カカシ日記

(31〜35)

○月某日。
今年の冬は木の葉でも記録的な降雪量だと言う。
ほんと毎日雪ばかり。寒いったらない。
それなのに相変わらずイルカ先生は薄着で、
「なんでコート着ないんですか?」と堪らずに尋ねたら、
「や〜…いつもはこんなに寒くないし…雪だって続かないでしょう?」
だからいつもコートなしで過ごしてたんですよねえ、とイルカ先生は平然と驚くべき発言をした。
「えっ、それじゃイルカ先生、コート持ってないの?」
「大した事じゃないですよ、俺子供の頃だって、冬の間中短パンで過ごしてましたから!」
そんなつわものアカデミーでも俺くらいでしたよ、とイルカ先生は何故か得意げにエヘンと胸を張って見せた。
何を得意になってるんだろう、ビンボ自慢だろうかと俺は思った。
…子供の頃冬の間中短パン姿だったなんて…!
イルカ先生んちは長ズボンも買えないほどビンボだったんだなあ。可哀相…
雪の日もあっただろうに…寒かっただろうなあとついつい憐れみの眼差しでイルカ先生を見詰めてしまった。
イルカ先生が凍えた俺をあっためてくれたように、今度は俺がイルカ先生をあっためてあげなくては!
コートは後でプレゼントするとして、取りあえず今日こそ手袋を返そう。
俺は思い立ったら吉日とばかりにイルカ先生の帰りを待ち伏せした。
寒い冬の帰り道、指先を冷たくするイルカ先生に被せてあげるんだ。
ずっと渡しそびれてた事も謝らなくちゃ。
…それにしてもイルカ先生遅いなあ。
俺はずびびーっと鼻水を啜った。門の前にもう彼是一時間はぼーっと立ってる気がする…
深々と降る雪が俺に積もっていた。
まだかなあ、とアカデミーの建物の方をちらっと覗くと、丁度イルカ先生がこちらに向ってやって来るところだった。

き、来た…っ!

俺はなんだかドキドキした。うまく、上手く渡さなくては。
スーハーと深呼吸して、今帰りですか、偶然ですね〜とさり気無くイルカ先生の前に出た。
イルカ先生はとても驚いているようだった。
「あ、あんた、こんなところでそんなに体に雪を積もらせて、何やってるんです…?」
一体何時からそこに立ってたんだ、とイルカ先生に尖った声で詰問されながらも、俺は全く聞いていなかった。
俺の意識はイルカ先生の手元に集中していた。
だって。
だって、イルカ先生が別の手袋してるんだもん…
落ち着いた色合いの毛糸の手袋。ちゃんと二つ揃ってイルカ先生の手を暖かそうに覆っている。
「そ、その手袋、どーしたんれすか…」
寒さに呂律が回らない口で情けなく尋ねると、
「え?ああ、これはスミレ先生がくれたんですよ。」
手編みなんですよ、すごいですよねーとイルカ先生はそれがどうしたといわんばかりに、実にあっさりとそう言った。

スミレ先生が、
手編み。
イルカ先生に、手編みの手袋を…

茫然とする俺にイルカ先生はなんだか怒っていた。
「手袋の事なんて、今はどうでもいいでしょう?話をはぐらかさないで下さい。カカシ先生、あんたここに何時から立ってたんだ…!?
俺以前にも言いましたよね?自分の体を大事にしてくださいって…」
なんで怒られているのかわからなかった。
それに手袋の事は俺にとってはどうでもいい事じゃないよ。
俺以外の誰かが、あんたをあっためようとするのは嫌だ。
嫌なんだ〜よ。
瞬間俺はなんだか堪らない気持ちになって、気がつくとイルカ先生の手から手袋を毟り取って、遠くにていっと投げていた。
大人げない。上忍で写輪眼で、凄腕の忍者なのに物凄く情けない。だけどそうせずにはいられなかった。
イルカ先生は彼方に消えた手袋を見詰めて茫然としていたが、すぐに我に返って、俺にゴチンと拳骨を食らわせた。

