カカシ日記

(16〜20)



○月某日。
イルカ先生と仲直りできないまま、回遊魚の毎日。
七班の指導にも身が入らない。
ほんとは俺って、教育熱心なイイ先生なんだけど、写輪眼なんだけど、身が入らない。
雪の中に落としてしまった婚約指輪を探すという、ちょびっと気の遠くなるような任務に部下達が熱心に取り組んでいる傍らで、
俺は膝を抱え、手にした小枝でガジガジとやる気なさげに凍った地面をつついていた。
「ちょっとカカシ先生いい加減にして。任務の時くらいはピシッとしてよ!」
サクラに怒られた。
でも、聞こえな〜い。
俺は意固地になって、より一層ガジガジと小枝で地面を掘り続けた。
「もうっ、返事位したらどうなのよ、カカシ先生!?」
しゃーんなろー!と中指を立ててみせるサクラを、
「サ、サクラちゃん…」
ナルトが背後から取り押さえるようにして、まあまあと宥める。
仲いいね、お前たち。俺とイルカ先生との仲はこんなに拗れてしまったのに…
益々おもしろくない気持ちになってきて、ぷいと背を向けると、
「あー…こんなんじゃ、日が暮れるまでに絶対に見つけられないってばよ!今晩のイルカ先生と鍋大会、できねえかもしんねえ…」
ぶつぶつと呟くナルトの声が聞こえた。
何?なんだって?イルカ先生との鍋大会?なんなの、その素敵企画は!?
俺が問い詰めると、
「今日、俺ってば、イルカ先生んちで鍋する約束なんだってばよ!」
ナルトはあっさりとそう答えた。
ええ―――!?そんなのあり?いいなァ。うらやましい〜よ…
イルカ先生の寵愛を欲しいままにするナルトが、小憎らしい悪魔に見えた。
「いいなァ…」
嫉妬の眼差しでナルトをじとっと見詰めていたら、
「カカシ先生も、来たいなら来ていいってばよ!」
ナルトは無邪気な笑顔をニコッと浮かべて、そんな事をのたまった。
途端に悪魔なナルトが天使に見えた。
イルカ先生、俺と一緒じゃ嫌だろうなあと思うのだが、仕方がない〜よ、だってナルトが誘ったんだもん。
「そ、そんなに俺に来て欲しい?仕様がないねえ〜」
「そんな事言ってないってばよ、」
ナルトが何か言っていたが、俺は聞いていなかった。
「そんなに言うなら行ってやるとするか〜ね!よし、そうと決まったら、ちゃっちゃと終らせるよ〜?」
「「「はいー?」」」
子供たち三人の呆れたような声を聞きながら、俺は忍犬を口寄せして、ぱぱっと婚約指輪を探し出した。
これじゃあ修行にならないと子供達は微妙な顔をしていたが、とりあえず無視だ。
そんなに修行したいなら、明日からもっとみっちりしごいてあげるから〜ね?
任務が終わると、俺はナルトと待ち合わせだという受付まで急いだ。
やった…!これでイルカ先生と鍋…!
ひょっとしたら、ナルトをダシに仲直りができるかも…!
そんな姑息な事を考えていたら、待ち合わせの受付でイルカ先生はナルトと顔を合わせるなり、頭を下げた。
「ごめんなナルト…今日どうしても終らせなくちゃならない仕事があって…遅くなりそうなんだ…」
がーん!
結局その日の鍋大会はお流れになった。
なかなか上手く行かない。
しょんぼりしていたら、
「そんなに鍋が食いたかったのかよ。しょうがねえなあ、でも今日は一楽で我慢するってばよ!」
ナルトが一楽で味噌チャーシューを奢ってくれた。
うう、ナルト。お前は本当になんて優しい子なんだ。
先生は自分で自分が情けない。
イルカ先生の事は悲しかったけど、いい部下を持ったなあとしみじみ思った。




○月某日。
今日もまた回遊魚でイルカ先生の家の周りをぐるぐる。
だけど見上げた二階の窓は真っ暗で、どうやらイルカ先生はまだ帰宅していないようだった。
念の為に玄関のドアの前に立って、中の気配を窺ってみる。
俺のイルカ先生アンテナは動かない。
やっぱり不在だ。
時計を見ると、もう夜の十一時を回っている。
残業にしても最近はそんなに遅くなる事なんてなかったのに。

ひょっとして飲み会…?まさか誰かとデート…?いや、もしかしたら何か犯罪に遭って…!?

