裸の上忍様(36-40)




そ、そうだ…俺、カカシ先生にキスされたんだった…!
その時の俺の態度についてカカシ先生に謝りに来たのに…
黄金の割ぽう着やら美味しい夕飯やらに夢中で、当初の予定をすっかり忘れてた…!

イルカは自分の迂闊さに顔を赤くしました。
カカシは何気ない態度でご飯を口に運びながらも、ずっとその事を気に掛けていたのでしょう。

そういえば、はたけ上忍…秋刀魚や茄子が大好物だってあんなに嬉しそうにしていたのに、ちっとも箸が進んでいなかったもんなあ…おかしいと思ったんだよ…キスの件で頭の中がいっぱいだったんだな…

カカシはきっと、今か今かとイルカが謝罪の言葉を口にする瞬間を待ち構えていたに違いありません。

それなのに俺ときたら、はたけ上忍の気も知らずに、呑気にご飯のお代わりなんかして…!

大変だ、とイルカは慌てて箸をテーブルの上に置きますと、カカシに向かって突然がばりと頭を下げました。
「す、すみません、はたけ上忍…!お、俺、融通が利かなくて…っ、あなたを不快な気持ちにさせてしまって…!」
「え…っ?」
カカシは吃驚しているようでしたが、構わずイルカは続けました。
「あ、あのキスは酒の席でのおふざけというか、無礼講(?)だったんですよね…!?
俺、そういうのに疎くて…ノリが悪いってよく同僚にも文句を言われるんです…
あの時はただ窒息しそうで息苦しくて、思わず突き飛ばしてしまっただけで…他意はないというか…
嫌とかなんとか、はたけ上忍が考えているような気持ちは全然なかったんです!本当です…!!信じてください…!!!」
イルカは額をテーブルに擦り付けるようにして、尚も頭を下げました。
他にどうしたらいいのか分からなかったからです。
そんなイルカに対しカカシは何の言葉もありませんでした。
気まずい沈黙の後カカシは深い溜息を吐いて、ようやく重い口を開きました。
「イルカ先生…」
「は、はひ…ッ!」
緊張に、答えるイルカの声が引っ繰り返ります。
それに少しだけ微笑んで、カカシは静かに言いました。
「確かに酒を飲んではいましたけれど…あのキスは悪ふざけなんかじゃありません…」
「は…?」
「俺はあなたの事が好きです…だから…キスしました。」
「へ…っ?」

すき…?すきだからきすしたって……ええ……っ!?
お、俺の聞き間違いか…!?隙があったからキス、って言ったのか…!?

カカシの告白がとても信じられなくて、単純な言葉を複雑に曲解してしまいます。
真意を尋ねたくても激しい動揺にとても言葉にならず、イルカが顔を伏せたまま何も返せないでいますと、
「…おかしいですか?こんな俺が…始終素っ裸の男が恋なんて…」
ふっと自嘲的にカカシが呟きました。
その声音がなんとも哀しくて。
イルカは胸がズキリと痛むような、なんともいえない気持ちになって、思わずがばりと顔を上げて叫んでいました。
「そ、そんな、ちっともおかしいなんて事ありません…!」
「いいんですよ、イルカ先生…気を遣ってくれなくても…」
「そ、そんな気を遣っているわけでは…」
「そう?でもよく考えてみてください。素っ裸の男がまともな恋愛なんてできるわけない…
恋人とふたりで気軽に食事や映画に行ったり…世の中で言う『デート』なるものをしたいと思っても、
外出時はいつもお付の者がいるし、ひれ伏した群集の真ん中で甘い時間を満喫できる筈もない…ふたりきりで過ごせるのは家の中だけ…
そんな面倒な男と付き合おうなんて奇特な人がいるわけないでしょう…?頭ではちゃんと分かっているんです…」
辛そうに顔を歪めながら、カカシは何処か自分自身に言い聞かせるようにそう言いました。
カカシはそうやって、今までひとりで何もかも諦めてきたのでしょう。
素っ裸に見える己の姿を恥じて。こんな人里離れたうら寂しい山奥に身を隠して…

何も恥じ入る事なんてないのに…!