物凄く痛い。
痛いです。イルカ先生。

頭を押さえて蹲る俺をよそに、
「な、何するんだ…!?折角スミレ先生がくれたのに…!」
イルカ先生が慌てて手袋を探しに走る。
なんだか腹が立って、そして無性に悲しくなって、俺はその背中に向って拵えた雪玉と一緒に橙色の手袋を投げつけた。
勢いに乗った雪玉がイルカ先生の背中に命中するところを見ずに、俺はその場からドロンと姿を消していた。
イルカ先生はきっと物凄く怒ってるだろう。
だけど…謝りたくないなあ。



○月某日。
寒い。さむいさむい。寒いなんてもんじゃない。
窓の外は雪。ゆきゆきゆき。大雪。
特に任務もない日で助かった〜よ。
今日は一日家にいようと決意して、俺はエアコンをフル稼働させて、炬燵で丸くなった。
ぼやっとしてるとイルカ先生の姿がすぐに頭に浮かぶ。
ちくりと胸が痛んだ。
…会いたい。
でも駄目駄目。
今の俺がイルカ先生に会ったら、きっと雪玉をぶつけるよりも酷い事をしてしまう。
…寒いなあと思った。エアコンも炬燵もつけてるのに。まだ寒い。
仕方がないのでオイルヒーターのスイッチも入れた。
それでも寒い。寒くて堪らない。
全てのスイッチを最強にしても、悪寒が止まらない。
また風邪かな〜?と体温を測ってみるも、特に熱はなかった。
なんでかなあと不思議に思いつつ、俺は丹前を羽織って上に、まだ足りないとばかりにマフラーまで巻いてしまった。
部屋の中で幾らなんでもやり過ぎかなと思ったけど、寒いんだから仕方がない。
本当に今日は冷え込むなあと思いながら、またイルカ先生の姿を思い浮かべていた。
こんな日でもアカデミーの仕事はあるのかな。
イルカ先生はいつもの薄着で歩いてるんだろうか。歩いてるんだろうな。
…だってコート持ってないんだから。
俺は一瞬居ても立ってもいられない気持ちになった。
今すぐコートを持って行ってやりたいような、そんな気持ちに。
だけど、すぐに新しい手袋の事を思い出して冷静になった。
俺が心配しなくても、あの人の事を気にかけている人は沢山居るんだ。
俺がいなくても、イルカ先生は…
……寒いなあと思った。



○月某日。
昨日から雪は止む事無く降り続いていた。『降り続いている』なんて生易しいものじゃない。
山の頂を襲うような物凄い風にビョオビョオと吹雪いている。
こんな日にもアカデミーはあるのかなあと俺はぼんやり考えた。
普通に考えたら休みだろうけど、休みの連絡が素早く全てに行き届くとは限らない。
……イルカ先生は連絡が来る前に、家を出ちゃうんじゃないかな。
生真面目だから、吹雪でも出社時間に間に合うように、いつもよりうんと早く。

……
………なんだか気に掛かる。
俺は時計をちらっと見た。針は朝の四時半を指していた。
寝坊助の俺がどうしてそんなに早起きなのかというと、昨日はよく眠れなかったからだ。
すごく、寒くて。
でも今はそんな事なんてどうでもいい。
こんな吹雪の中をイルカ先生が、コートの一枚も羽織らずにのこのこ出勤するのかと思うと、居ても立ってもいられない。
イルカ先生、アカデミーに辿り着く前に凍え死んじゃうよ。
幾ら防寒用に新しい手袋が加わったとはいえ、こんな天候ではあまり足しにはならない。
考え出したら心配で堪らなくなってきた。
今ならまだ出勤してないはずだ。今コートを届ければ、イルカ先生は吹雪の中凍えずに済むんじゃないの?
そう思った次の瞬間には、俺は自分のコートやら毛糸の顔面マスクやらホッカイロやら、自分の持っている防寒用グッズを袋一杯に詰め込んでいた。
念には念を入れて、イルカ先生の家の灯油切れに備え、俺のうちに残っていた灯油をガッシと掴むと、俺は丹前姿で吹雪の中へ飛び出していた。
イルカ先生の家を目指して。
すんごい吹雪だった。だけど俺は挫けなかった。
ようやくイルカ先生の家に着いた時は五時半を過ぎていた。
まだイルカ先生、出勤してないよね…?大丈夫だよね…?
明かりのついていない暗い部屋に不安になりながら、どんどんと扉を叩くと、暫くしてゆっくりとその扉が開いた。
イルカ先生はパジャマ姿で、まだ寝ていたようだった。すごく驚いた顔をしている。
「カカシ先生…あんた何やってるんですか…?」
イルカ先生にそう言われて俺は戸惑った。
何やってるって言われても。
イルカ先生の事が心配で、だってイルカ先生はビンボでコートも持ってないから。
こんな日に薄着で外に出たら、凍えちゃうから…
説明したいのに、顔面が寒さにかちんこちんに固まっていて、上手く口が動かない。
俺は仕方がないので、やはりかちんこちんになった腕をギギギと動かして、イルカ先生に向って袋にパンパンに詰め込んだ防寒具と、灯油の入ったポリタンクを差し出した。
「これ…使っ、て」
ようやくそれだけ口にすると、イルカ先生はぽかんとした。
俺の顔と差し出されたもろもろのものをじっと見詰めるばかりで、受け取ろうとしない。

