(26-30)

カカシは険しい顔をして、冷めた声音で言いました。
「そんな見え透いた嘘は…返って傷つきます、」
「み、見え透いた嘘って…俺、そ、そんなつもりは…」
拒絶するように背を向けるカカシに、イルカは動転してしどもどとしました。
嘘などついたつもりは微塵もありません。
「お、俺は本当に、はたけ上忍の出で立ちが格好いいと思ったから…」
「イルカ先生、」
必死のイルカの言葉をカカシが遮りました。
「…貴方に悪気がない事は…わかっています…俺を思い遣っての言葉だという事も…
でも…幾らなんでも今までで一番格好いい服装だなんて…有り得ないでしょ。可笑しいと思っているなら、正直に言ってくれた方がどんなにいいか…」
憂えるカカシの横顔に傷ついた心がひしひしと伝わってきて、イルカの胸が痛みました。
カカシを傷つけるつもりはないのに、どうしてこんな事になってしまうのでしょう。
「そ、そんな事ないです…!格好いいです!ほ、火影笠ですよ…!?忍の憧れの象徴でしょう…
それに腹巻の皺の寄り具合も最高っていうか、まさにバカボンパパっていう感じだし…」
「バ、バカボンパパ…」
イルカがカカシの服装を褒めれば褒めるほど、何故かカカシはダメージを受けているようでした。どんどん顔が青褪めていきます。
わなわなと身体を震わせるカカシに、イルカは焦りを感じました。

ど、どうしたらいいんだ…?どうやって伝えたら…俺、嘘なんてついていないのに…いつもいつもはたけ上忍に上手く伝える事ができない…

イルカは黄金のパンツの形状をカカシに尋ねられた時の事を思い出していました。
一生懸命にパンツを図解までしたのに、カカシに分かってもらえなかった辛さが鮮明に甦ります。

あの時も嘘をついてないって、はたけ上忍に信じてもらえなかった…

真実を言っているのに上手く伝えられないもどかしさに、イルカは唇を噛みました。
焦れば焦るほど、いい言葉が浮かんできません。
そんなイルカにカカシが小さく溜息をついて、ポツリと告げました。
「…今晩はやっぱり帰ります…」
ごめ〜んね、イルカ先生、とカカシはドアノブに手をかけて、まさにアパートを出て行こうとしています。
「ま、待って下さい、はたけ上忍…!」
イルカは慌てて、ひらひらとはためく黄金のパンツの裾をしっかと掴んだつもりでしたが、その手は虚しく宙を切っただけでした。

確かに今ひらひらのドレープが手の中に収まるのを見たのに…やっぱりこの黄金のメロスパンツは俺だけに見える幻でしかないんだ…!
そうだよな、実際のはたけ上忍は忍の支給服を着てるらしいし…このまま手を伸ばして触ってたら、支給服のごわごわした感触がしてたのかなあ…

一瞬妙な事に気をとられているうちに、カカシはさっと姿を消していました。
「ば、馬鹿か俺は…!?何やって…!?」
ああ〜!とイルカは頭を抱えましたが、もうどうにもなりません。

次はいつはたけ上忍に会えるんだろう…?まさかこれっきりって事はないよな…?

そう思うものの、不安が拭いきれません。

…この前だって、はたけ上忍のほうから歩み寄ってくれたから、上手くいったようなものだ…今回もまたそれを待っているのか俺は…?
そんな…そんなの駄目だ…!今度こそ自分の力ではたけ上忍に分かってもらうんだ…!!

イルカの真摯な気持ちが天に通じたのでしょうか、その時イルカの頭に突然閃くものがありました。

そうだ…!そうすればいいんだ…!!!!

イルカは新聞紙を片手に窓をがらりと開けました。
夜空には大きな月がイルカを励ますように明るく輝いていました。




翌日の受付は朝からざわめいていました。
それはイルカの所為です。
物見高い人々で鈴なりになる入り口に気付きながらも、イルカは平然としていました。

火影様には朝一番に許可を貰っているし…皆にだってお達しが行っている…
だから俺は何も気にする必要はないんだ…!

イルカはしゃんと背筋を伸ばし、堂々とした態度で受付に座っていました。
報告書を片手に受付にやって来る人々を前に、ようし、頑張るぞ!と意欲は満々です。
しかしそんな意気込みとは裏腹に、何故か何時まで経ってもイルカの机の前には誰も人がやって来ません。
受付は午後の一番混雑する時間帯で、両隣の机の前は長蛇の列ができています。

どうして誰も俺のところには並ばないんだろう…?

