生への愛は量り切れないほどの重さだけどね!
イルカ先生の職場に向う道中、俺はそんな事を考えひとり顔を赤くした。
僅かな冷気も通さないような仕上がりに、俺は満足だけど。イルカ先生は気に入ってくれるかなぁ。
ズシリと重いコートを抱えながら、俺は降り積もる柔らかな雪の上をスキップした。
傍目には雪にズボズボ足を取られ、悪戦苦闘しているようにしか見えなかったかもしれないけど。
時々そのまま雪の中に無様に倒れ込んでしまったりしたけれど。
心は羽根が生えたかのように軽やかだった。

今行きますからね〜イルカ先生…!

俺は雪まみれになりながら、ようやくアカデミーに辿り着いた。

さりげな〜く…さりげな〜く渡すんだから〜ね!

俺は自分自身に言い聞かせながら、いつものように門の前でイルカ先生が出てくるのを待ち伏せした。
そのまま一時間が過ぎた。

イルカ先生遅いなあ…まだ残業してるのかな…?

そう思っているうちに、またぼへーっと一時間が過ぎた。
雪の冷たさに、ずっと足の先が千切れそうなほど痛んでいたのに、今は麻痺して感覚すらない。
降り積もった雪に、俺はもう人間雪だるまと化していた。服も髪も凍ってパリパリ言っている。
でもイルカ先生のコートは雪で凍ってしまわないように自分のコートの中に入れて、ぎゅっと両腕で抱えていたから大丈〜夫!
自分のコートの中のふわふわの毛を確認して、俺はエヘへと笑った。
エヘへと笑った瞬間に、水のような鼻水がつつーと垂れた。
危ない危ない。毛皮を汚してしまうところだった。
俺は上忍ならではの素早さでずびっと鼻をすすりながら、受付のあるアカデミーの窓へと近付いた。
イルカ先生の様子をこっそり窺う為だ。

まだ時間掛かりそうなのかな…?

覗いてみて吃驚した。イルカ先生がいない。

え?嘘。なんで?トイレか何かで席立ってるの…?

そのまままたぼへーっと一時間ほど、窓に張り付いてイルカ先生が戻って来るのを待っていた。
だけどイルカ先生が戻って来る気配は無くて。
この時になってはじめて俺はイルカ先生が受付にいないのではないかという可能性に気付いた。
終業時間前から門の前に立っていたのに。今日は受付当番じゃなかった?
俺は大慌てで受付に駆け込んで、イルカ先生は何処にいるのか尋ねた。
「イルカは今日、午後から雪祭りの会場の設営に借り出されてますよ。」
受付にいた職員が楽しそうに答えた。
「大雪で商売上がったりの商店街が、逆に雪を使って客寄せする事にしたんです。大雪像やらかまくらやら、木の葉通りにすごいのができてるらしいですよ。」
借り出されたイルカ達はそこから直帰ですと告げる職員に、俺はあちゃ〜と渋面した。

行き違いになっちゃったかな〜?
そっか、今日は雪祭りの設営だったのか…

ガッカリしながらも、何かが心にひっかかる。
雪祭り…その言葉を最近も聞いた気がする。
何処でだっけ?…そういえば二、三日前にイルカ先生の家で聞いたような気が…
『雪祭りがあるんですよ。』
確かイルカ先生がご飯をよそりながらそう言っていたような…
だけど、その後なんて言っていたのか、まるで思い出せない。
他愛のない世間話だと思っていたし、俺はコートの事で浮かれていて、全然注意を払っていなかったから。

あの時、イルカ先生はなんて言ったんだろ…?

なんだか急にそんな事が気になった。
俺は受付を後にしてイルカ先生のうちへと急いだ。
さりげなくコートを渡したかったけど、もうそんな事どうでもよくなっていた。
だけどイルカ先生は家に帰ってなくて。
俺はずっとずっとイルカ先生の家の前で待っていたけれど、イルカ先生はやっぱり戻って来る気配が無くて。
夜中を遥かに回った頃、俺はようやく諦めて家に帰った。
イルカ先生の家の前で凍死するわけにいかないもんね…
「あーん」もできなくて、俺は結構落ち込んだけど、コートの内側にしまったイルカ先生のコートが変わらずふわふわなままなのを見て、ちょっとだけ嬉しかった。
あー、はやく渡したいなあ。


