正しい犬の躾け方
(1)
子供の頃、イルカは犬を飼っていた。
ちっこくて、銀色の毛がふさふさとして、人慣れないのにイルカにだけはパタパタと尻尾を千切れんばかりに振って懐いて来る、とても可愛い子犬を。
犬の名前はポチ。犬はポチ、犬ならポチだ、迷う事無くイルカが付けた。
実は……そのポチにはちょっと、他の犬と違う不思議なところがあった。
人間の言葉が話せたのだ。
しかもイルカとふたりきりの時だけ。
まだ子供だったイルカは「そっか、ポチ話せたんだ。」とその状況を何等疑問に思う事無く、ごく自然に受け入れてしまったのだが……
今思うと突っ込みどころ満載だ。
犬が喋る筈ないし、ポチは忍犬でも無かったし、おそらく子供の頃の妄想か(あしべ●うほのテディベアの類。あれは妄想では無くテレキネシスか?)、夢で見た事などが現実の記憶とごっちゃになっているのだろう、とは思うのだけど。
あれが全部俺の空想だとしたら、俺、童話作家の才能あるよなァ……
ポチと過ごした日々を思い出す度、イルカはそんな風に考えてしまう。
イルカにとって、ポチは親友で兄弟で、かけがえのない家族だった。
それなのに。
ある日ポチは忽然とイルカの前から姿を消してしまった。
ポチは猫のようなところがあり(犬なのに)、時折ふらりと何処かへ出掛けては数日家に帰って来ない事が間々あって、イルカはその時もどうせ二、三日もすれば帰って来るだろうと高を括っていた。
が、しかし……
一週間が経っても。
一か月が過ぎても。
ポチは帰って来なかった。
それでもイルカはずっとずっと、諦めずに待ち続けていたのだけれど……待ち草臥れて。
やがて待つのを止めてしまった。
ポチが消えてから数年が経っていた。
その時の記憶が悲し過ぎて。
イルカは少し犬が苦手になってしまったのだが、それは「もう犬は飼いたくないなァ」と思う程度のもので、道端でわんわんと犬に擦り寄られ懐かれれば、ヨシヨシと頭を撫でてやったりしていた。
――だが、その数年後。
少し苦手どころでは済まなくなる出来事が起きて、イルカはそれ以降犬が大っ嫌いになってしまった。
もう触るのも駄目。(触ったら蕁麻疹が出る)
見るのも嫌。(見るだけで鳥肌が立つ)
生理的に受け付けないというか、愛犬家が自分の犬を自慢してる話を聞いているだけで、マジで吐き気を催してしまうほど。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、今では愛犬家さえもNGだ。
犬好きが多い昨今、極度の犬嫌いである事をあまり表立っては言えず、苦労している。
そいうわけだから、折角残しておいたポチの写真も手元に置いておける筈も無く、思い出と一緒に庭に埋めてしまった。
嗚呼、それなのに……
「イルカ先生、こんにちは〜!はいこれ、お願いします。」
……どうして俺はこのひととにこやかに話しをしているんだろう……
にこにこと屈託のない笑みを浮かべつつ、こちらに向かって報告書を差し出す男に、イルカは引き攣った笑顔を浮かべた。
目の前に立つ男の名前は、はたけカカシ。
木の葉の里で五指に数えられる凄腕の上忍で、今春アカデミーを卒業した問題児うずまきナルトを担当する上忍師でもある。
ぶっちゃけナルトはイルカがその行く末を一番気に掛けている(元)教え子……
できればカカシと親しくなって、ナルトは上手くやっているか、修業はどんな感じかなどなど、いろいろ情報を横流しして教えてもらいたいと思っていた時期もあったが……
無理!
イルカは心の中で絶叫した。
カカシ先生と親しくなるなんて。そんなん絶対無理だってぇの!!!
だってこのひと、里切っての忍犬使いだし!
超の付くほどの愛犬家だし!
今だって、犬の毛いっぱい服につけて平気な顔してるしィ〜〜〜!!!
イルカはカカシの忍服にごそっとついた茶や黒の毛に、おぞぞと背筋を震わせた。
そう、カカシは嫌犬家のイルカと対極をなすひとだったのだ!
