カカシ日記

(21〜25)


○月某日。
早速『イルカ先生にあーん』計画を実行してみた。
「イルカ先生、ハイ、あーん。」
俺は真剣な顔でイルカ先生の口元に箸を向ける。
イルカ先生は大きく眼を開けて、まじまじと俺を見詰めた。
ふふふ、驚いてる驚いてる。
きっと俺の気遣いに感動してるんだろうな。
気持ちは分かりますけど、早く食べちゃってくださいイルカ先生。
ただでさえ湯豆腐は崩れやすいんですから、箸で支えているのも限界なんですけど!
プルプル言っちゃってますよ〜はやくはやく!
あッ、まさかまだ熱いと思ってるのかな?
大丈夫ですよ〜心配ならちゃんとフーフーしますから!
俺が大急ぎで箸の上の湯豆腐をフーフーすると、湯豆腐はばびゅんと箸の上から吹き飛んで、イルカ先生の顔にびちゃっと命中した。
「あーん」の筈が「びちゃっ」になるなんて!
上忍で写輪眼で、何事も裏の裏まで読んじゃう俺だけど、流石に豆腐がこんな事になるなんて思っても見なかったね!
和やかな団欒があっという間に豆腐地獄と化して、俺は蒼白になった。
「イ、イルカ先生、だ、だだだ、大丈夫ですか…っ!!!???」
大慌てで、近くにあった布切れでイルカ先生の豆腐塗れな顔をごしごしと拭くと、
「………それ雑巾なんですけど…」
イルカ先生が冷ややかに言い放った。
日常には何ていっぱい危険な落とし穴が隠れているのだろう。これが雑巾だったとは。俺は眩暈がした。
イルカ先生、怒ったかな。怒っただろうな。
「ご、ごめん…イルカ先生ごめんね…あ、あの…」
ひとり雑巾を握り締めオロオロしていると、イルカ先生がフーッと大きな溜息をついて、ぽんぽんと俺の頭を軽く叩いた。
「あー…分かってますから落ち着いて。あんたが焦ると碌な事にならないですから。」
「は、はい…」
とりあえず、イルカ先生が怒っていないみたいでホッとした。
よーし…また頑張るぞ!失敗は成功の母って言うもんな!
俺は気を取り直して再度「イルカ先生あーん」計画にチャレンジした。
湯豆腐を箸に乗せて、プルプル震えながらも慎重にイルカ先生の口元へと運ぶ。
「はい、イルカ先生あーん、」
「………」
ああっ、もう、どうしてすぐに口を開けてくれないんですか!?
箸から豆腐が落ちちゃいます…!確かに俺は木の葉一の技師ですけど…っ!写輪眼ですけど…っ!!!
塗り箸に豆腐の組み合わせはちょっと高度なものが…や、まあ、塗り箸になまこよりマシかな……
そんな事よりもはやくっ…はやくイルカ先生…っ!
興奮のあまり、額当ての下で写輪眼がぐるぐる回ってしまった。
イルカ先生は豆腐からシタシタと落ちる汁の滴を見詰めながら、フウーッと一際大きい溜息をついたかと思うと、ゆっくりと口を開いた。
瞬間口の中の赤い舌が艶かしく映ってドキッとした。
豆腐じゃなくて、自分の舌を突っ込んで舐め回したいような…そんな衝動に駆られて俺はドギマギした。
食事中に何考えちゃってんの…!?
今はそれよりも「あーん」でしょ!?イルカ先生口開けて待ってるんだから…
俺は慌ててイルカ先生の口の中に豆腐を滑らせた。
「イルカ先生にあーん」計画成功の、世紀の一瞬だ。
仏頂面で口をもぐもぐさせるイルカ先生に不安を覚えて、
「あの…おいしーですか?ひょっとして不味い?」と尋ねたら、
「これ…俺が作ったんですけど…」
イルカ先生は更に顔を顰めた。
そこで俺ははたと気付いた。そーだよ、「あーん」してあげるだけじゃ駄目なんじゃないの?
俺もたまにはイルカ先生に手料理をご馳走してあげなくちゃ!!!
お袋の味ならぬ、上忍の味っていうの?
料理なんてまともに作った事ないけど、こういう事は技術よりも真心だよね?ま、なんとかなるでショ。
手作り料理に男は弱いって言うし…ど〜しよ、イルカ先生が俺にメロメロになっちゃったら…!
ひとりで想像してひとりで身悶えた。
料理の修業、頑張ろう。




○月某日。
料理の本を買って来た。真剣にページを捲ってみる。
キャベツって…えと…とんかつとかの横についてるヤツだよね…?
レタスは…どんなんだっけ?サラダに入ってる葉っぱがそう?あれ?それともそれってパセリだっけ?
バラ肉ってどんなの?バラバラに引き千切った肉の事?
ヒタヒタの水ってどれくらいの分量?きちっと書いてくれなきゃ分かんないじゃない…!
乱切りって?アク抜きって…?ペシャメルだのグレイビーだの、ソースはイカリかブルドックしかないんじゃないの…!?
「何コレ…!?この本全然使えない〜よ…!」
俺は憤怒のあまり、買ってきたばかりの料理の本を壁に投げつけた。
初心者には難し過ぎる本だったようだ。

あ〜…『ケ○タロウの男の料理』って本にするんだった…
でも野性味溢れる男の料理じゃ、イルカ先生の男心を擽れないと思ったんだ〜よね…

やるからにはやはり好結果を期待したい。
こうなったら誰かに料理させて、その過程を写輪眼でまるごとコピーだ!
誰に頼もうかと考える…こんな事を頼めそうで、且つ料理ができそうなオンナに心当たりがあまりない…
料理の腕はよく知らないが、ここは気心が知れた紅に当たってみようと俺は思った。
ああ見えても一応オンナだし?
アスマと付き合ってんだし、料理くらいできるよね?




