秘密の黒蝶

「どう、して・・・・イ、イルカ先生が・・・・・?」

呆然と呟くカカシの横で、アスマが咥えた煙草をポロリと落とし、あんぐり口を開けたまま間抜け面を晒している。
それもその筈。年に一回行われる木の葉の里武闘大会の式典で、体術の部の模範演技にイルカがひょこりと姿を現したのだから。模範演技には滅多な者では選ばれない。その道の至高を窮めた忍の中から選ばれるそれは、忍としての栄誉にも繋がる。忍なら誰もがやってみたいと憧れるが、一度経験したものは二度は選ばれないという決まりがあっても、その大役が回ってくる確立は極めて低かった。例え上忍であっても難しいのに高々中忍風情に。
青天の霹靂の大抜擢に、カカシやアスマだけなく会場中がどよめいた。

「何であんな奴が・・・・」
「火影様の贔屓じゃないのか?」
「やる気なくしたぜ。」

忽ち不穏な空気に包まれる会場に、正気に返ったアスマが気遣わしげな顔をする。

「おいおい、会場中を敵に回しちまってイルカは大丈夫なのか・・・・?」

カカシはそんなアスマの言葉が耳に入らないくらい、意識がイルカに向いていた。円形の会場の真ん中にぽつんと立つイルカは何処か心許なく、浮かぶ表情も困惑気味で不安そうにも見える。

あぁ・・・・っ!イルカ先生・・・・・っきっと何かの間違いでこんな場所に引っ張り出されて・・・・・!
俺が・・・・俺が今助けてあげます・・・・・!

イルカを見縊っている訳ではないが、過大評価もしていない。カカシが堪らず腰を浮かしかけた時、演技開始を告げる合図の手が高く掲げられた。
そして次の瞬間。会場中が息を呑んだのが分った。
蹴りを中心に構成された、攻守に渡ってのその演技は見事の一言に尽きた。
その技は豪快にして繊細。
そして力強くあって柔軟。
繰り出す速さは隼の羽ばたきの如く。
その技の鋭い切れは猛虎のキバの如く。
特に蹴りの連続技の妙技には会場中が唸った。本来蹴りは拳より攻撃力が勝るものの、隙が出来やすくなるという欠点があった。しかし、イルカの蹴りの演技にはその隙が見当たらない。
何時の間にか会場は水をうったかのように静まり返り、聞こえてくるのはイルカの技が風を切る音だけだった。
皆イルカの演技に半ば放心したように見惚れていた。

「何であいつ中忍やってんだ?ありゃあ一体何者だ・・・・?」アスマは呆気にとられながらも、もう一度煙草を取り出し火をつける。最初の驚愕を過ぎると大分落ち着いてきたらしい。一方カカシはまだまだ魂が抜けたような状態で、無言のままイルカの姿を凝視し続けていた。

 

 

何故イルカは中忍なのか。詰め寄ったカカシにイルカは恥ずかしそうに答えた。

「俺、体術だけなんです・・・・他はからきしで。今回俺は代役だったんです。いざ模範演技という時になって、予定していた人が急性盲腸で倒れちゃって・・・・急遽その場に居合わせた俺が出る事になったんですよ。そのう・・・火影様は俺が体術得意なこと知ってるんで・・・・・他の人にも散々冷やかされました・・・・本当お恥ずかしい話なんですが、俺、手先が物凄くぶきっちょなんで、忍術とか幻術とか駄目なんですよ・・・・。」

何しろ、針に糸は通せないし、卵を割ろうとするといつもシンクの縁でぐちゃっと潰しちゃうし・・・・。
そんな体たらくなので、忍具は上手に操れないわ、印は素早く組めないわで大変なんです。

「それに肝心の体術も演技の時はいいんですが、実践だとあたふたしてしまってあんまり役に立たないんです。」

イルカの分かったようなわからないような説明に、カカシは「はぁ・・・・」と曖昧な相槌を打った。
その様子に誤魔化しきれないか?とイルカは内心舌打ちする。

くそう・・・火影様め・・・・!こんな強攻策に出るなんて・・・・!

