カカシ日記

(6〜10)

○月某日。
受付に行ったらイルカ先生がいなかった。
イルカ先生がどうしたのか、座っている奴を脅し…いや、優しく尋ねたら、
イルカ先生は風邪で休みだと泣きながら、とと、間違い、笑顔で快く教えてくれた。
風邪!風邪だって!!!イルカ先生が風邪!!!!
やっぱりね!薄着だったもんね!
大変だぁ〜よ、こうしちゃいられないと俺はアカデミーを飛び出した。
途中でお見舞いのりんごを買って、イルカ先生のアパートの扉をどんどん叩いた。

イルカ先生、いるかせんせーいっっっ!
俺、俺ですよ、カカシです!りんご持ってきましたよ!!!開けて下さい!

俺は慌ててしまって力の加減ができなくて、扉をぼこぼこにへこませてしまった。
後で弁償すればいいやと思った。
とにかくイルカ先生が心配で心配で。
それなのに扉はなかなか開かなくて。
ひょっとして中で死んでいたらどうしようと俺が思い詰めた瞬間、
ギイイイ〜〜〜…と歪になった扉が軋んだ音を立てて開いた。
扉の隙間から覗くイルカ先生は、熱が高いのか、顔が赤くて、呼吸はハアハア苦しげだった。
俺はその弱々しい姿に激しく狼狽して、
「これ、りんご、これ…イルカ先生に…!!!!」
夢中になって、持って来たりんごをイルカ先生に押し付けた。
そうだ、今度は俺がりんごを剥いてあげなくちゃ!と、
「家に上がってもいいですか?」
俺が聞くと、
「風邪伝染りますよ…?」
イルカ先生は困ったような表情を浮かべたが、俺は構わずに強引に家に上がりこんだ。
するとイルカ先生は諦めたように溜息をつきながら、
「今日は『アーン』は無しです。ほんと伝染るんで、それ食ったらとっとと帰って下さい。」
フルフル震える手でりんごを剥くと、俺の前に差し出した。
あれ〜?そうじゃないのにと思ったが、折角イルカ先生が剥いてくれたんだから、食べない訳には行かない。
正座してしゃくしゃく食べている間に、布団の中に潜ったイルカ先生はすうすうと寝息を立てていた。
起こすのが可哀相だったし、「食ったら帰って下さい」と言われていたので、俺はしぶしぶとイルカ先生の家を後にした。
大丈夫かなイルカ先生。
夜中にもう一度様子を見に行こう。




○月某日。
イルカ先生の風邪の具合が気になって、夜中にもう一度様子を見に行った。
イルカ先生は布団の中で「寒い寒い」と魘されていた。
部屋の中はしんしんと寒くて、立て付けの悪い窓の隙間からは風なんかが吹き込んでいて。
家の中で凍死しちゃいそうな感じに俺は大慌てした。
汗をかかなくちゃ熱は下がらないって言うのに、これじゃー汗をかくどころの話じゃない。
部屋を温めなくちゃと、すぐさま暖房器具を探したけど…イルカ先生んち、炬燵しかなかったのヨ…
オイルヒーターあったけど、肝心の灯油切らしてるし。
吃驚したね、俺は。
やっぱ先生、究極のビンボなのかもしれない。
俺は寒いと魘されるイルカ先生を前に、どうしようどうしようとオロオロしていたら、突然雪山で遭難した人々の奇跡の生還劇を思い出した。
確か山小屋で毛布一枚被って、裸になって人肌で温めあったような…
それだ!と俺は思った。
善は急げと俺はイルカ先生のパジャマをべりっと剥がし、自分の服をパパッと脱いで、裸でひとつ布団に包まった。
イルカ先生をぎゅうっと抱き締めて、なるべく肌が密着するようにしてあげた。
一生懸命、ぎゅぎゅ〜っとした。
俺は体温が低いってよく言われるけど、それでも効果あるのかなとちょっと心配だったけど、
段々とあったかくなってきたのか、イルカ先生の体の震えが収まってきた。
顔から険がとれ、「寒い」と口にしなくなる。
それどころかちょっと俺が体を動かすと、その分スリ、と体を摺り寄せて来たりして。
…なんか可愛い。
イルカ先生はいつの間にかハアハア苦しげな呼吸をしなくなっていたのに、今度は俺がハアハア苦しくなっていた。
身体が滅茶苦茶熱い。特に下半身。勃ってる気がしたが気の所為気の所為、だってこれは疚しい気持ちの行為じゃないもん〜ね。
俺は弱ってるイルカ先生に前を勃ててしまうような鬼畜じゃない。断じて違う!…違うと思うけど、ハアハア相当に苦しいんだ〜よ、参るね。
これはきっとあれだ、イルカ先生の風邪が伝染っちゃったんだ〜よ、きっと。
風邪なんて引いた事ないけど、結構つらいもんなんだなあと思った。