○月某日。
「あんたが料理をねえ、ふうん、へえ〜、ほぉ〜。」
紅はニヤニヤと笑いながら、
「そうよね〜今時の男は料理もできないと!板前はいつも男と決まってるんだから。アスマだってうまいもんよ〜」
俺に料理を教える事を快諾してくれた。
ん?アスマ?…まさかあの髯の熊も料理を作ってるわけ?紅の為に?そりゃすごい。
「熊の右手とか高級食材だって言うもんなぁ…」
俺がボソッと感心したように呟くと、
「ちょっと!別にアイツ自身を食材にしてる訳じゃないわよ!」
紅が眉を吊り上げ、俺の耳を容赦なく引っ張った。
「いででで…っ、そんなの分かってる〜よ、冗談デショ。」
「あんたのは冗談に聞こえないのよッ!」
耳元で怒鳴られてキーンとなった。うう、こんな怒りっぽいヤツに料理の事を頼んだのは失敗だったかな…
「そ、それよりも料理の事だけど、紅、お前俺に何を教えてくれるつもり…?」
とりあえず話題を変えようと、俺が必死になって尋ねると、紅はふふんと偉そうに胸を張って言った。
「ブガロンチョのルノワール風マルケロ酒煮よ…!」
「ブ、ブガロンチョ…?」
「知らないの?高級鳥料理で、ブガロンチョの和名はかかし鳥っていうのよ。あんたにぴったりじゃない?」
「かかし鳥…へえ〜知らなかった〜よ…そんな鳥いるんだ…」
「そうよ、それにケケシラガを副菜に添えて出すとかなりいいと思うの。ケケシラガはあんたの髪の毛みたいだし…」
「ケケシラガ…」
なんだかよく分からないけれど、かかし鳥もケケシラガも俺っぽいし、おいしそうだ。
イルカ先生も喜んでくれそう。流石上忍のくの一、いろいろ博識だなぁと益々俺は感心した。
「よろしく頼んだ〜よ、紅…!」
俺が頭を下げると、
「いやあね、改まっちゃって!私達仲間じゃない、」
紅がぷくくと口元を押さえ、肩を震わせながらそう言った。なんだか目尻に涙まで浮かべている。
俺のお礼の言葉に感動でもしているんだろうか。
今日は紅のうちで料理を写輪眼コピーしないといけないので、イルカ先生のうちには寄れそうもない。
ちょっと、いや大分残念だけど、明日にはイルカ先生のすごく喜ぶ顔が見れるだろうし。
それを目標に頑張ろう。一日くらい我慢我慢。


(註)ブガロンチョ(かかし鳥)とケケシラガは、清水義範著の「国語入試問題必勝法」(講談社)の中の短編『ブガロンチョのルノワール風マルケロ酒煮』を参考に。(そのまんまやんけ!)勿論架空の食材です。清水義範好きなんで(笑)




○月某日。
「さあっ、イルカ先生どうぞ!俺が作りました、ブガロンチョのルノワール風マルケロ酒煮、ケケシラガ添えです…!」
シャリンガーン!と左目をぐるぐる回し、俺は紅に教えてもらった料理をイルカ先生の家の台所で再現した。
はあはあ…チャクラを消耗し過ぎたのか、なんだか眩暈がしたが、これもイルカ先生の笑顔の為だ。
どうってことないない、気力でカバーだ!まだこの後、イルカ先生に「あーん」してあげないといけないんだからな!
俺は自分を叱咤激励しながら、卓袱台の上に料理の皿を乗せた。

イルカ先生喜んでくれるかな…

ドキドキしながらイルカ先生を見る。
イルカ先生はなんだか茫然としながら、
「ブ、ブガロンチョ…?」
皿の上を凝視していた。
ははあ、イルカ先生も俺と同じようにブガロンチョを知らなかったわけね!仕方がない。
俺は紅の受け売りのままに、偉そうに言った。
「知らないんですか〜?高級鳥料理で、ブガロンチョの和名はかかし鳥っていうんですよ〜?」
「と、鳥料理…?これが…?」
「そ〜ですよ〜!…な〜んて、偉そうに言ってますけど、実は紅に教えてもらったんです…!紅のとっておきの料理らしいですよ!」
「く、紅先生の…?」
イルカ先生は皿を見詰めたまま腕組して、なんだか難しい顔でウンウン唸っている。
その額に脂汗が滲むのを見て、俺は首をかしげた。

あれ…?あんまり喜んでない…?