○月某日。
晴れたので、七班の奴等を引き連れDランクの任務。
今日はお年寄りの家の雪掻きを五件も梯子する予定。
ふ〜…結構重労働だ〜よ!
まあ実際雪掻きをするのは子供達だけで、俺は見てるだけなんだけど。
黙々と屋根の雪下ろしをする子供達の姿を見詰めながら、ぼへ〜っとしていると、
「カカシ、お前昨日はちゃんとイルカ先生に会えたのか?」
近寄ってきたサスケに突然そう尋ねられて、俺は目をぱちくりさせた。

へ…?どーしてサスケがそんな事を…
ま、まさか俺がアカデミーの門の前で、何時間も待ち伏せしてたところを見られたのか…?
でも待ってるのがイルカ先生だってなんで分かったんだ…?
ひょっとして俺って分かりやすい…?

うはあ、他の奴にも気付かれてたらどうしようと、ひとり顔を赤くして身を捩っていると、サスケがぼそりと呟くように言った。
「イルカ先生、あんたの事ずっと待ってたぞ…雪が降ってるのにすごい薄着で。一体何時間待たせたんだ?」
遅刻癖もいい加減にしろよ、と諌めるサスケに俺は頭の中が真っ白になった。

え?誰が誰を待ってたって…?

指先が冷たくなるのを感じて、俺はギュッと手を握り込んだ。
「イ゛ル゛ガ先生、おでの事待ってだの…?ザズゲ、それ何処で見だ…?」
恐ろしいほどの濁声に、サスケが一瞬ギョッとした。
「あんた、そ、その酷いガラガラ声はどうしたんだよ…?」
どうしたんだよって言われても、朝起きたら喉がイガイガかしょかしょして、こうなってたんだもん。
俺に訊かれても分からない〜よ。
ついでに言えば、気を抜くと鼻水は垂れてくるわ、なんだか頭がぼうっとするわで、身体が変な感じ。
全く嫌になる〜よ。年かなあ…
でも今はそんな事よりも。
「ザズゲ、イ゛ル゛ガ先生を何処で見だっで…?」
その事を明らかにする方が先だ。
俺はたじろぐサスケに執拗に迫った。
サスケは詰め寄る俺を避けるように、体を仰け反らせながら言った。
「あ、あぁ、昨日の夕方飯食いに出て、木の葉通りを歩いてたら行きがけにイルカ先生に会って…今木の葉通りで雪祭りやってるだろ?その雪像の前に立ってたんだ…その時は別に何も思わなかったけど…飯食って商店街をぶらぶらして、その後家に帰ろうとまた木の葉通りを通ったら…まだイルカ先生が同じ場所に立ってて…」
大雪が降ってるのに、コートの一枚も着ないで。
流石に見かねて声をかけたら、「カカシ先生を待ってるんだ、」ってイルカ先生が…
「雪祭りのかまくらで一杯飲み屋みたいな事やってて、一緒に行く約束をしてるんだって言ってたぞ。」
違うのか?と怪訝そうに尋ねるサスケの声が酷く遠くに聞こえた。
約束…イルカ先生との約束を俺が忘れる筈なんてない。
だけど。
俺は思い当たる事があった。
『雪祭りがあるんですよ。』ってイルカ先生は言った。
あの時イルカ先生は俺を雪祭りに誘ってくれたんじゃないかな。
俺はトリップしてて聞いてなかったけど、きっと…

イルカ先生、雪の中ずっと俺を待ってた…?

どうしようと思った。どうしよう、こうしちゃいられない。謝らないと。
イルカ先生は許してくれないかもしれないけど、許してくれるまで何度でも一生懸命謝らないと。
俺はそのことで頭が一杯になったが、七班の任務を放ったらかしにしていく事はできない。
「み゛んな゛、急ぐよ゛。気合入れでぐぞー!」
俺はうっうっと泣きながらモグラさながら驚異的なスピードで雪掻きをした。
埒が明かなくて、火遁の奥義を使って一気に雪を溶かしてしまったりした。
子供達は呆れた顔をしていたが、べそべそ涙を零す俺にただならぬ気配を感じてか、何も言わず雪掻きをしてくれた。
全てが片付くと、俺は物凄い勢いで受付へ直行した。勿論毛皮のコートも一緒だ。
事情を説明してコートを渡して。誠心誠意謝って、それからそれから…
イルカ先生は受付の裏の職務室で書類の整理をしていた。
俺はごくりと唾を飲み込むと、その背中に向って言った。
「イ゛ル゛ガ先生、ごめん゛なざい゛…っ、おで…おで…雪祭りの゛約束の゛話、聞いでなぐで…」
イルカ先生が吃驚した様な顔をして振り向く。振り向いた瞬間、イルカ先生は更にギョッとしたような表情を浮かべた。
視線が俺の手の中の毛皮のコート(+帽子)に集中している。
俺はその機会を逃さずに、「ごれ゛…!」とすかさずコートをイルカ先生に差し出した。
「一生懸命手作りじま゛じだ…!だ、だっで、イ゛ル゛ガ先生いづも寒ぞうだがら゛…昨日も寒がっだでずが…?寒がっだでずよね゛…ごめん゛…ごめん゛なざい゛…」
イルカ先生は何も言わない。
黙って俺を見てる。
コートも、受け取ろうとしてくれない。