イルカは首を傾げました。
「こちら空いてますよー!次の方どうぞー!」
列に並ぶ人々に大声で叫んでみても、皆視線を明後日の方向にサッと逸らし、聞こえない振りをしています。
仕方がないので、今度は隣りの同僚に向かって、「処理を手伝おうか?」と声をかけますと、
「いや…俺は別に大丈夫だから、気にしないでくれ…!」と、まるで目をあわせようとしません。
そうして無視するようにしておきながら、皆ちらちらとイルカを盗み見していました。

なんでそんなに見るのかなー…?やっぱり俺には似合わないっていうか…ちょっと不遜だったか?

イルカが少し焦りを感じた瞬間、
「は、はたけ上忍、お、お待ちください…!そんなにお急ぎになられては先払いが間に合いません…!!!
ええい、皆の者、退け退け退け―――…!!!」
慌てたようにドンドンドンドン!と何度も銅鑼を打ち鳴らしながら、ヒステリックに叫ぶ従者の声が聞こえてきました。
忍にあるまじき、ばたばたという大きな足音が近付いてきます。
天下の上忍の登場に流石に慣れてきたのか、突然の地震にさっと机の下に身体を隠す様に、皆ごく自然な動きでその場にひれ伏しました。
まだカカシが受付に姿を現すかどうか分かっていないのに、備えあれば憂いなし、転ばぬ先の杖、心得たものです。
そんな中で銀の腕章をつけたイルカひとりだけが顔を上げていました。
実はこの瞬間を待っていたのです。
きっとカカシは自分の噂を聞きつけて、やって来てくれるだろうと信じていました。
その時ガラリと勢い良く入り口の戸が開いて、カカシが飛び込んできました。
「イルカ先生…!」
余程急いで来たのか、はあはあと息が乱れています。
その後から従者がはあふう言いながらやって来るのが見えました。

全く、先払いの従者が後から来てどうする…?職務怠慢だな…

イルカは小さく笑いながら、「こんにちは、はたけ上忍、」と落ち着いた態度で挨拶しました。
カカシは驚きに目を丸くして、まじまじとイルカを見詰めるばかりでした。何の返事もありません。

や、やっぱりこんな方法じゃ俺の気持ちは伝わらなかったか…?

沈黙にイルカが不安を覚えていると、
「なんでそんな格好…恥ずかしくないんですか…一体何考えてるんです…?」
カカシが呆けたように小さく呟きました
イルカは内心の緊張を億尾にも出さず、にっこりと笑って言いました。
「はい、はたけ上忍の事を考えてました。どうしたら昨晩の俺の言葉を信じてもらえるのかと思って…その時閃いたんです。
同じ格好をすればいいんだって…!俺は本当にこの服装を最高に格好いいと思っています。だからちっとも恥ずかしくなんてありません…!」
イルカはドンと胸を叩いて背筋を伸ばしました。
そう、イルカはカカシと同じ格好をしていました。
金の火影笠に、金のランニング、金の腹巻に金のトランクスといった出で立ちで、受付に座っていたのです。
火影笠はアカデミーの運動会の出し物、木の葉音頭で使ったものを押入れから探し出しました。
ランニングは父親の遺品で、腹巻はかつて母親が手編みしてくれた思い出の一品です。
トランクスは自前の物で、実際のカカシの物とは違い、裾にひらひらとドレープが寄っていませんが、その辺は時間がなかったという事で大目に見てもらうしかないでしょう。
イルカはそれらの品を引っ張り出して、広げた新聞紙の上に広げ、運動会のクス玉を作った時の残りのスプレーで金色にラッカー塗装したのでした。
物持ちがよくて良かった、とイルカは自分の貧乏性にはじめて感謝しました。
一晩中換気の為に窓を開けておかねばならず、少し肌寒い思いをしましたが、カカシに分かってもらえるならそんな事些細な事です。
「ただ、俺如きが金の火影笠を被るなんて…ちょっと思いあがってるというか…そんな風に思われたらどうしようって、それだけが心配でしたけど、」
少しばつが悪そうに鼻先を掻くイルカに向かい、
「あなたって人は…」
カカシがぽつりと小さく呟きました。
呆れたようにも聞こえるその声に、イルカはドキッとしました。

俺また失敗した…?