よくない考えが次々と頭に浮かんだ。
居ても立ってもいられなくなって、俺は夢中になって走り出した。
イルカ先生がいそうな、思いつく限りの場所を我武者羅になって捜す。
先ずはアカデミー。シンと静まり返った受付には誰の姿もない。
ここじゃなかったかと一楽に向う。一楽にも居ない。
次にナルトの家の扉を叩いてみたが、
「こんな時間になんだってばよ?…イルカ先生が何処に居るかって…?家で寝てるんじゃねえの?」
寝惚け眼のナルトが枕を抱えて出て来ただけだった。
用事ってそれだけかよ!?と怒るナルトの声を背中に聞きながら、俺はその場を後にした。

残された可能性は飲み会、デート…そして犯罪…

どれも泣けてくる内容のモノばかりだ。心配でたまらない。

イルカ先生…何処に居るの…?イルカ先生…っ、もうこうなったら…
「影分身…!」
俺は無駄にチャクラを使って、影分身に歓楽街の飲み屋という飲み屋を捜させた。
勿論犯罪に遭う確率の高い人気のない裏路地や、暗い茂みなども遍く。
忍犬は頭数が少ないので、広範囲を一気に捜したい時は影分身が便利だと思ったのだ。
本体である俺も必死になって捜した。
だけど何処にもイルカ先生の姿は無くて…

ひょ、ひょっとして誰かの家にしけ込んでる…?

考えたくない可能性による衝撃と無駄にチャクラを使った疲労とで、よろめきながら歩いていると、イルカ先生の家の近くの小路の真ん中に、何か大きな物体が転がっていた。潰れた蛙のように、ばたりと倒れ込むような格好をして。平たい身体の天辺で、括られた黒髪だけが地面から伸びる芽の様に出っ張って、ぴょこぴょこ揺れていた。
イルカ先生だ。
イルカ先生が道の真ん中で転がってる…!
「だ、大丈夫、どうかしたのイルカ先生…!?」
暴漢にでも襲われたのかと、俺は血相を変えてイルカ先生に駆け寄って、その体を抱き起こした。
途端にぷんと漂うよく知ったにおいに、
うっ、酒臭い…
俺は思わず鼻先をつまんだ。
そっか、飲み会だったんだ…そっか…
ちょっと安心しながらも、こんなところで寝込んでしまうほど酔い潰れるなんてと驚き呆れた。
俺が通りかからなかったら、絶対に凍死コースだ。
こんな冬の夜に路上に寝転がるんて。しかもイルカ先生ときたら、いつものように信じられないくらい薄着で。
何やってんですか〜もう!
俺はよろよろだったけど、泥酔したイルカ先生を担いで自分の家へと向った。
目と鼻の先にイルカ先生のアパートがあるけど。
勝手に上がっちゃまずいだろうし、それに…

落し物を拾ったら、三割お礼としてもらっていいんだ〜よね?