○月某日。
一生懸命看病した翌朝、イルカ先生は目覚めるなり俺を怒鳴りつけた。
「あ、ああああ、あんた、意識のない俺に何をした―――!?」
物凄い剣幕のイルカ先生に、俺は何か失敗してしまったんだろうかとオロオロして、

看病してました、あっためたんです、だってイルカ先生寒い寒いって言ってたから。
オイルヒーターに灯油ないんですもん、雪山で遭難した人たちはこうやって、奇跡的に助かったって昔何かで読んで…

じわっと目縁に涙を溜めながら俺は必死に言い訳した。
それを黙って聞いていたイルカ先生は、ふーっと大きな溜息を吐いた後、「もう俺のうちに来ないで下さい」と言った。
頭の中が真っ白になった。
どうして突然そんな事を言われたのか分からない。
「なんで?俺なんか悪い事しましたか!?お、怒ってるんですか…?」
詰め寄る俺に、イルカ先生はほとほと困ったというような顔をした。
「いえ…確かにさっきは怒っていましたが、もう怒ってません…あのですね、カカシ先生に悪気はないのは分かるんですが…ちょっと、その、カカシ先生と俺とでは、常識が違い過ぎると思うんですよ…」
イルカ先生は慎重に言葉を選んでそう言った。
ジョウシキ。俺の辞書にはない言葉だ。それってなんだろう。違うと不味いものなんだろうか。
「ジョウシキ、違っていても構いません!」
俺が即、そう答えると、
「俺が構うんです」
イルカ先生も即答した。
そっか、イルカ先生は構うのか。ならば。
「ジョウシキ同じにします、イルカ先生と同じになります!」
「そうですか、じゃあ頑張ってください。同じになるまでは俺のうちに来ないで下さいね、それじゃあ。」
イルカ先生に鼻先で扉を閉められた。
大変な事になった。ジョウシキってなんだろう。




○月某日。
ジョウシキを辞書で引いた。
『常識=健全な社会人が共通に持つ、また、持つべき一般知識や判断力・理解力・思慮分別など。』
……ふーん。
引いてみたけど、よく分からない。
忍としての一般知識や判断力・理解力・思慮分別はちゃんと持ってると思うけど。俺って上忍だし。
はっ、まさかイルカ先生は上忍と中忍の身分の違いの事を気にしてるんだろうか。
確かに上忍と中忍ではジョウシキは違うだろう。
でもそれが何?
あ〜でもあの人真面目だから、気になるんだろうね…。
そんなの気にしないでいいって言ってあげなくちゃ。
ね、そう思うでしょ?と紅に言ったら、
「常識があるって思ってる時点でアウトよねーでもあんたの前向きさ見習いたいわ。あんた人生楽でいいわね。」
呆れたようにぽんぽんと肩を叩かれた。
なんでよ?こんなにイルカ先生の事で悩んでるんだ〜よ?全然楽じゃないじゃない。
やっぱり紅に相談したのは間違いだったと思った。分かってないよね!




○月某日。
「イルカ先生、上忍と中忍でジョウシキが違うのはあったりまえなんです。
イルカ先生はこの先上忍には決してなれないだろうし、俺と同じになるなんて事はないんです。
ビンゴブックに名前が載るなんて事、絶対にない。でもそれを気にしないでいいんですよ、」
満面の笑顔でそう告げたら、顔を引き攣らせるイルカ先生に、
「中忍で悪かったな…っ!」
またしても鼻先でばたんとアパートの扉を閉められた。
怒らせちゃったみたいだ。なんで?どーして?分からない。
俺はオロオロと、イルカ先生のアパートの周りを意味もなく何回もぐるぐると回った。
俺ときたらイルカ先生のように、コートも羽織らず、マフラーも巻かず、冬の寒空を飛び出して来ていた。
早くイルカ先生にその一言を伝えたい一心で。
寒いなあ。寒い〜よ。でも帰りたくないな。だってイルカ先生怒ってるみたいだし。
ぐるぐる回りながら、かじかむ手をポケットに突っ込むと、そこには返し損ねたままのイルカ先生の手袋が押し込まれていた。
自分の右手に嵌めてみる。
そんで、にぎにぎと自分の左手と握手。
「仲直りの握手です。怒ってないですよカカシ先生。寒いでしょう、うちに上がっていきますか〜?」
寒い一人芝居。ほんとに寒い。寒くて鼻水が垂れた。
二階にあるイルカ先生の家の窓を見上げてみる。カーテンは閉まったまま。開く気配はない。
寒いなあ。なんかいろんな場所が。
ちょびっと涙でた。