遥か彼方


「遠くへ行きたいですね〜。」

カカシが目を眇めて窓の外を見遣った。冬の空は灰色に淀み、木枯らしが舞い散る枯葉を届けようと忙しなく窓を叩いていた。

「そうですね、こんなに寒いと温泉とか行きたくなりますよね。」

炬燵でヌクヌクとしながらイルカが呑気に相槌を打つと、カカシがクスリと小さく笑った。

「違いますよ〜イルカ先生。もっと遠くです。」

「もっと遠くって....。」ハテ、何処だろうとイルカは首を傾げた。

「もっと、遠くですよ〜もっと遠く、地平線の遥か彼方まで、です。」

「そりゃ、また随分と遠くですねぇ...。」イルカは少し呆れた。なんだ、夢物語か。

カカシはそんなイルカの様子に構うことなく、夢見心地にうっとりと呟いた。

争いもない。
争う必要もない。
誰も知らない。誰の手も届かない最果ての地で。
俺は忍であることをやめて、タダノヒトとして生きるんです。
毎日あんたと愛し合って。
毎日あんたと確かめ合って。
ただそれだけのために。

「ねえ、イルカ先生。一緒に行こうって言ったら、ついて来てくれますか?」

遥か彼方、最果ての地まで。

そう尋ねるカカシの顔が寄る辺のない幼子のようで、イルカは瞬間胸が詰まった。


カカシはなんてくだらない事を訊くんだ。

イルカは眉間に皺を寄せた。

ついて来るか、なんて。
そんなの。
何処までもついて行くに決まってる。
例えカカシが来るなと言っても。そこが地獄の果てだったとしても。


でも今は。
今は頷いてはいけないのだ、とイルカには分かっていた。
カカシを蝕むものが、カカシをこの現実からゆっくりと乖離させていく今は。


イルカは無言のままカカシを見遣った。返事を待つカカシの直向な視線とぶつかる。


今頷いたら、カカシは安心して。すごく、安心して。

きっと。
きっと、もう。


帰って来ない、気がした。

それは漠然とした、確信。


イルカはカカシの額をぺしりと叩いた。

「嫌ですよ。そんなとこ、行きたくありません。行きたいなら一人で行ってください。」にべもなく言う。

「え〜そんなぁ。イルカ先生、酷いです〜。」ふざけた調子で言いながら、カカシは傷ついているようだった。

「カカシ先生、俺は、ここにいます。」イルカはカカシの抗議も聞かずに続けた。目はカカシを見据えたまま。

「俺は何処へも行きません。ずっとここで、あんたを待ってます。だからちゃんと帰って来て下さいよ。」

そんな遠くまで行かなくても。
ここであんたと愛し合って、確かめ合って。
いっぱい甘やかしてあげます。

だから。
帰って来てください、ここへ。


言い終わらぬうちに、伸びてきた腕がイルカを抱き寄せた。カカシの顔を見ることはできなかったが、摺り寄せられるカカシの頬が濡れていた。震える声でカカシはイルカの耳元に何度も囁いた。


.....てきます。ここへ。


優しくカカシの背中を撫でながら、その度毎にイルカも律儀に答えた。はい、待ってます。


遥か彼方なんかではなく。
確かなこの場所で、ずっと。




               終
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