やばい。涙でそう。

俺は顔を俯けた。そのまま何度も謝る。
「約束破っで、ごめん゛なざい゛…」
コートを差し出した手が、あまりの重さに痺れてぶるぶると震えた。
でも引っ込める訳にはいかない。
「ごめん゛なざい゛…ごめん゛なざい゛イ゛ル゛ガ先生…」
ぼろっと涙が零れた瞬間、ぐいっと顔を両手で挟まれて強引に持ち上げられた。
近くにイルカ先生の顔。イルカ先生は怒った様な顔をして自分の口を指差して、無声映画の様に口をパクパクさせた。

『声が出ないんです』

唇の動きを読み取った俺は瞬間ぽかんとしてすぐに血相を変えた。
「な゛、な゛な゛な゛なんで声が出ないんでず…!?だ、大丈夫なんでずが…?」
そんな俺にイルカ先生は眉間に皺を寄せ難しい顔をした。

『カカシ先生のガラガラ声こそ、大丈夫なんですか?』

声はないけど、優しさが伝わってくる。イルカ先生は怒ったような表情を浮かべているけれど、許してくれているとなんとなく分かる。
涙が出た。もう今度こそ本当に駄目かもしれないと思っていたから、自分でも驚くほどボロボロとみっともなく。
イルカ先生は盛大にはあーっと溜息をつくと、『泣くことないでしょう』と俺の涙を拭ってくれた。
そして更にこれ以上もないほど大きく長い溜息をつきながら、毛皮のコートを受け取った。受け取ってくれた。

やった!

イルカ先生は予想してたのと全然違う、微妙な表情を浮かべてたけど。
イルカ先生は照れ屋だから、現実のリアクションはこんなもんかもしれない。
でも『ありがとうございます』って言って、ちょびっとだけ笑ってくれたんだ!それだけでもう天にも昇る気持ち…!
突如として舞い上がる俺にイルカ先生は苦笑した。

『こんなコートを貰わなくても、俺はもう十分あったかいんですけどね…』

…と…ると。

イルカ先生の最後のほうの言葉はごにょごにょとして、よく唇が読めなかった。
もう一度、と俺は言ったけど、イルカ先生は黙ったままでただ笑顔を返すだけだった。
その笑顔が今までで一番だったので、俺も読み取れなかった言葉の事なんて、どうでもよくなってしまった。
今日は晴れていて、あんまり寒くないからとコートはそそくさと仕舞われてしまったけど。
幸せだなあ〜。



