君の近くにいよう後編


あの指輪がいけない。イルカは思った。あの指輪に浮かれてしまった。カカシに応える気も無いのに。
それでもイルカはその指輪を返す気はまったく無いのだった。

だってこの指輪は俺のものだ。

手の中の指輪をイルカはまじまじと見つめた。摩擦で消えかかっているが、指輪の裏側にイルカの母の名前を辛うじて読み取れた。
母の遺品だった。白い布を被された、かつて母だったものの残骸に残された唯一の。
イルカは大切そうにギュウッとそれを握り締めた。いつもお守りとして、鎖を通して身につけていた。
だが、イルカは10日ほど前にそれを失くしてしまったのだ。気がつくと、老朽化した鎖が切れていた。
どうしよう、何処で落としたんだろう。
全く気がつかなかった。イルカは自分が歩いたところを丹念に探した。
朝起きたときは確かにあった。だから今日歩いたところを探せばきっと見つかる。
途方も無い話だったが、イルカは自分にそう言い聞かせて、一生懸命探した。だが見つからなかった。
次の日も次の日も、イルカは探し続けた。今日も探すつもりだった。少しばかり諦めで心を暗くしながら。

その指輪をカカシが。

どうしてなのかわからなかった。
このことは誰にも言ってはいなかった。

わかっているのは、この指輪をカカシが拾ってイルカに届けてくれたことだけ。

終業後イルカを迎えに来たカカシに、イルカは質問を待ちきれずに詰め寄った。

「これ、どこにあったんです?どうしてカカシ先生が持って」言いかかけて、まさか探してくれたんじゃないよな、とイルカは途中で口を噤んだ。

教えてあげましょうか、とカカシがイルカの手を引いて連れてきたところは、川沿いの土手だった。雑草がぼうぼうと繁るその場所に、イルカは自分が座り込んでいたことを思い出す。勿論イルカもそこを探したのだが、草深く見つけられなかったのだ。

「ここで見つけたんですよ。探すの大変でした〜。」忍犬も使っちゃいました。

カカシが眉尻を下げて情けなさそうに笑った。

「ど、どうして知ってたんですか?俺がこれを無くしたこと。」

やはり探してくれたんだとイルカの心は驚きと申し訳無さで一杯になった。

「ああ、そんな顔しないで下さい、イルカ先生。種明かしをするとね、俺はイルカ先生が探し物をしているところに出くわしているんですよ。」

カカシの言葉に、そういえばすれ違ったことがあったような、とイルカはおぼろげに思い出す。

「あなたが必死に何かを探している様子だったから、何か落としたんですか、一緒に探しましょうか、って声をかけたんですよ。」

そうしたらあなたが、いいえ何も、って答えたんです。
いいえ何も落としてません、気を遣っていただいてありがとうございます、って。泣きそうな顔で。
あなたの手に切れた鎖が握られているのが目に映りました。
日頃あなたの胸元ばかり見ている助平ですからねえ、俺は。
だからすぐに分かりました。いつも下げていた指輪をなくしたんだなあ、って。

「大切なものだったんデショ?」見つかってよかったです。

まるで自分のことのように嬉しそうに笑うカカシを見て、イルカは胸の奥がジンと熱くなった。

なんなんだ、この人。
ふざけた態度で俺をからかっているのかと思えば、突然こんなにまともなことを言う。
そんなに優しい目をして。信じてしまいそうになるじゃないか、あんな戯れの言葉を。

イルカはそんな心の戸惑いを払拭するかのように言った。

「指輪のことはありがとうございます。でも俺、カカシ先生にそんな風にしてもらっても....。」カカシ先生の気持ちに応える事はできません。

そう言おうとするイルカの口に、カカシは自分の右手の人差し指をあてて、シーと囁いた。

「いいんですよ、イルカ先生。あなたはそんなこと気にしなくていいんです。俺は自分がしたいことをしているだけなんです。それであなたが俺を好きになってくれるんじゃないかなんて期待しちゃいないんです。だから。」

俺の気持ちまで否定しないで下さい。

そんなことをサラリと言われて。イルカは胸が苦しくなってしまった。

「そ、そんな、カカシ先生、なんのメリットもないじゃないですか...。」呟くように言うイルカにカカシは歌うように言った。

「ありますよ〜大ありです。」

イルカ先生は自分のためには泣いたり怒ったりしないんですよ?気付いてました?
イルカ先生は全部我慢しちゃうから。誰に頼ることもしないから。

「だからね、大好きなあなたがひとりで我慢しないように、少しだけ手助けができれば俺は満足です。」

イルカは泣きそうだった。どうしよう、と思った。どうしよう。多分俺はこの人のことが好きだ。それもかなり。
そんなことを認めてしまうのは勇気の要ることだったけれど。

「それじゃ、俺がむしゃくしゃした気分の時にはカカシ先生に八つ当たりしてもいいんですね?」

「はい。」突然のイルカの発言に驚きながらもカカシが頷く。

「俺が泣きたい時には俺に胸を貸してくれるんですね?」

「イルカ先生....」

言いながらカカシの胸に顔を押し付けたイルカの背に、躊躇いがちにカカシの腕が回る。

そう、俺は今泣きたい気分なんだ。

「言っときますけど、まだプロポーズを受けたわけじゃありませんからね?」イルカは釘を刺すのを忘れなかった。

はいはい、わかってますよ。

でれっとした声がそれに答えた。

本当に分かっているのかどうか、ちょっと怪しい。カカシの手の動きも怪しいし、カカシの唇が首筋に落ちている。

全く、と呆れながらイルカはもうそれ以上何も言わなかった。



               終
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