○月某日。
朝起きたら、昨日持ち帰ったイルカ先生が何か叫び声を上げていた。
なんであんたが俺のうちにいるんだ、いいから離せ、とイルカ先生を抱き込んで眠る、俺の腕を引き剥がそうとする。
俺は寝惚け眼をこすりながら、ここは俺の家です、俺が道に泥酔して転がってるあんたを拾ったんです、と状況を説明してあげた。
「それでね、こうして一緒に寝てるのも、イルカ先生が寒い寒いってしがみついてきたからなんです、」
最後の言葉も本当だ。誓って嘘じゃない。
そりゃーあんなに薄着で冬の夜に路上で転がっていたら、体も芯まで冷えるというものだろう。
だから俺は一生懸命温めたのだ。
イルカ先生は顔を青褪めさせながら、
「…それで…また雪山遭難の事を思い出して俺を裸にしたんですか…?」
そう聞いてきたが、厳密に言えば今回は違う。
俺は首を横に振りながら、
「違います、俺の家は冷暖房完備ですから、裸で温めあう必要はないんですけど…今回はイルカ先生が寝ゲロ吐いたりで、服とか汚れちゃって!その始末をする俺も汚れちゃって…ゲロの度に着替えてたら、そのうち服がなくなっちゃったんですよねえ〜」
服が少なくて申し訳ないです〜因みに布団もゲロ塗れで、これが最後の一枚なんです、あはは〜と朗らかに微笑んだら、イルカ先生の顔は益々青くなった。
「そ、そうだったんですか…すみません、カカシ先生…御迷惑をおかけしました…お、俺、布団とか弁償します…」
深々と頭を下げるイルカ先生に俺はきょとんとした。
なんでイルカ先生が布団の事で謝ってるんだろう。謝るんならもっと別の事じゃない?
「え〜と、布団の事とかどーでもいいですけど…それよりもイルカ先生、もう道端で寝込んじゃうほど酔い潰れないで下さいよ〜?」
そっちの方がよっぽど心配です、イルカ先生死んじゃうところでしたよ?と俺が真剣に訴えると、イルカ先生は青かった顔を赤くして、
「すみません…」と項垂れた。
そのあんまりにもしょんぼりと消沈した様子に、俺の心が疼いた。なんだか苛めてるみたいだ。そんなつもりはないのに。
俺言い過ぎた?どうなんだろ…?
またちょっとまずったかなと動揺していると、イルカ先生がぼそりと言った。
「あの…でも布団の弁償はさせてください…あと、汚れ物の洗濯も…お詫びとお礼の気持ちをこめて、俺がそうしたいんです…」
来た来た来た―――――!!!!!
突然俺は期待に胸を高鳴らせた。
お礼だって、お礼!イルカ先生が俺にお礼だって!!!!
そうだよね、やっぱり拾ったら三割もらえるんだよね!?俺、間違ってないよね!?
俺はイルカ先生の手をガッシと握って言った。
「落し物は拾ったら三割もらえるんですよね!?三割って何処までですか?」
「は…?」
目を白黒させるイルカ先生に、早口で分かりにくかったかなと俺はもう一度、今度はゆっくりと言った。
「だって昨日、俺イルカ先生の事拾ったでしょ…?拾った人は御礼に拾得物の三割もらえるんだよね…?」
「………」
イルカ先生はちょっとの間黙ったままだったけど、やがてフーッと大きな溜息を吐いた。
「三割って…カカシ先生、具体的にどんな事考えてるんですか…?」
少し怯えた顔をして恐る恐るたずねるイルカ先生に、俺は慌ててしまった。具体的な事なんて考えてなかった。
えーとえーと。
「また…イルカ先生の家に上げてもらいたいです。それで普通に話をしてもらいたいし、時々はご飯一緒に食べたりしたい…」
「それだけでいいんですか?」
ちょっと驚いた様な顔をするイルカ先生に俺も吃驚してしまって、もっとお願いしていいのかと欲が出た。
「え、えと、また『アーン』して欲しいです…」
「………『アーン』ですか…」
イルカ先生が眉間に皺を寄せ、難しい表情を浮かべたので、少々図々し過ぎたかと俺はドキッとした。
イルカ先生の三割超えちゃった…?
「だ、駄目ですか?」
俺の言葉にイルカ先生は暫しの間腕組して考えていたけど、
「…分かりました。」
最後にはしぶしぶながらも頷いてくれた。

えええええーーーーー!!!???ほんとうに!!!???
これからまたイルカ先生のうちにいけるの?アーンしてもらえるの!!!???

不幸のどん底の日々から一気に後光の射す天上界へ。回遊魚から人間への華麗なる転身。
俺はいきなり転がり込んできた幸福に眩暈がした。転がっていたのはイルカ先生だけど。
落し物は拾うべきだなあと思った。これからは何が落ちているか分からないから、よく下を見て歩こう。
その後取り合えず着る物のない俺とイルカ先生は、服を洗濯するしかなかった。
乾燥機なんてないので、自然乾燥するまでイルカ先生は布団を巻きつけたまま過ごしていた。
下着は替えがあったが、新しいものがなかった。穿き古しでもよかったらと一応差し出してみたけれど、やっぱりイルカ先生は穿くのを拒否した。
イルカ先生だけ裸にしておくのも可哀相なので、俺も仕方がなく裸のまま過ごした。
ぶらぶらな一日だった。いつかぶらぶらじゃなく、ラブラブな一日が過ごせるようになったらいいなあ。




○月某日。
雨の日も風の日も毎日イルカ先生のうちに通う。
扉を叩くと、イルカ先生が必ず開けてくれる幸せ。
大して外気と変わらない、暖房器具がひとつしかないイルカ先生の家は、何故だか暖かい。
この落し物は高くついたと、イルカ先生はいつもブツブツ言いながら、
「ほら、あーん」
大きく口を開ける俺に夕飯を押し込んでくれる。
イルカ先生は大抵仏頂面をしているけれど、
「熱…っ、」
俺が押し込まれた食べ物に咽ると、
「だ、大丈夫ですか…?火傷しましたか?ほら口開けて見せて、」
すごく心配したような顔をする。
舌は火傷でひりひりして痛いのに、なんだか少し嬉しいような気持ちになる俺って、どっかへんなのかねえ〜