イルカは堪らない気持ちになりました。
どうしたら長年素っ裸であるが為に傷ついてきたカカシの心を癒してあげる事ができるのでしょう。
言葉に迷うイルカにカカシが目を伏せ、そっと尋ねました。
「…頭ではちゃんと分かっているのに…あなたの事を諦め切れなくて…あなたの目に俺はどんな風に映ってる…?やっぱり俺なんて駄目ですか…?」

そんな事ない…!

イルカは夢中になって叫んでしました。
「俺の目には黄金の割ぽう着を着たはたけ上忍が死んだ母ちゃんのように映ってます…!!!
強くて優しくて料理上手で最高に割ぽう着が似合って…!全然駄目なんかじゃない、はたけ上忍、すごくいけてますよ…!!!」

母ちゃんって呼んでいいですか、と照れ臭そうに鼻先を掻くイルカの頭からは、カカシに「好き」と告白された事はすっかり抜け落ちていました。




「…黄金の…割ぽう着……母ちゃん……」
青褪めた顔をして、茫然と繰り返すカカシに、イルカはハッとしました。

お、俺…うっかり口を滑らせて…黄金の割ぽう着の事を…!
今まで出現したアイテムとは性質を異にする割ぽう着については、まだ黙っているつもりだったのに…!

火影傘にU首型ランニング、メロスパンツにバカボンパパ腹巻といった男らしさの象徴たるアイテムならまだしも、如何考えても割ぽう着は女性のものでしかありません。
そんな女性のアイテムを纏っているように見えてしまうなんて、カカシはきっと不快な事でしょう。

しかも死んだ母ちゃんみたい、だなんて言ってしまった…!

イルカにしてみれば、割ぽう着の似合う母親のような存在が理想のタイプなわけですから、それは最高の褒め言葉なのですが、カカシは男です。
幾ら世情に疎いと言えど、女性の格好が似合うと言われた上に母親に準えられて嬉しい男性がいる筈がない事はイルカにも分かっていました。

いや、嬉しいどころか失礼に当たるだろう…!
俺だって生徒にふざけて髪に赤いリボンを巻かれた時、「似合う〜先生可愛い〜」って言われて、全然嬉しくなかったもんな…寧ろ凹んだというか…

案の定項垂れたカカシはわなわなと震え、酷くショックを受けているようです。
己の失言にイルカは頭を抱えました。
すぐに謝るべきなのでしょうが、なんだかオロオロしてしまって、なかなかカカシに声を掛ける事ができません。
そうこうしているうちに、カカシのほうから先に話しかけられてしまいました。
「…イルカ先生…」
「は、はい…っ!」
「……黄金の……割ぽう着って……言いましたよね……俺は今……新たに割ぽう着を着てるんですか……?」
聞くものさえも沈鬱にするカカシの暗い声音に更に動揺しながらも、
「……は、はい、」
今更言い逃れはできない、とイルカが正直に答えますと、
「…割ぽう着って…女性が着るものですよね…」
ポツリとそう呟いて、カカシが悲しげにそっと目を伏せました。
そんな表情をさせているのが自分なのかと思いますと、イルカはなんだか堪らない気持ちになりました。
「そ、その…確かに割ぽう着は女性の着るものですし、俺の母ちゃんみたいだなんて、はたけ上忍は、き、気分を害されたとは思うんですけど…っ、あの、俺は母ちゃんの事大好きで…、け、決してはたけ上忍を馬鹿にしたわけでは…っ、」
「…分かっています…あなたに悪気が無い事は…」
しどろもどろになりながらも必死に言い募るイルカに、一瞬カカシはふっと表情を和らげ、そう言いました。
「…はたけ上忍…」
「…それどころか、あなたの大好きだという母親にたとえてもらえて嬉しいです…だけど…」
「だけど…?」
物憂げなカカシの横顔に、イルカはゴクリと唾を飲み込みました。
一体カカシは何をそんなに気にしているのでしょう?
じっと見詰めるイルカの視線を避けるようにして、カカシは言いにくそうに言いました。
「…俺が気にしているのは…今度はこのまま女性のアイテムが増え続け…俺が女装していくのかって事なんです…」
「え…っ?」
「…あなたの目に…俺は最終的にオカマの様に映ってしまうんじゃないかと…」
「そ…っ、」

それは……どうなんだろう?