思わずカカシの表情を窺いますと、カカシは眩しそうな目をしてイルカをじっと見詰めていました。
金のラッカーと塗装がきつ過ぎたのでしょうか。
イルカがどうでもいい事を心配していますと、ふっとカカシが顔をほころばせて、言いました。
「イルカ先生の言葉、信じます…」
「え…」
それはそれは深く心に染み入るような声でした。
「その火影笠も、よく似合ってますよ。」
優しく微笑むカカシに、イルカは胸がいっぱいになりました。嬉しくて仕方がありません。
ドキドキと速まる鼓動を聞きながら、
「は、はたけ上忍も、すごく良く似合ってます…!」
イルカもにっこりと会心の笑顔を浮かべて言いたかったのですが、実際は何故かカーッと赤くなる顔を俯けて、もごもごと言う事しかできませんでした。
それでもカカシは、「ありがとうございます、」と嬉しそうに笑ってくれました。
すると何故か益々イルカの頬は熱くなるのでした。

ど、どうしちゃったんだよ?俺…本当に変だぞ…

イルカはそんな自分が分からずに、ただただ赤い顔を手で擦るばかりでした。




その日宵闇に紛れて、カカシはまたイルカのアパートへと遣って来ました。
今度は前以て、「今晩イルカ先生のうちにお邪魔してもいいですか?」とカカシが約束を取り付けて行きましたので、
イルカは準備万端でカカシを迎え入れる事ができました。
気にしなくていいのに、「あなたの言葉を信じなかったお詫びに…」とカカシは大吟醸「木の葉の舞」を手土産に持って来ました。
大名ですら手に入れるのが難しい、市場には出ない幻の酒にイルカは目を見張りました。
「こ、こんな高価なもの…いいんですか?俺なんか濁酒でも清酒でも同じっていうタイプなのに。も、勿体無いです、」
恐縮するイルカに、
「ああ、そんなに気にしないで下さい。白状しますと、実はこれ、貰い物なんです。
恥ずかしいですけど、俺、あんまり酒に強いほうじゃないんで、ひとりではなかなか飲み切らなくて…イルカ先生が一緒に飲んでくれると助かります。」
カカシは照れ臭そうに言いました。
そういう事なら喜んで、とイルカは笑顔で頷きました。
その晩のイルカが用意したものは、たらば蟹の塩茹でに、たらば蟹の鍋、ホタテの備長炭網焼き、という、ごく簡単なものでしたが、
なんといっても素材が新鮮でしたので、味のほうは格別でした。
カカシも、「すごく美味しいですね…!」と本当に美味しそうに食べてくれます。
しかも料理だけでなくお酒も最高で、味の違いの分からない男であるイルカにでも、それが分かるほどでした。
「はたけ上忍のお酒もすごく美味しいです…!こんな喉越しのいい酒、初めてです…!」
興奮気味にイルカが叫びますと、
「そうですか、それはよかったです…!」
カカシがにこにこと心底嬉しそうな笑顔を浮かべました。
口布を下げたカカシの口元にはぺたぺたと蟹肉がついていました。まるで小さな子供のようです。

…はたけ上忍、蟹を食べるのが下手だなあ…

イルカは思わずプッと噴出してしまいました。
お酒の力らも手伝ってか、イルカはなんだかホワ〜ッといい気持ちになってきました。意味もなくにこにこしてしまいます。
カカシは自分で言った通り酒に弱いのか、まだあまり飲んでいないのに顔を赤くしていました。
不思議な事に、カカシが実際身につけている口布と草履といったものは破廉恥の術の影響を受けずに、常時見えていて、ちゃんと本人が着脱する様が見えるのでした。
究極の貧乏メニュー冷やし狸でおもてなしした時は、いつ口布を上げ下げしているのかよく分からないうちに、皿の中のうどんがなくなっていましたが、
幾分イルカに気を許してくれるようになったのか、今日のカカシはずっと口布を下げたまま、素顔を晒しているのでした。

それにしても…はたけ上忍がこんなに顔をしていたなんてなあ…

イルカはちびちびとお酒を啜りながら、上機嫌でカカシの顔を見詰めました。
柳のような眉に切れ長の瞳、すっと通った鼻筋の下には形の整った薄い唇…カカシは俗に言う「男前」な顔立ちをしていました。
どうして隠しておくのだろうとイルカは思いましたが、

真っ裸の美形ってどうなんだろ…?な、なんか、もっと哀愁が増すような、気の毒のような…そんな気もするなあ…

カカシが口布をしている理由が分かった気がして、その事には触れませんでした。
イルカの視線を受けて、カカシもジッとこちらを見詰め返しています。その整った唇が何か言いたげに何度か開くのですが、カカシは何も言いませんでした。