あ、そうだった…そういえば俺は昨日イルカ先生と仲違いしたままだったんだ…

はっとしてイルカ先生の様子を窺うと、思った通りイルカ先生は怒ったような呆れたような、複雑な表情を浮かべていた。
イルカ先生にしてみれば、昨日雪玉を投げつけて遁ずらしておいて、一体何をしに来たんだという感じだろう。すっかり忘れていた。
俺はわたわたして、
「い、いるかせんせえが…こーと無しでしょとに出たら、、こごえちゃうと思っれ…あ、後、すとーぶの灯油足りてるかなって…心配れ…」
気がつくと呂律の回らない口で懸命に言い訳していた。
俺とイルカ先生の間で、寒さに震える腕に灯油の入ったポリタンクがちゃぷちゃぷいっていた。
イルカ先生は何も言わない。
やっぱりまだ怒ってるんだろうか。昨日の事、謝らなくちゃいけないのかな…
そう思ってたら突然イルカ先生に頭を叩かれた!そんなに怒っていたのかと驚いていたら、違った。
イルカ先生は俺の頭の雪を払い落としてくれてたんだ。ちょっと乱暴だけど。
イルカ先生はいつものようにふーっと大きく溜息をつきながら言った。
「……俺よりもあんたの方が凍死寸前って感じですよ。大体、こんな吹雪の中出歩く訳ないじゃないですか…アカデミーから連絡来るまで待機してるでしょう、普通…他人の心配するより自分の心配しろって言ってんのに…あんたって人は…本当、何ていうか…」
呆れ混じりの声に俺はしゅんとなった。
どうしよう。イルカ先生にいよいよ愛想をつかされた…?
その時俯く俺の頭をイルカ先生がグリグリと撫でた。
吃驚して顔を上げると、
「何て情けない顔してんですか?もういいですから、家に上がってください。ほら、愚図愚図してないで、さっさと上がる!」
イルカ先生がやれやれと困ったように笑いながら、家の中へと招くように強引に俺の手を引いた。
イルカ先生は急いで湯を沸かして俺を風呂に入れると、濡れた髪をドライヤーで乾かしてくれた。
「寒かったでしょう?少しは温まりましたか?」
イルカ先生の言葉に俺はコクコクと頷いた。

あったかい。
ほんとーにあったかいです、イルカ先生。

昨日はあんなに寒かったのに。寒くて寒くて仕方が無かったのに。
ぴーぷー隙間風が吹くイルカ先生の家の中は、何故だかこんなにあったかい。
「温かくなったんならよかった、」
安心したように笑うイルカ先生を見ていたら、もっとあったかくなった。
あったかくて心地良くて、メロメロに溶けそう。
イルカ先生の側はあったかいなあと思った。
俺の身体が冷たくなっていく病も、イルカ先生の側なら大丈夫な気がした。



○月某日。
外はまだまだ雪。
昨日はイルカ先生のうちに泊まった。
未曾有の大雪で、外に出るのも危なかったからだ。
勿論アカデミーの仕事も公休となり、イルカ先生も一日家にいた。
イルカ先生と朝から晩までふたりきり。夢のような一日だった。
炬燵にあたりながら、他愛の無い話をした。
手袋の話もした。
イルカ先生は思い出して腹立たしくなったのか、急にむすっとした顔をして言った。
「カカシ先生が遠くに放った手袋、あれ、この度定年退職なさった春野スミレ先生が、職場のみんなひとりひとりに編んでくれたものだったんですよ。
捜すの大変でしたよ…ったく、あんたは何を考えてんです?」
俺はその言葉を茫然と聞いていた。