○月某日。
後で聞いた話によると、イルカ先生は雪祭りの約束の場所に現れなかった俺を物凄く心配していたらしい。
『カカシ先生は…その、天才でエリートの所為か、ちょっと普通とは違ったところがありますから…』
常人には思いも寄らない事故に巻き込まれて、どこかで立ち往生してるんじゃないかなあとか思って、と苦笑するイルカ先生に俺は顔を赤くした。
うわー俺の事、天才でエリートだって!そんなに褒めないでよイルカ先生。調子に乗っちゃうデショ〜
それにそんなに俺の事を心配して…理由はどうであれ、待ち惚けを食らわせた俺を腹立たしく思ってもいいところなのに…
俺はにやけつつも、イルカ先生がごほごほと咳き込む姿に胸を痛めた。声はまだ戻って来ない。
雪の中長時間立ち尽くしていた所為で、イルカ先生は体調を崩し喉を痛めてしまったんだ。
「おでが約束破っだがら゛…」
ごめ゛んね゛と項垂れると、またイルカ先生に顔をぐいっと強引に持ち上げられた。
『あんたも同じでしょうが。そんな濁声になったのは雪の中何時間も俺を待ち続けてた所為だろ…?』
イルカ先生は口をパクパクさせてそう言うと、ふーっと大きな溜息をついた。
俺はイルカ先生の言葉に吃驚した。
自分がイルカ先生をアカデミーの門の前で待ち続けていた事は言っていなかった。
だってそんな事を弁明してみたところで、約束を破ってしまった事にかわりはなかったし。
それに俺はイルカ先生を待つ事は苦にならないし。
今だって、ずっと待っているようなものだ。イルカ先生が振り向いてくれるのを、ずっと。
待つのには慣れてるんだ〜よ。
だから言わなかったのに…
「どうじておでが待っでだ事知っで…」
俺が思わずそう口にすると、イルカ先生は呆れたような顔をした。
『どうしてって…出勤したらカカシ先生の話で持ちきりでしたよ。アカデミーの門の前で写輪眼のカカシが不穏な空気を放ちながら、何時間も雪だるまになってたって…しかも腹に何かを隠しているのか、産み月の妊婦のようだったそうですね…』
その異様な光景に恐れをなして、いつもは表門を通る者たちも、皆こそこそと裏門から帰ったらしい。
そうか、それで俺がイルカ先生を待っている間、誰も人影を見なかったのか…みんなに気付かれていたなんて…
俺は羞恥にこれ以上もないほど顔を赤くした。
確かに雪だるまになりながら、妊婦の様に突き出た腹を愛しげにサスサスと擦っていた。
だって、大切な手作りコートをそこに仕舞ってあったから、それで…
言い訳は山ほどあるが、事情を知らない他人から見れば、随分と不気味だっただろうと思った。
イルカ先生も気味悪く思ったかな…?
ちらりと様子を窺う俺に、
『…俺も、カカシ先生を待たせてすみませんでした。』
何故かイルカ先生は突然ぺこりと頭を下げた。
俺は一瞬頭の中が真っ白になった。
イルカ先生が謝る事なんて、何もないのに。悪いのは俺の方なのに。
「あう゛…」と言葉を詰まらせながら手足をバタバタさせていると、
『約束を確認しなかった俺も悪いですし。何にせよ、カカシ先生の濁声は俺の所為だし。俺にも謝らせてください。』
イルカ先生が俺の頭をグリグリと撫でながら言った。
グリグリ撫でられると弱い。そんな事ないです、と反論したいのに、イルカ先生の手の感触に俺は忽ちうっとりとして忘れてしまった。
『喉が治ったら、かまくら行きましょうね。』
笑いながら言うイルカ先生に、俺は顔をふにゃりとさせながら思わず呟いていた。

その時は俺のあげたコート、着て来てくれると嬉しいなー…

俺の言葉にイルカ先生の笑顔が一瞬引き攣ったような気がしたけど、気のせいかな〜?



○月某日。
喉は直に治って、俺とイルカ先生は約束通りかまくらへ出かける事になった。
治る前に雪が溶けてしまったらと心配してたけど、とんだ取り越し苦労だった。
天気は雪雪、ずーっと雪で、かまくら飲み屋はまだまだ安泰のようだ。
嬉しいけど、全く今年の冬はどうなっちゃってるのかね〜。こんなに雪が降るなんて。異常気象ってヤツ?
お〜寒と呟きながら、雪の中俺はイルカ先生を迎えに行った。
今日イルカ先生は非番だったので家にいるのだ。
イルカ先生と二人でどっかへ行くなんて…なんだかデートみたい。
ってゆーか世間ではこれ、デートって言うんじゃないの?立派なデートでしょ。
意識した途端に顔が熱くなった。
うわーどうしようと心の中でひとりで焦る。
いつもと違って緊張しながらドアを叩くと、
「すぐに行きますので、下で待っていてください。ドアの側に立ってられると邪魔なので。」
イルカ先生がドアの向こうで難儀そうに言った。
邪魔。邪魔だって
一瞬にして甘やかな雰囲気が霧消して俺はションボリとした。
なんか今日イルカ先生機嫌悪いみたい。
そりゃー今までも別に俺に対してとりわけ愛想がいいってわけじゃなかったけど…
でも折角の初めての…デートなのに…
仕事で何か嫌な事でもあったのかな…あ〜あ、ついてないなぁ…
がっくりと肩を落としながらアパートの外付け階段をのろのろと下りていると、
急に背後で「どおおりゃあああ!!!!」という鬼気迫る掛け声とともにド―――ン!と物凄い勢いでドアに体当たりする音が響いた。
驚いて振り返ると、大破したドアから、何か茶灰色のまるまるもこもこした物体が、ボンッと大砲の弾のように飛び出して来るところだった。
うわ、何なのあれ…!?
ギョッとしながらもよく目を凝らしてみると、それは俺の手作りコート(+おまけの帽子)を着たイルカ先生だった。
茶灰色のまるまるもこもこしたものは俺のコートだったんだ〜よ!
俺は滅茶苦茶嬉しくて、ぼうっとしてしまった。
想像していた通り、最高級のラッコやセーブル、ミンクやチンチラを何層にも重ね継ぎ接ぎしたコートは、物凄くあったかそうだった。
ふわふわの毛でイルカ先生の顔半分まで隠れてしまっている。
もうマフーラーをする必要もなさそう。
帽子には耳あては勿論、ちょっとしたアクセントにラッコのマスコットも縫い付けてみた。
イルカ先生の頭の天辺から覗くラッコのマスコットの顔には、左目に縦に走る傷。
ちょっとだけ俺に似せて作ってみたんだ〜よ。イルカ先生には内緒だけど。