カカシと初めて顔を合わせた時、
「いろいろ非常識なところはあるが、悪い奴じゃない。よろしくしてやってくれ、」
カカシの背中から突然ぬっと顔を出した忍犬にそう声を掛けられて、イルカは危うく失神しそうになってしまった。(なんとか堪えたが、顔は絶対梅図かずおの漫画風になっていたと思う。)
カカシは悪いひとじゃない。犬に言われなくても、それは分かっている。ナルトが「カカシ先生、カカシ先生」と懐く姿を見るにつけ、そう思う。
だけれども。
……それとこれとは話が別だっちゅーの!
イルカは八つ当たり気味に、ダン!と力いっぱい受領印を押した。
もう本当に大変申し訳ないけれど、カカシには一ミリたりとも関わりたくないというのが本音だ。
しかしナルトの元担任に現指導者というお互いの立場的にそれはかなり難しい。
ならば挨拶程度の間柄に留めておきたかったが………………
「はい、結構です。任務お疲れさまでした。」
「あの、イルカ先生、」
「次の方どうぞ〜」
「あっ、あの、次のひと並んでませんから!もうすぐお昼ですけど、よかったら一緒に食べませんか。」
「…………」
「ほら、以前イルカ先生、食堂の定食に飽きたって言ってたでしょ?だから俺、今日は重箱弁当を用意してきたんですよ。イルカ先生の好きなもの入ってるといいんだけど、」
「…………」
「え、えと、その……ナルトの事で折り入って話したい事とかもありますし……駄目ですか?」
もじもじとしながらも、意外と強引に押して来るカカシに、イルカはまたかと更に顔を引き攣らせた。
カカシに誘われるのは、これが初めてでは無かった。
知り合ったその日から、
「飲みに行きませんか?」
「夕飯一緒にどうですか、美味しい店を知ってるんですよ。あっ、勿論混ぜご飯の店じゃないですから安心して。」
「今日ナルトと一楽に行くんですって?ご一緒してもいいですか?」
「イルカ先生の観たいって言ってた『猿の惑星VSエイリアン』の映画のチケット、たまたま火影様にもらったんですけど、一緒に行きませんか?」
……などなど。
何かにつけ、誘われ捲っている。
そう、何の運命の悪戯か―――関わり合いになりたくないと思っている相手に、イルカは気に入られてしまったようなのだ。
何故?
どうして?
なんで俺?
特別愛想のいい態度をとっていたわけでもないのに―――というか、いつもその誘いを断り捲っているのに。 もしかしてイルカが死んだ犬に似ているとか、そういうのだろうか。(言われる度に絶望的な気分になるが、よく芝犬に似てると言われる。)
分からない。
分からないけれど。
とりあえず、カカシに色よい返事を与えてはいけない、それだけは分かっていた。
今後の心の平穏の為にも。
イルカは隣に座る同僚達に助けを求めるように、ちらと視線を送りつつ、
「……あ〜……すんませんけど、俺、こいつらとメシ食う約束してるし……」
いつもの如く、そう断ろうとした。
しかし。
「何を言ってるんだ!?イルカ。俺達との約束なんて気にせずに、はたけ上忍とメシ食いに行って来いよ!!!」
「そうだそうだ、折角誘って頂いているのに……失礼じゃないか!三十一回もお断りの場面を見せられ続けている俺達の身にもなってみろ!胃炎になったらお前のせいだからな!ここはもういいから、早く行けよ!!」
ガタッと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった同僚達に鬼の形相で詰め寄られて、
「え…ちょっと、待っ……」
イルカは然したる抵抗もできないまま、気が付くとカカシとふたり、いつの間にか廊下に追い遣られていた。
あっ、あいつら〜!裏切り者めええええ!
イルカは怒りに拳をプルプル震わせたが、同僚達の心痛も分からないでは無かったし、もうこうなってしまっては仕方が無い。
「ハハ、なんかイルカ先生の同僚の方達に気を遣わせちゃったみたいですね。申し訳ないなあ。」
しおらしい事を言いつつも何処かうきうきと弾んだ調子のカカシに暗い気持ちになりつつも、
「…………いや、構いませんよ。」
イルカは覚悟を決めて、初めてカカシの誘いに頷いた。
続く