○月某日。
イルカ先生のうちに行ったら、「鍋大会だってばよう!」とナルトが包丁と野菜を手に、俺を出迎えた。
えーっ、今日ナルトも一緒〜!?
かつてナルトに慰められた恩も忘れて、俺はちょっぴり落胆した。
イルカ先生とふたりきり、というシチュエイションに酔い痴れていたいのに、邪魔な奴め…な〜んて、一瞬思ってしまった狭量な先生を許してくれ、ナルト。
「今俺、手伝い中なんだってばよ!」
包丁を振り回すナルトに、
「こら、危ないだろう。」
ナルトの頭にごちんと拳骨を落としながら、イルカ先生が笑う。
「カカシ先生は座っていてください、すぐに俺たちで準備しますんで…」
俺は言われた通り炬燵の前にちょこんと座り、料理ができるのを待った。
……でもさ、なんか気になるのよ。
ナルトがイルカ先生にぺたぺたぺたぺた纏わりついてるわ、イルカ先生もイルカ先生で、背後からナルトの手を取って包丁の指導をしたりしてるわで、二人だけ和気あいあいで……なんか…なんか…淋しい気持ちになるのよ。それってこの場合当然だよね?
「俺も手伝います、」って申し出てみたりしたんだけど、「もう出来上がりますから、」とけんもほろろに断わられて、益々俺は淋しい気持ちになった。
「カカシ先生、お待たせだってばよ!今日はすっげーぞ、具沢山の寄せ鍋なんだから!」
ナルトが得意げに炬燵の上に土鍋を置くと、
「カカシ先生、どうぞ。」とイルカ先生が蓋を開ける。絶妙のコンビネーションだ。
いや、そんな事よりも。

……『どうぞ』って事は、今日は『アーン』も無しなのかなあ…

受け皿を手にちらっとイルカ先生を見ると、イルカ先生の視線はナルトに集中していた。
よく噛んで食べろだの、飯こぼしてるぞだの、野菜を避けるナルトの受け皿に強引に野菜を押し込んだり、口の端についた米粒を拭ってやったりと大忙しだ。イルカ先生自身が食べる暇もないくらい。

…いいなあナルトは…

『アーン』とかしてくれなくてもいいから、こっちを見て欲しい。
なんだかすごく淋しい。

あ、やばい泣きそう…

目の奥がジワッと熱くなるのを感じた瞬間、イルカ先生が俺の方に視線を向けた。
イルカ先生は受け皿を手にしたまま、ぼんやりしている俺の姿を見ると、眉を顰めた。
「食べないんですか、」なんて、意地悪な事を聞いてくる。

だって。
だってイルカ先生が…

ナルトの事しか構わないから、と恨み言を言いそうになった俺の口に、その時もにゅっとえのき茸が押し込まれた。
えっと驚いてイルカ先生を見ると、
「はい、『アーン』」
いつもの通り仏頂面で、イルカ先生がそう言った。

今日も『アーン』してくれるつもりだったんだ…

その時の嬉しさったら!一瞬にして、はたけカカシ復活。
ささっと居住まいを正して、俺はアーンと大きく口を開けた。どんどん口に押し込んじゃってください!イルカ先生。
イルカ先生はその要望にこたえるように、ぎゅうぎゅうと限界まで口の中に食べ物を押し込んだ。
咀嚼して飲み込むのに苦労した。喉が詰まって涙が滲んだりしたが、幸せだーとか思ってしまうのはどうしてなんだろ。
ナルトは暫くぽかんとその様子を見ていたけれど、順応性の高い子供で、すぐに「俺も俺も、」と一緒になって『アーン』してきた。
『アーン』は俺だけのものだけど、幸せな気持ちなので、今日くらいは許してやろう。
俺って心が広いねえ、なんたってエリート忍者で、写輪眼だもんね!
イルカ先生は口を開ける俺とナルトに交互に食べ物を押し込んでいたが、最後には「いい加減にしろ、俺が飯食う暇ないだろうが!」と拳骨を落とした。
その言葉は俺にとって意外に衝撃だった。
そうか、そうだよね…いつもイルカ先生に『アーン』してもらってばかりだったけど…イルカ先生が食べる暇ないよね…
気がつかなかった。イルカ先生もお腹が減っていただろうに。
今度は俺がイルカ先生に『アーン』してあげようと、心に誓った。