思いも寄らないカカシの言葉に、イルカは目を見張りました。
しかし考えてみれば、カカシがそう心配するのも至極当たり前の事です。
寧ろそれは避けられない事実のようにイルカにも思われました。

女装して行く…はたけ上忍…黄金の…オカマ上忍…

想像がつくようなつかないような…
俺の頭は本当にどうなってんだよ!?と漠然とまた脳波が心配になります。
「…どうして…今ここで突然黄金の割ぽう着なんでしょうね…?」
でも突然ガーターベルトとかじゃなくてよかったと思うべきなのかな、とわざとおどけて見せるカカシが痛々しくて、イルカは何も言う事ができませんでした。
何か言いたくても、自分自身ですら黄金のアイテムが何故出現するのか、その理由が全く分からないのです。どうして女性のアイテムに移行したのかも。
今のイルカには「流石に黄金のガーターベルトは出ませんよ、」とカカシを安心させてあげる事もできないのでした。

ガーターベルトがグッとくるって思った時期もあったしな…でも本当にどうしていきなり女性のアイテムが…
これじゃあまるで、俺にはたけ上忍を女装させたい潜在願望があるみたいじゃないか…!

ふとそんな事を考えて、イルカはサーッと青褪めました。

…そんな…まさか……そうなのか…?いや、本当は俺に女装願望が…?

自分自身がよく分からず、イルカがうろたえていますと、カカシが自嘲的に言いました。
「オカマと全裸と…どっちがいいんでしょうね…」
オカマと全裸。究極の選択です。
「は、はたけ上忍…」
「ハハ…馬鹿な事言ってますね、俺…どっちも嫌に決まってますよね…さっきの言葉は忘れてください、イルカ先生…」
「え…?」
「…あなたを好きだと言った事は…もう…忘れて…」
その時イルカはカカシに好きだと告白された事をようやく思い出したのでした。




「はて。黄金の割ぽう着とは…」
イルカに新たに現れた不思議に、火影様は顎鬚を撫でながら、むうと唸り声を上げました。
今度のアイテムの特異性は火影様にも分かります。
イルカの理想とする男性像の象徴たる衣服をカカシが着込んでいく…
それについては、ある種カカシに憧れる気持ちが具現化して見えるのではないかと納得する事ができるのですが、
ここで何故いきなり「おふくろさん」アイテムなのでしょう。
カカシが割ぽう着出現前に料理をしていた事が関係しているのでしょうか?
ですが、今までのアイテムは前後の脈絡なく登場しています。
メロスパンツの登場前に、カカシが息も絶え絶えになるほど走り込んでいたわけでもないですし、
U首ランニングの出現前に、枝豆をつまみにビールを飲んで寝そべっていたわけでもないのです。
「…どうして割ぽう着なのかのう…」
思わず困惑気味に呟く火影様に、イルカもどう答えたらよいか分からず、眉尻を下げました。
「…はあ、それが俺にもサッパリ…」
「して、カカシはなんと言っておった…?」
「…はたけ上忍は…今度は女性の黄金アイテムを着込んで、自分がオカマ化していくのかと気に病んでおられました…」
「…オカマ、か…」
「…はあ…」
「………」
「………」
ふたりは一瞬それぞれにカカシの女装姿を思い描き、沈痛な表情を浮かべました。
なんとなく、また何か新しい局面を迎えた事は分かるのですが…その変化はいい事なのか悪い事なのか、判然としませんでした。
「…その事がカカシに余計なプレッシャーを与えねばよいのじゃが…お主だったらカカシの良い話し相手になれると思っておったんじゃがのう…」
表情を暗くする火影様に、イルカは慌てて言いました。
「あ、あの…っ、それについては心配に及びません…!は、はたけ上忍の方から、気にせずに今まで通り付き合って欲しいと言われました…!」
「なんと、」
火影様は大袈裟に驚いた顔をしました。
「対人関係において、常に後ろ向きなあやつがそんな事を口にするとは…お前はカカシに相当に気に入られておるようじゃのう…」
「は、はあ…どうでしょう…」
イルカはもごもごと歯切れの悪い返事を返しました。