なんだろう…ひょっとして、俺の口の周りにも何かついているのかなあ…

イルカが口元を拭いながらも、なんだかドキドキとしていました。
謎の動悸に、またまた顔がカアッと熱くなってきます。

な、なんだ?また俺、変な感じに…

イルカが焦ってあわあわと、ひとりあっちょんぶりけをしていますと、
「イルカ先生…」
掠れた声でその名を囁いて、カカシが顔を近づけてきました。




あまりの顔の近さに、イルカが寄り目になっていますと、ぺろり、と口の端に濡れた感触がしました。

え。今の何だ…?

イルカはその不思議な感触に目を瞬かせました。
まるで犬猫に舐められた時のような…
でも、動物特有の舌先のざらつきもありませんし、目の前にいるのは犬猫でもありません。

だ、だけど、幾らなんでもはたけ上忍が俺の口元を舐めるなんて事ないよな…

相変わらず寄り目のまま、イルカは極至近距離にあるカカシの瞳をぼんやりと見詰めました。
いつの間にか、閉じられたままだったカカシの左目が開いています。
雷を宿す異形の瞳。
それが焔のようにが赤く揺らめいていました。

う、わ…これが写輪眼かぁ…はじめて見た…

呑気に見惚れていますと、ふいに目の前が暗くなりました。
一瞬何があったのか分かりませんでしたが、すぐにカカシが手でイルカの目を覆ったのだと分かりました。
何でこんな事、と思っている間にも、今度は反対の口の端に柔らかいものが触れます。
イルカがぼんやりしている間に、鼻先や頬に柔らかなものが何度も押し当てられ、それは最後に唇にも触れてきました。
おずおずといった様子で、控えめにイルカの唇に触れたそれはすぐに離れたかと思うと、また戻ってきて、
今度は何処か自信を得た様子で、しっかりとイルカの唇に重なってきました。
何かが薄く開いた唇の合わせ目から忍び込んできます。
熱く濡れた、何か。
それが無防備なイルカの舌先に絡んできました。
とっても蟹風味な感じです。

わわ…っ、こ、これってまさか…えぇ…っ!?

鈍いイルカはようやく自分の口を塞ぐ熱く濡れたものの正体に気付きました。

お、俺、はたけ上忍にキスされてる…!?

吃驚してイルカは反射的に頭を退こうとしましたが、視界を塞いでいたカカシの手はいつの間にか離れて、イルカの後頭部に回されていました。
髪の毛を弄るようにして強く引き寄せられて、口付けが深くなります。
視界に映るカカシは目を伏せていました。眉を寄せ、切なげな顔をしています。
何処か切羽詰った苦しそうなその表情を見ていると、何故かイルカも胸が苦しくなってきました。
苦しいのにずっとこうしていたいような…
そう考えてイルカは慌てました。

な、何考えてんだよ…!?ず、ずっとこうしていたいなんて。
それじゃあまるで、お、俺がはたけ上忍の事を、す、すすすす、すす……好きみたいじゃないか!!!

ありえねえ!とイルカは内心絶叫しました。
男が男を好きになるなんてそんな不毛な事、常識的なイルカの中では決してありえない事でした。
そもそもカカシもどうして自分にキスなんてしているのでしょう。ぐるぐる回る頭の中は上手く物事が考えられません。
息も詰めたままのイルカは酸欠でなんだか意識が朦朧としてきました。
鼻で息をすればいい事ですが、パニック気味のイルカにはそんな簡単な事さえ思いつかないのでした。

こ、このままじゃ窒息する…!!

危機感を抱いたイルカは夢中になってカカシの胸をドンと叩きました。
その瞬間カカシがはっとした様子で、慌てて身体を離しました。
あまりに慌てた所為で、カカシは二人に間にあった蟹の鍋を肘に当てて引っ繰り返してしまいました。
ザバーと零れた蟹汁が卓袱台の上とカカシの下半身を濡らしました。
「だ、大丈夫ですか…!?」
イルカは慌てて叫びました。
コンロの火は消してあったので、火傷の心配はありませんでしたが、ある意味状況はそれ以上に悲惨とも言えました。
カカシは蟹汁まみれで何処か茫然としていました。
あろうことか、びっしょりと濡れた黄金パンツの中央の大事な部分には、たらば蟹の大きな甲羅が被さっていました。
震えるカカシに連動してぷるぷる震える股間の甲羅は、まるで生きているようで、イルカは蟹道楽の入り口を思い出しました。
その甲羅の裏から蟹味噌がもろっと垂れています。
先ほどまで食欲を誘っていた蟹味噌が今は哀愁を誘っていました。
どう声をかけるべきなのか、イルカは言葉に詰まりました。
無言で甲羅をどけてやったり、下半身を布巾で拭いてやるのは、なんだか違う気がします。
だけどいつまでもこのままではいられません。