うん、よく似合ってる。

俺は自分の仕事に満足しながらイルカ先生の姿を見詰めた。
降り積もる雪に、イルカ先生が「冷たっ」と首を竦める事もない。ぶるっと体を震わせる事も。

うん…これでもう、寒くない〜ね…
すごく、あったかいでしょ?イルカ先生…

俺でも、イルカ先生をあっためられたよね…?

ちょっとじわっと感慨に耽ってたのも束の間、ぼんっと飛び出したイルカ先生はその勢いのままに、バタリとその場に倒れ込んだ。
イルカ先生は畳の上で水泳の真似をする子供のように手足をじたばたさせて、起き上がる気配がない。
その姿が海岸に遊ぶトドのようで、

イルカ先生、何遊んでるのかな〜?それとも俺に対する何かのゼスチャー…?

俺は可愛らしく手足を動かすイルカ先生の姿をしばらくジーッと見詰めていたが、
「何ボケッとしてんですか?あんた、俺を助け起こそうって気はないんですか!?」
怒鳴りつけられて初めてイルカ先生が遊んでいるわけではなく、起き上がれないのだという事に気づいた。
「だ、大丈夫ですか!?イルカ先生…っ、」
助け起こそうとしたが、コートの重量にイルカ先生の体重が加算され、なかなか上手くはいかなかった。
最後は結局コートを脱いで、イルカ先生だけがヨイショと立ち上がった。
「俺のコート、重過ぎたんですね…」
ションボリする俺にイルカ先生は、
「そんな事ないですよ、こう見えて俺は中忍ですよ?こんな重さくらいなんて事ないです…!」
アハハと笑いながらもう一度コートを羽織った。羽織った瞬間足元をよろめかせるイルカ先生に俺は悲しくなった。
品質と暖かさにこだわるあまり、実用性を念頭に置いていなかった。俺の初歩的なミスだ。
「重いだけじゃなくて…分厚過ぎて玄関口にも閊えるんですね…?だからイルカ先生、あんな体当たりするようにして…」
眉を八の字にする俺に、
「なーにしょんぼりしてんですか?このコートすごくあったかくて俺、気に入ってるんですよ。カカシ先生、本当にありがとうございます。」
それよりかまくらかまくら。楽しみですねーとイルカ先生は笑って見せたけど、俺は笑えなかった。
だってかまくらに辿り着く前に、イルカ先生がアパートの外付け階段から派手に転がり落ちてしまったからだ。
俺の手作りコートが分厚過ぎて足元がよく見えなかったのに加えて、重過ぎて上手くバランスが取れなかったらしい。
だけど不幸中の幸いというか、コートの分厚さに守られてイルカ先生は無傷だった。
イルカ先生は無傷だったけど、その代わりコートの方が悲惨な事になった。
ボロボロのズタズタに破れてしまったのだ。
「カ、カカシ先生すみません、俺…」
イルカ先生は蒼白になってオロオロしていたけど、謝るのは俺のほうだ。

一生懸命頑張ったんだけど。
イルカ先生をあったかくしてあげたかったんだけど。
なんでだろ、上手くいかない。
あったかくしてもらうばかりで、俺はそんなイルカ先生にコートの一枚も満足に与えて上げられない。
俺はあの橙色の手袋以下なんじゃないかな。

片方の手袋の暖かさよりも劣る。

ふとそんな事を考えて物凄く凹んだ。
折角のふたりきりのかまくらなのに、なんだか楽しめなかった。

続く