定年退職の先生って…なんだ…スミレ先生って…可愛い名前だからてっきり俺は…

自分の早とちり振りに気付いて、顔が赤くなった。
俺ってひとりで空回ってたわけね。うわあ恥ずかしい。
でもちょっとホッとした。
なんだ、そっか。勘違いだったのか…
にやついてしまいそうになるのを必死で堪えながら、
「……ごめんなさい。」
しおしおと頭を下げると、イルカ先生は盛大に溜息をついた。
「謝るんなら、最初からしないで下さい。」
「はい、ごめんなさい。イルカ先生。もうしません。」
さも反省したように言いながら、自分自身で怪しいなあと思った。
イルカ先生に誰か他の人が近づいたら、また同じ事をしそうな気がする。
「…信用できないなあ、あんた顔が笑ってるぞ!」
「えっ!?」
俺が慌てて顔に手を遣り表情を確認すると、イルカ先生が大笑いした。

あ、騙された…!

すぐに気付いて俺は顔を赤くした。イルカ先生も人が悪いよ〜ね。
でも別に嫌な気持ちじゃなかった。それどころかなんだか胸の辺りがほわほわとする。
イルカ先生はみかんを剥くと、きれいに白い筋を取って、いつものように「あーん」して俺に食べさせてくれた。
もっともっとと強請る俺に根気よく。
「俺の失くした筈の手袋、届けてくれたお礼です。」
でもおなか壊すから五個までですからね、とイルカ先生が口に押し込んでくれるみかんは、今まで食べたみかんの中で一番甘かった。



○月某日。
このところ天気は曇天ながらも、辛うじて雪は降らずに済んでいる。
でも寒い事には変わりがない。
風は身を切るほどだし、ちょっと外を歩いただけで手がかじかんで鼻水が垂れる。
それなのにイルカ先生は、「はいこれ、」と俺が渡した防寒グッズが詰め込まれた袋を返して寄越したんだ。
コートなんて一度も袖を通していない。
やっぱり俺の着古しじゃ駄目だったんだろうか。
でも、でも、イルカ先生が寒いだろうと思って、せめてコートをプレゼントするまでの間、着ていて貰おうと思ったのに…
結局俺が雪の日持ってきたものでイルカ先生が使ってくれたのは、灯油くらいだ。
その灯油も、イルカ先生は律儀に現金換算して俺に料金を払った。
いらないって言ってるのに、「そうしたら、もう『アーン』はなしです!」とイルカ先生は脅すような事を言う。
そんな事言われたら、俺はお金を受け取るしかないじゃない。
もう、『アーン』ナシの生活なんて考えられないんだから。
……もう、イルカ先生ナシの生活なんて考えられない〜よ。
イルカ先生の側はあったかい。イルカ先生は俺をあったかくしてくれる。
だから俺も少しでもイルカ先生をあっためたくて。
どうやってあっためたらいいか分からないけど、でもせめて北風くらいからはイルカ先生を守ってあげたくて、コートとか渡してみたんだけど。
それすらも突き返されてしまって、俺は途方に暮れた。

……俺ではイルカ先生をあっためられないのかな。

俺がしょんぼりしながら袋を受け取れずにいると、
「…が…むいでしょーが…っ!」
イルカ先生が小さい声でボソボソと、怒ったように言った。
聞き取りづらい声。
でも上忍で写輪眼の俺には、イルカ先生が何と言ったかちゃんと聞こえた。
『あんたが寒いでしょうが。』
イルカ先生は俺を心配してくれてたんだと分かって、途端に嬉しくなった。
俺は全然寒くないのに。
だってイルカ先生がいるから。今もほわほわすごくあったかい。
それにイルカ先生と違って、コートや毛糸のマスクといった防寒具は他にも沢山持ってるから、心配いらないのに。
全く、気にし屋なんだから。
俺はさっきまでと打って変わって、でれでれしながら袋を受け取った。
幾ら言っても、俺のものだとやっぱりイルカ先生は遠慮してしまうだろうから。
はやくイルカ先生専用の、とっておきのコートをプレゼントしてあげようと思った。