その時俺はハッとした。重大な事を忘れていたが、ま、まさか…。
「あ、あの…イルカ先生、鳥肉嫌いだった…?」
イルカ先生に好き嫌いがあるかもなんて事、まるで念頭に入れていなかった。
俺が顔を青くして尋ねると、
「そッ、そうなんですよ…カカシ先生…す、すすす、すみません…っ、俺、と、鳥アレルギーなんです…!」
イルカ先生がホッとしたような表情を浮かべ、勢いよく何度も頷いて見せた。
やっぱりそうだったのか…!なんて無駄な事をしてしまったんだと俺はしょんぼりした。
イルカ先生の喜ぶ顔が見たかったのに。そのために頑張ったのに。
昨日も会いたいのに我慢して…我慢に我慢をして…今日なんて写輪眼の使い過ぎでクラクラなのに…

ぜんぶ、無駄だったんだ…

「ごめんねイルカ先生…俺…イルカ先生が鳥嫌いって知らなくて…イルカ先生が喜んでくれると思って…」
しゅんとする俺をイルカ先生が慌てて慰めた。
「あ、で、でも、このケケ…ケケシラガでしたっけ?こ、これは食べてみようかな…う、うまそうです。」
そう言いながらも、どうやらケケシラガもイルカ先生の好みじゃないらしい。無理してるのが見え見えだ。
俺は益々悲しい気持ちになりながら言った。
「イルカ先生無理しないでい〜ですよ〜…これは責任を持って俺が全部食べますから。」
「ええ…っ!?」
イルカ先生は顔を青くして悲鳴のような声を上げた。
なんだか物凄く動揺しているうようだ。何をそんなに動揺してるんだろう…?
イルカ先生は暫く俺の顔と皿のブガロンチョとを交互に見詰めていたが、最後にはこめかみを揉みながら、ふーっと深いため息を吐いて言った。
「じ、実はカカシ先生…お、俺はあんたに俺の料理を『おいしいです〜』と言ってもらうのが生き甲斐なんです。あんたは余計な事しないで俺の料理を食ってりゃいいんです…それが俺には一番嬉しいんですから…!」
顔を上げた俺に、イルカ先生がにっこりと笑ってみせる。
その笑顔が無性に嬉しかった。
「ほ…ほんとに?俺がイルカ先生の料理を『おいしい』って食べてるだけで、イルカ先生は嬉しいの…?」
しつこく確かめれば、イルカ先生は「それが一番嬉しいです、」とニコニコ笑顔で繰り返した。

そっかーそうだったのか!俺はイルカ先生の料理を食べてればいいんだ…!
それが一番イルカ先生を喜ばせる事だったなんて…気がつかなかった〜よ…

本当に無駄な事をしてしまった。
だけど、さっきと違って今はなんだか虚しくない。それどころかなんだか嬉しい。
だって、俺に料理を食べさせる事が一番嬉しいなんて…
まるで俺の事が一番って言ってるみたいでしょ…
「俺が料理を作り直してもいいですか?」とイルカ先生が躊躇いがちに聞いてきた。
うん、勿論い〜ですよ。イルカ先生が一番嬉しいのが俺も一番嬉しい。
手料理計画は失敗だったけど、なんだか幸せだなあと思った。




○月某日。
紅が料理の事を聞いてきたので、俺はお礼を言った。
「ん。うまくいった〜よ。いろいろありがとね紅。」
結局料理作戦は失敗だってけど、そのお陰でイルカ先生の本心が分かったようなものなので、俺はご機嫌だった。
終わりよければ全てよし!
ただ折角の料理を無駄にしちゃって、紅に申し訳なかったなあなんて思う。
紅がガッカリするだろうから、とても言えないけど。
俺の素直な感謝の言葉が照れ臭いのか、
「え…っ?な、何あんた上手く行ったの…?あ、あんな料理で…!?嘘でしょ、」
紅は自分の料理を謙遜して、そんな事を言ったりした。
意外に奥ゆかしい女だったんだ〜ね…熊の調教師のような…猛獣使いのような、鞭の似合うイメージだったけど…
ちょっと紅を誤解していたみたいだと俺は益々紅に対して申し訳ない気持ちになった。
だから食べてもいないのに、ちょっとお世辞を口にしてみた。
「例のブガロンチョ、すっごく好評だった〜よ!」
「ええ…っ!?」
「鳥なのに牛肉みたいな味わいって言うの?味付けも絶妙だし…」
「えええ…っ!!??」
「ケケシラガの食感ともマッチして…も、さいこーって感じ?」
「えええええええ――――――っっっ!!!!????」
いちいち大袈裟に驚いてみせる紅に、笑顔がこぼれる。
ほんとに謙遜が過ぎる〜よ?
アスマのヤツ、てっきりカカア天下で尻に敷かれてると思ってたけど、案外亭主関白なのかもね…
紅は暫くの間、
「そ、そうなんだ…そんなに美味しいんだ…こ、今度アスマと食べてみようかしら…」
なにやらブツブツと言いながら考え込んでいた。ヘンなの。