気に入られている程度の話じゃなく…ハッキリ好きだって告白されちゃったもんな〜…それどころか不意討ちとはいえ、キスまでしちゃってるし…

その時の事を思い出して、イルカはかあっと頬を赤くしました。
正直に言いますと、イルカは男と付き合うなんて考えた事も無く、ホモがこの世にいる事自体不思議でなりませんでした。
なので、カカシに告白された時、困った事になったなあ、と思ったのですが…
「…あなたを好きだと言った事は…もう…忘れて…」

無かった事にしましょう。ね?

昨晩そう言って悲しげな微笑を浮かべたカカシがくるりと背を向けた瞬間。
何故だかイルカの胸もズキリと痛んで。
イルカはカカシの服の端っこを反射的にハッシと握って、叫んでいたのでした。
「あ、あの…っ、ちょ、ちょっと考える時間をもらえませんか…?」
叫んだ瞬間かあっと頬が熱を持ち、全身から汗が噴きました。

な、何言ってんだ?俺は…ちょっと考えるって…それがどういう事か、意味分かっていってんのか…!?
はたけ上忍と恋人として付き合う気があるのか…?

自分で言っておきながら、なんだか自信がありません。ないのですが…悲しそうなカカシの顔を見るのは嫌でした。
カカシはガバッと振り返り、イルカに詰め寄りました。
「か、考えるって…それ…本当ですか?」
「は、はあ…」
「…嬉しいです…!」
「あ、あの、でも、まだどうなるか…」
「分かってます…でも、返事に迷うくらいは、俺の事気にしてくれてるって事でしょ…それだけでも嬉しいです…!」
頬を紅潮させ、にっこりと笑うカカシは本当に嬉しそうで。
それを見ていると、なんだかイルカも嬉しい気持ちになってきて。
「はい、返事に迷うくらいは、はたけ上忍の事が好きです…!」
今度は自信を以ってそう口にする事ができました。
恋人云々は今のところまだよく分からないのですが、それだけははっきりと言い切る事ができました。

しっかし、その後、話の途中なのに、突然はたけ上忍がガッシャガッシャと夕飯の皿洗いを始めたのには参ったよなあ…

どうして今ここで皿洗い?とイルカは面食らいました。今思い出しても謎です。
しかも「手伝いましょうか?」と声もかけられない迫力と勢いでした。
カカシはシンク周りまでも綺麗に磨いた後、
「……そ、その、こ、これからもよろしくお願いします、イルカ先生…」
額に汗を掻き、赤い顔をしてハアハアと息を乱しながら頭を下げました。
「は、はい…!」
よく分からないながらも、イルカはそう頷いたのでした。
勿論この件については火影様にも内緒です。幾ら常識知らずのイルカといえど、その辺の事はちゃんと分かるのでした。
「なんじゃ、イルカ。顔が赤いぞ、」
熱でもあるのか、と火影様の声がイルカを現実に引き戻しました。
「い、いえ…その、大丈夫です!」
イルカが慌てて答えたその時、昼休みを告げる鐘が鳴り響きました。
「あっ、もうこんな時間…すみません、火影様…っ、ちょっと急がないといけない用があるので…!」
大急ぎで執務室を出て行こうとするイルカに、
「なんじゃ、いきなり…?何の用じゃ?」
火影様が幾分気分を害した様子でそう尋ねますと、
「はたけ上忍と一緒にお昼を食べる約束をしているんです!」
失礼しますー!とイルカは背中越しに答えながら、バタバタと掛けて行ってしまいました。
「カカシと…昼食?」

一体何処で?