イルカは顔を顰めながらもこめかみを揉む。あの演技以来、何度この馬鹿らしい言い訳を口にしてきただろうか。平和に一介の中忍として生きていきたいイルカを脅かす存在・・・・・木の葉の里三代目火影の意地の悪い微笑を思い出して、イルカは悔しそうに唇を噛んだ。今思うとあの急性盲腸になった男もぐるだったのではないかと疑っている。

イルカよ・・・お前が裏暗部に戻る日もあろうかと、その実力を隠す事に協力してやっていたが・・・・戻らんのであれば何も秘密にしておくことはない!表の世界で上忍としてきりきり働いてもらおう。木の葉の里はいつでも人材不足なんじゃ!逆らったら命令違反という事で処罰を与えるからそのつもりで。もう特別扱いはせんからな!早速模範演技の代役を務めるのじゃ!

くそう、とイルカはもう一度呟いた。どっちに転んでも平和に暮らしていく事はできそうもないじゃないか。くそう、火影様め。

頭を抱えるイルカに突然カカシが言った。

「ねえ、イルカ先生。少しだけ俺と手合わせしてくれませんか?一度だけ俺に向かって蹴りを入れてみてください。」

「えぇっ!?」

実はそういう申し出も後を絶たない。あれ以降、イルカに手合わせを申し出る輩が沢山いるのだ。忍びというものは何と腕比べの好きな者達の集まりなのだろうか、とイルカはうんざりしていた。密やかに目立たず暮らしたいイルカにとっては、全くありがたくない状況だ。しかし渋るイルカにお願いします、とカカシは何度も頭を下げる。イルカは自分の好きな人にそこまで懇願されて、断る事ができなくなってしまった。

「それじゃあ、左足前蹴りを行きますよ・・・・」

イルカは浮かない顔をしながら、先に繰り出す技を教える。「手加減しないで思い切り来てくださいね」とカカシに真剣な瞳で訴えられて、イルカは盛大に困った顔をした。

て、手加減しなかったら肋骨折れちゃうよ・・・・ま、まあ大丈夫か・・・・カカシ先生ほどの実力なら何とかできるだろうし・・・・それに手抜きしたらすぐにばれるだろうしな・・・・・

イルカは観念したように頷くと「行きますよ!」という言葉と共に、予告通りの蹴りを繰り出していた。
その瞬間。
めきょ。
嫌な音を立ててイルカの足がカカシの右腹部にめり込んでいた。肋骨も何本かやってしまった感じだ。

「なななな、なんで避けないんですかーーーーーーーー!?」

イルカはあまりの出来事に大絶叫していた。何がなんだか分らない。でもこの事がばれたら、動けなくなったカカシの代わりと言って、火影に無理難題を吹っかけられそうだ。確実だ。絶対だ。しかし、それよりも何よりも今は。

「カカシ先生、しっかりしてください!い、今病院まで運びますから!!」それが先決だ!

突然カカシを担ぎ出すイルカに、カカシは呻き声を上げながらも小さく笑った。

ひょっとしたらとカカシは思っていたのだ。ひょっとしたらイルカは黒蝶なのではないかと。模範演技の蹴り技を見た時にそんな馬鹿げた考えがカカシの頭に浮かび、そして離れなくなった。
黒蝶に前回やられた時も、カカシは見事な蹴りで撃沈したのだ。

何を馬鹿なことを。そんなわけないでしょ?

思いながらもカカシはイルカに蹴りを強請った。思い切り蹴ってくれと、しつこいくらい言った。
もし黒蝶ならば。
身分を隠しておきたいのだから、言葉通りに強烈な蹴りを入れることはないだろう。きっと適当な蹴りを入れて、この程度で精一杯です、と上手く騙して見せようとするのだろう。黒蝶は頭が切れる。中忍の実力以上の蹴りを放つという、自分の身分がばれるかもしれないような危険な事は万に一つもしないはずだ。
そう思って半ばイルカを黒蝶だと決め付けて、何の防御もしないで突っ立っていたら。

めきょ。

本当に遠慮会釈なく、物凄い勢いで繰り出された蹴りが自分の腹にめり込んでいた。肋骨も確実にいってしまった。体を走る激痛に萎んだ心も痛かった。

やっぱり黒蝶じゃなかったか・・・・・そうだよな・・・・なんでそんな馬鹿なことを・・・・・・

今更ながらに嘆息すると、カカシを担いでいたイルカが「何で避けなかったんですか?」と怒った声で言った。怒った声で言いながらも、その瞳は心配そうにカカシを見つめている。

俺が・・・・イルカ先生か黒蝶か決めかねているから、こんな都合のいい妄想を抱くのかな・・・・二人が同一人物ならいいなんて・・・・そんな事を・・・・・

カカシは何となく情けなくなって、イルカの視線を避けるように俯くと、ごめんねイルカ先生、と小さく呟いた。

 

終わり

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