どうしよう、どうしたら…

布巾を握り締めたままイルカがオロオロしていますと、ぼふんと目の前で煙が上がって、カカシは姿を消していました。




その晩イルカはカカシの振る舞いに頭を悩ませました。

どうして俺にキスなんか…

カカシの熱い舌先の感触を思い出して、かあっと頬を赤くしながらも、

いや、まて…早計は死を招く…やっぱりちょっと自意識過剰なんじゃないか?
あれはキスじゃなくて、俺が口の周りにつけた蟹の身を、勿体無いとはたけ上忍が舐め取ってくれたとか…

イルカはキス以外の可能性を色々考えてみましたが、どれも不自然過ぎて無理があります。
大体、口の周りについた蟹肉を惜しがるなんて、どんな貧乏性の上忍でしょうか。

天下の上忍がそんなにみみっちい筈ないだろ…!

イルカは己の発想の貧困さに情けない気持ちになりました。
兎に角イルカはようやく観念して、あれはキスだったのだと認めました。
どうしてキスをしたのか、普通だったら簡単に分かる筈のカカシの気持ちも、イルカには全く分かりませんでした。
ホモ、という言葉を知ってはいましたが、自分はホモではありませんし、身近にもそうした性癖の知り合いは皆無です。
だからカカシが自分に思いを寄せているかも、と考えるような事はありませんでした。
それにしても男同士でのキスなんてイルカの理解の範疇外でしたし、言語道断だと思うのに、全く不快感が無い事が意外でした。
寧ろどちらかというと気持ちよかったような…というか、食欲をそそる美味しいキスだったなあ、とイルカは蟹風味のキスを思い出して、なんだか慌てふためきました。
まるで自分をホモのように感じたからです。

お、俺は男は好きじゃない…!…はずだ、多分…

心の中の叫びは何故か弱々しいものでした。
同僚とキスする事を想像するとオエッとなってしまうのに、カカシだと大丈夫なのはどうしてなのでしょう。

蟹…蟹風味だった所為なのか…?

イルカは自分自身の食へのがめつさに呆れる思いがしました。
そんな自分の事はさておき、問題はカカシです。
根拠はありませんが、カカシもホモであるはずがない、とイルカは固く信じていました。

…あれでいて、結構酒に酔っていたのかな…強いほうじゃないって言ってたし…
それとも、酒の席での悪ふざけなんだろうか…それを俺が上手く捌けなかったから、しらけた気持ちになって帰っちゃったのかな…?

どうもそれが正解であるような気がしてきて、イルカは眉間に皺を寄せ、ふうと溜息をつきました。
酒の席での無礼講や悪ふざけに、イルカは昔から上手くのれないのでした。
アカデミーの同僚と飲みに行った時、「王様ゲーム」なるものを始め、無理難題を言いつける王様役の同僚の暴君ぶりに、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、」と教員としての心構えをこんこんと説いて、場をしらけさせてしまった事もあります。
そんなイルカを同僚は「天然」と言って笑って許してくれるのですが、イルカはなんだかいつも申し訳ないような気持ちになってしまうのでした。

どうして俺ってこうなんだろう…

カカシに呆れられたかもしれないと思うと、イルカの胸が酷く痛みました。
ノリが悪いだけならまだしも、自分はカカシを蟹鍋まみれにさえしているのです。故意にではありませんが、あそこはもっとはっきり謝罪の言葉を口にしておくべきだった、とイルカは後悔しました。

はたけ上忍、明日も俺のところに来てくれるだろうか…

その時はちゃんと謝ろう、とイルカは決意しました。
ところが次の日になっても、その次の日になっても、カカシは自分の前に姿を現しませんでした。
何処か任務に出たのかと火影様に尋ねてみますと、そんな事はないという返事が返って来ました。
そうしているうちにとうとう一週間が過ぎましたが、カカシがイルカの前に姿を現す気配はいっこうにありませんでした。


続く


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