火影様は手の中から煙管をポロリと落としました。




「イルカ先生のおむすび、とっても美味しいです…塩加減といい握り加減といい、絶妙ですね…!」
「そ、そうですか…」
イルカ特製爆弾おむすびを頬張り、顔を綻ばせるカカシに、相槌を打つイルカの表情は冴えませんでした。
三段重ねの重箱弁当は、前日に仕込みをした上翌朝4時に起きて、イルカが腕によりをかけ作ったものです。
褒められて嬉しくない筈はありません。
しかし…
ぴちょんと音を立てて頭上から落ちて来た滴が運悪くイルカの首筋に命中して、ひゃっとイルカは思わず間抜けな声を上げ、首を竦めました。
そう、何故かイルカはアカデミー近くの死の森にある、鍾乳洞の中に敷かれた茣蓙の上に座っているのでした。
外は暖かは日差しに包まれた昼下がりであるというのに、鍾乳洞の中の気温は17℃とひんやりと冷たく、吐く息が白く濁ります。
その上日の光が届かない洞内は真っ暗で、明かりはといえばカカシ持参のランタンのみ。
雨漏りの様に絶えず滴り落ちる水滴の音が、ぴちょんぴちょー…んと洞内に反響して、不気味な感じを盛り立てています。
今にもイルカの大嫌いな「ゆ」のつくモノが出てきそうなムード満点で、イルカは気が気ではありませんでした。
とても弁当を摘みつつ談笑をする気持ちになんてなれません。

まさかこんな場所でお昼を食べる事になるなんて…

イルカは洞内の奥で天井からぶら下がり、目を爛々と輝かせている無数の「コ」のつく生き物をちらと見遣って、身震いしました。バッドマンは好きですが、「コ」のつくものたちを愛せそうにありません。
足元の水流を目の退化した魚が泳いでいく姿を見て、おっ?新種の魚発見…?と俄かに浮かれ、次の瞬間には俺は川口ひろしか!?(古っ)と目頭が熱くなりました。
確かに、一緒にお昼でも食べませんか、と誘ったのはイルカの方なのですが…
「お昼を食べるのに、とっておきの場所があるんですよ。」
とても静かで落ち着ける、俺のお気に入りの場所です、とにっこりと微笑んだカカシに騙されたというか何というか、まさか鍾乳洞に連れて来られるとは…

はたけ上忍とは夜の闇に乗じて会ってばかりだったし…日の光の下で会うのもいいと思ったんだけどなー…

寧ろこれからは積極的に、お天道様が見守る中堂々とカカシと会うつもりでした。
昨晩カカシと話していて感じた事ですが、どうもカカシは己を卑下し過ぎているような気がしました。
「真っ裸に見える」という事実を差し引いても、そんなに周りに遠慮して、身を隠す必要はないとイルカは思ったのです。

折角専用条例があるんだから、それをもっと利用すればいいんだよな…

何よりも、始終素っ裸な男でもまともな恋愛はできる、それをカカシに身を以って教えてやりたかったのです。

少なくとも、俺は相手が始終真っ裸でも全然かまわない…い、いや、ちょっと困るけど…本当に好きなら、そんな事気にならない筈だ…!
…って、別に俺がはたけ上忍をそういう意味で好きってわけでもないけど…

とりあえず、
『素っ裸の男がまともな恋愛なんてできるわけない…!恋人とふたりで気軽に食事や映画に行ったり…世の中で言う『デート』なるものをしたくてもできない、』とカカシが実現不可能として列挙した事柄を幾つか叶えて、後ろ向きな人生観をなんとかしなければ!とイルカは思ったのでした。

