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た、大変な事になってしまった…!

イルカは昏睡状態のカカシの枕元で込み上げてくる涙を拭った。管だらけのカカシの姿が痛々しい。
気が付くと病院のベッドで寝ていた。看護婦の話によると、カカシの家で小火騒ぎがあり、その火元と思われる部屋にカカシと自分が倒れていたらしい。カカシは火を消し止めるために限界を越えてチャクラを使い切ってしまったようで、意識不明の重体だった。イルカもかなり火傷を負っていたが、医療技術の高い木の葉では跡すら残らない程度のものだった。
「はたけさんのお陰ですよ。もう五分も術の発動が遅かったら危ないところでした。」
発見された時、カカシはイルカの手をギュッと握っていたそうである。もう大丈夫ですよと安心させるように。
イルカはそれを聞いてハラハラと涙を零した。

とんでもない事をしてしまった…俺は何て事を…!

悔恨と懺悔の涙だった。というのも、火事の原因はイルカだった。イルカが火をつけたのだ。

まさかこんな事になるなんて…謝っても謝りきれない…!

それは発作的な衝動だった。
自分の姿をした人形が南極ニ号…いわゆるダッチワイフだと気づいた時。
心に蟠る消化不良のものたちが全て繋がり、一つの真実を弾き出したのだ。

カカシ先生は俺のストーカーだったんだ…!ずっと俺をストーカーしていたんだ…!

そもそもの事の発端をイルカは改めて考えた。
急に着心地を変えた衣服。傷んだ状態から再生復活を遂げる食料。身に覚えのない丸められたティッシュ。
そして町を歩いていてもアカデミーで授業をしていても。家で寛いでいても。自分を見詰める尋常ならざるオーラを孕んだ視線。
誰かにストーカーされていると思った。しかしカカシにストーカーの監視を頼んでからというもの、その気配はまるで無くなった。
だからずっと勘違いだと思っていた。ストーカーなんて、最初からいなかったのだと。とんだ思い違いをしていた。
イルカはワナワナと体を震わせた。

気配がなくなって当たり前だ…カカシ先生がストーカーだったんだから…
一体いつから俺の事を見ていたんだ…!?

嬉しい、とイルカは頬を薔薇色に染めた。嬉しくてたまらなかった。

あの高潔で高邁な志の忍の中の忍と言っても過言ではない人が…こんなにも激しい情熱で俺を見ていてくれたなんて…!

ストーカーとしてのカカシを求めていた。
そのカカシが真のストーカーだったと知ったイルカは例えようも無いほどの安堵を感じていた。喜びで胸が張り裂けそうだ。

いつカカシ先生のあの眼差しが失われてしまうのかと気が気じゃなかった…そんな心配する事なかったんだ…!
なんて馬鹿な事で悩んでいたんだろう…カカシ先生…もっと俺を見詰めてください…!物陰から24時間365日、絶え間なくずっと…!

心の中で高らかに叫んでから、

し、しかし…ま、まさかと思うけど、こ、こんにゃくを使ったナニとか…見られて無いよな…?

イルカは羞恥に身悶えた。名高い上忍の前で最高の自分を演じてきた。
だが真実を知るカカシにとっては、とんだお笑い種だったのではないか?何処まで見られてしまったのだろう?
テレビを見ながらラーメンを啜っていて、大笑いした瞬間に鼻からラーメンの麺やらシナチクが飛び出てしまったところとか。
洗濯が面倒なのでその日使ったパンツを裏返してまたはいてしまったところとか。飲み過ぎて寝ゲロで朝を迎えたところとか。
イルカの脳裏に過去の自分の醜態が次々と浮かんだ。

酷過ぎる…!

イルカはガクリとその場に膝を付いた。
過去の自分は最低最悪だ。こんな自分をストーカーしていたなんて、とカカシの嗜好に対して疑問を感じた。

そういえばゴミ御殿に住む垢だらけの俺も笑って受け入れてくれたっけ…

それだけ愛が強いという事かと一人照れ笑いを浮かべつつも、もう一方でイルカは一抹の不安を感じていた。

完璧過ぎる俺のコレクション…あまり収集が充実しすぎると、その他に目が言ってしまわないかな…?

自分にも経験があるが、お菓子についてくるライダーカードを非常に熱心に集めていた時期があった。しかし不思議なもので、ある程度集めてしまうと突然熱が冷めていった。その後はウルトラマンガシャポン、海洋堂グリコのおまけとイルカのコレクションは変遷したものだ。カカシが体を壊すほど自慰を繰り返すこのコレクションも、今がピークのような気がした。頂点を迎えた熱は何れ冷めるものなのだ。そう思った瞬間、無意識の内にイルカは火遁の印を組んでいた。焼き払ってしまわねば、という強迫観念がイルカを支配していた。

カカシ先生が俺から興味を失う前に…このコレクションを焼き払ってしまわなくては…!
そしてもう一度、一から集め直しをさせるんだ…!そうすればカカシ先生のあの眼差しをまた長く独り占めできる…!

躊躇いはなかった。ただ、陳列棚からポンちゃんだけは助け出しておいた。
失敗だったのは衝動的に大技の火遁で火を放ってしまったので、すぐに退路を失ってしまったことだ。水遁や何やらで逃げようにも、イルカは家に辿り着くまでの間にチャクラを殆ど使ってしまっていた。体力的にも限界だった。

あ、阿呆な事したなあ…しかもこれじゃあ大火事になってしまうかもしれない…

煙を吸い込んで意識を失う中でイルカは己の浅はかさを後悔した。カカシを意識不明に追い込んだ今ではもっと後悔している。
付け火の罪はちゃんと償うつもりだが、お縄になる前にカカシの意識が戻るまで側にいたかった。そして目覚めた時には一番に己の罪を謝りたかった。謝って許される事ではないけれど。もうきっとカカシに嫌われてしまうけれど、どうでもいい。その時はゴミにまみれて駄目人間に戻るだけだ。いい罰だと思った。自分の勝手でカカシをここまで追い込んだ事を自分自身でも許せなかった。

ポンちゃん、どうかカカシ先生を助けて…!

イルカは自分が胸に抱いていて無事だったぬいぐるみのポンちゃんをカカシの枕元に置いた。
子供の頃何か嫌な事があったりすると、寝る前にこうしてポンちゃんにお願いしたものだった。すると不思議な事に翌日には嫌な事が解決されたりしたのだ。絶交した友達と仲直りができたり。失くした大切なものが出てきたり。
馬鹿馬鹿しいと思ったが、イルカはその日ポンちゃんをカカシの枕元に置いたままにしておいた。
すると翌朝不思議な事が起こった。枕元からポンちゃんは姿を消していた。
その代わり、目を覚ましたカカシが体を起こして、
「イルカ先生…」
緊張した面持ちでイルカを見詰めていた。

続く