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こ、この部屋は一体…っ!?

イルカは鼻につく異臭に顔を顰めながら、部屋の中を一望してクラリと眩暈を覚えた。
カカシが駆け込んではふらふらになって出てくる「里の機密部屋」。
円滑な任務遂行の為にカカシが秘密裏に新薬の開発を行う実験の場。
厳重に施錠された扉の向こうには、如何なる未知の空間が待ち受けているのかと戦々恐々としていた。
していたが。いざ踏み込んだ「里の機密部屋」は、また想像とは違った意味でイルカを戦々恐々とさせた。
壁には様々な年齢の自分の額縁写真。
その下に立てかけられた自分に酷似した怪しい人形の数々。
関節可動式で妙にリアルな上、どの人形も口だけが中途半端に丸く開いているのが気になる。
時々その口元に何か乾いた糊の様なものがこびり付いているのももっと気になる。
何となくイルカはいかがわしい雑誌の通販欄に載っていた人形を彷彿していた。

なんか…あったよな…確か「南極二号」とか…

『本物同様の質感をここまで実現!特許申請中』『NASAも推奨』の文字に、少し心が動かされた甘酸っぱい記憶が甦る。
留守中に届いて、もしも大家さんが一時預かりしてしまったらと心配で申し込まなかったが、

一瞬コンニャクよりマシだと思ったんだよな…でも今思うと、コンニャクより情けないよな…
っていうか…今もコンニャクしか知らない俺の方がずっと情けないか…ははは…

渇いた笑いと共に込み上げるものに目頭が熱くなる。

いかんいかん、過去を振り返ってる場合じゃないだろ…それよりも…この部屋は何なんだ?どうして俺の写真や人形が…?

イルカは今一つ事態が呑み込めないでいた。
何故ならイルカの中でカカシは常に、高邁な志を持つ憧れの上忍だからだ。
目の前の尋常ならざる変質ちっくな品々を見ても、それがすぐに「カカシ=変態ストーカー」という等式には変換されなかったのだ。
だからイルカはまだこの部屋が「里の機密部屋」であることに何の疑いも抱いていなかった。

は…っ!?まさかカカシ先生…俺に万が一侵入された時の事を考えて、意表をついた部屋の装飾で俺を霍乱しようと…!?

イルカは簡単な事実を複雑に歪曲して解釈した。

さすがカカシ先生…でも俺も騙されませんよ…!俺は新薬臨床実験の証拠を掴んでみせる…!

カカシ先生の健康の為にと発奮して、イルカはより熱心に部屋の中を調べ始めた。勿論南極ニ号もどきも丁寧に調べた。その時イルカはある事実に気付いて愕然とした。

え…?…この人形達が着ている服…全部本当に俺のものじゃないか…!?

夏の水泳授業の後で教室から忽然と姿を消した海パン。
奮発して買ったお気に入りのジーンズ。捨てたはずの毛玉だらけのセーターに年季の入ったゴムの伸びきったパンツ。
あまり衣装持ちでは無いイルカには、その殆どに見覚えがあった。
念のために裏を返して品質表示のタグを見る。そこには油性マジックで「うみの イルカ」と書かれていた。
イルカは必ずその場所に名前を書くのだ。

間違いない…!やっぱり正真正銘俺のものだ…!

そう確信してイルカは激しく動揺した。

長年、な、なくしたとばかり思っていたものがこんなに沢山…
ど、どどど、どうしてカカシ先生の「里の機密部屋」に…?
これは一体どういうわけなんだ…!?

幾ら考えてみても分からない。戸惑いに彷徨うイルカの瞳は今度はクリスタルに金をあしらった豪華な陳列棚を捉えた。よく見るとダイヤモンドといった宝石も鏤めてある。

う、うわー…なんて豪華なんだ…?一体何が飾ってあるんだろう…?

イルカは近付いてみて「あっ!」と思わず声を上げた。
「ポ、ポンちゃん…!!!!」
母ちゃんが小さい頃にタオルで作ってくれた、犬のぬいぐるみ「ポンちゃん」。
赤いフェルトで作ったベロと黒いボタンを三箇所縫い付けただけの何ともいえない顔が大好きだった。

これが無いと眠れなかったんだよなあ…親を亡くしてからは特に…

よれよれのボロボロで草臥れ果てて。顔のパーツはどこかにいってしまったけれど、結構大きくなるまで一緒に寝ていた。
何処に仕舞ったのかと思っていたけれど。そのボロボロのポンちゃんがクリスタルの陳列棚の中に鎮座ましまして…。

なななな、なんでこれがカカシ先生のうちに…!?

これには流石にイルカも不審なものを感じた。霍乱の為といえど、やり過ぎだ。少しばかりカカシに対する疑いが芽生えた。それをイルカは自分自身で必死に打ち消した。

い、いや…やり過ぎだけど、やはりこれは霍乱の為のものに違いない…!
さっきから鼻につくこの異臭…!この異臭こそが隠された新薬の実験の証拠なんじゃないか…?そうだよ、うん!!!!

イルカは気を取り直して、異臭が強くなる方へと進んだ。そして。
「う…っ!こ、これは……っっっ!?」
目の前に広がる馴染み深い光景にがくりと膝を折った。
うず高く積まれた45リットルのゴミ袋の山。その中にはやはり馴染み深い使用済みティッシュがパンパンに詰まっていた。
塩辛の蓋を開けた時のような、強烈に発酵したイカ臭ささを発しながら。
そのゴミの山の前には上半身だけ忍服を着た南極二号もどきが転がっていた。

続く