はたけ上忍に足りないのは衣服ではなくて、自信だ…!
だから手始めに『気軽に食事や映画』っていうのをクリアーしようと思ったんだけど…

なんか失敗したっぽいよなァとイルカは溜息をつきました。
ここまでカカシが人目を気にしていたとは思ってもみませんでした。
因みにお供の者達は死の森の入り口で待機させています。わざわざ物騒な死の森に足を踏み込む輩はいないので、先払いの必要がないからです。
カカシにとっては心の安らぐ場所なのでしょうが…最早そういう問題ではありません。世情に疎いイルカでも、今の状況がおかしい事は分かっていました。

幾ら鍾乳洞内がマイナスイオンに満ちていて、身体にいいといっても…こんなところで落ち武者の様に隠れて昼飯を食べるなんて…!
やっぱりこのままでは駄目だ…これじゃ何も変らない…っ!

水滴がぴちょんと弁当のおむすびを濡らすのを見た瞬間、なんだか堪えきれなくなって、イルカは思わず叫んでいました。
「はたけ上忍…っ!明日…明日のお昼も…よかったら、是非一緒に食べませんか?」
「は、はい、勿論です…!」
かあっと顔を赤くして嬉しそうに頷くカカシの顔を見詰めながら、イルカも大きく頷き、言いました。
「…それじゃあ明日はアカデミー前の定食屋『朝の葉』で昼食にしましょう…!」
瞬間カカシが手からボトッと爆弾おむすびを落としたのですが、
「美味いんですよ、『朝の葉』の定食…楽しみだなあ、」
イルカは何食わぬ顔でそれを拾い上げ、にっこりと会心の笑顔を浮かべたのでした。




翌日の昼休み。
イルカは定食屋『朝の葉』の前にできた長蛇の列に並びながら、カカシが来るのを待っていました。

遅いなあ、はたけ上忍…

並び始めて早二十分。
出足の遅れたイルカはかなり最後尾の方だったのですが、次の次にはいよいよイルカの順番が回って来てしまいます。
どうしよう、とイルカは焦りました。混雑している中、まだ来ていないカカシの分の席を取るのは気が引けます。
カカシを待ちつつまた最後尾に並びなおそうかと考えて、イルカはうーんと唸りました。

だ、だけどここで入らないと、毎日五十食限りの日替わり定食がなくなっちゃうよな…

店のおかみさん自らが朝早く市場に行って仕入れてきた、その日の新鮮な食材を使ったこだわりの日替わり定食は、
ワンコイン定食とは思えないほど美味しくて大変人気があり、是非にカカシにもその定食を食べさせたくて、この店を選んだのでした。
店の入り口脇に置かれた黒板のメニューには、「日替わり定食」の文字の隣りに「残り4」の文字がでかでかと赤チョークで書かれています。
イルカの前に並んでいるのは二人……二人が日替わり定食を頼んだら、本当にもうギリギリです。
人気の定食は並んでも食べられない時が多く、みすみす食べられるチャンスを不意にする事なんて、イルカにはできませんでした。

よ、よし…!他のお客さんには申し訳ないけど、ここはやっぱりはたけ上忍の分も席を取って、日替わり定食も先にふたつ注文しとこう…!
きっとその間にはたけ上忍も来るよな…!!

とりあえず、カカシが来ないかもしれないという可能性は考えずに、イルカは店に入ると二人用のテーブル席につき、日替わり定食を二人前頼みました。
五分と経たないうちに運ばれて来た定食がイルカの目の前に並びます。

あ…ッ、やった!!今日のメインは穴子丼か…!

ほかほかの御飯の上にのせられた甘だれをかけたほわほわの穴子の天麩羅の姿に、イルカはぱんとかしわ手を打ち嬉々としました。
日替わり定食の中でも、イルカの大好きなメニューです。
湯気で穴子がしなっとしてしまわないうちに、アツアツのまま食べるのがイルカ的セオリーなのですが…

でも……はたけ上忍が来る前に食べるのは失礼だよな…

イルカは大好物を前にじっとカカシが来るのを待ちました。
周りでは、どん!とお膳を置かれた瞬間から、皆が待ってましたとばかりに御飯をおいしそうに掻き込んでいます。

いいなあ…俺も早く食いたい…

ぐーっと鳴る腹を擦りながら、イルカは入り口の様子を窺いました。
お店の外で人々がまだ列を作って順番が来るのを待っている姿が、ガラスの向こうに見えていました。
時折忙しく立ち回る店員さんが、箸をつけないイルカに胡乱な視線をちらと送ります。
多分迷惑に思っているのでしょう、イルカは居た堪れなさに身を縮めました。

まさか…はたけ上忍、来ないつもりなのかな…?

今更ながらにその可能性を考えて、イルカは俄かに表情を暗くしました。

…そんなに嫌だったのかな…?俺、強引過ぎた…?
でも…たとえ来ないにしても、はたけ上忍が何も知らせてこないなんて…そんな事あるわけない…絶対に来る筈だ…!!

イルカはそう信じていました。
信じていましたが……
何時まで経ってもカカシの現れる気配はありません。
しにゃっとしてくる穴子の天麩羅と同様、イルカの眉毛もだんだんとへにゃっと下がってきます。
というか、カカシが現れなかったら、財布の中にはひとり分の定食のお金しかありません(←しかも友達から借金したもの)。

ど、どうしよう…だって絶対来るって思ってたから…!あああああ〜〜〜……!!!!

様々な意味でイルカがいっぱいいっぱいになってきたその時、
「はたけ上忍の、おなーりー…!」
先払いの声と供に、どおおおん…!とドラの音が辺りに響きました。

やっぱり来た…来てくれた…!!

嬉しくなって、思わず腰を浮かしかけた瞬間、イルカは奇妙な事に気づきました。
一瞬にして、ざ、ざーっとその場にひれ伏す人々に混じり、ちらほらとではありますが、頭を下げずにただただギョッとした様子で辺りを見回すだけの輩がいたのです。

え…?どうして…頭を下げなくちゃ暗部に連行されてしまうのに…!
俺の様に条例を知らない奴が意外にいるのか…!?

「な、何やってるんだ…?みんな頭を下げて…!!」

またこの前のような大惨事になってしまう、とイルカが悲鳴のような叫び声を上げた瞬間。
どおおおん!とまた凄まじい音が鳴り響きました。
耳を劈くようなそれはドラの音ではなく、何かが爆発した音でした。

い、一体何が…!?

かっと走った閃光が網膜を焼き、もうもうと上がる粉塵が視界を遮ります。
訳が分からずアワアワするイルカの背後に、その時誰か人影がしゅたっと舞い降りました。
「静かに…!俺は木の葉保安庁暗部所属はたけカカシ条例推進委員のものだ…大丈夫だから、兎に角2、3分の間はこのままでいろ…!」
ガスマスクのようなものをイルカに強引に被せながら、獣面の男は有無を言わせぬ口調でそう言いました。
恐ろしい殺気を感じて、言葉通りにそのままでいる事2、3分…次第に晴れてきた煙幕の中、周囲の様子が明らかになって行きます。
爆発したのは催眠玉か何かだったのでしょうか?
なんとひれ伏したものはそのままのポーズで、店中の客という客がその場に昏倒していました。
厨房の女将さんと店員だけは、背後に立った暗部にイルカ同様ガスマスクのようなものを被せられていて無事でした。
というか、この状況を無事と言っていいのか…もう何が何やら…
茫然とするイルカの背後で暗部の男は手を上げ、他の者に合図しました。
「よし…!はたけカカシ『朝の葉』外食作戦、第一段階安全確保クリア…!今からはたけ上忍は第二段階の食事に入る…!不測時に備え、皆は予定通り所定の場所にて待機する事…!」
以上、と厳しい口調で命じる男の言葉を、

え…?外食作戦って…なんだ、それ…?

イルカは他人事の様に、ぽかんと間抜けな顔で聞いていました。




続く