焼きついて、離れない


「いつから俺のこと好きだったんです?」

前触れも無くイルカから繰り出された問いに、カカシは少しうろたえた。教えるつもりが無かったからだ。

「さ〜いつからでしょうね。忘れちゃいました。」

そう答えるとイルカは不満だったらしく、忘れたって事は無いでしょうと詰め寄る。

「忘れるほどずっと前から好きだったんですよ。」しれっと言うと、イルカの顔に紅葉が散る。

その言葉の半分は本当だ。ずっと前から好きだった。
残り半分は嘘だった。忘れたなんて。忘れる筈が無かった。あの瞬間を。


イルカと出会ったのはカカシが16歳の時だった。
九尾が里にもたらした被害は大きく、月日を経てもその傷が癒える事は無かった。
忍の数は慢性的に不足していたにもかかわらず、弱った木の葉を陥落せしめんとする近隣諸国との小競り合いは頻度を増し、戦いは熾烈を極めた。下忍だろうと実戦経験が無かろうと、誰彼構わず戦線に送り出された。若い命が悪戯に散っていく様を火影はただ、手を拱いて見ているしかなかった。皆疲れきっていた。復興の夜明けは未だ遠くにあった。
カカシはその頃暗部の精鋭に所属していた。暗部の消耗はとりわけ激しいものだった。暗部の殆どが戦線に身を置くのを常とし、木の葉の里とは伝令で使われる使役動物で繋がっていた。目覚めてから眠りに就くまで。カカシの目に映るのは血の色しかなかった。

それでも。カカシはもっとだ、と思った。もっともっと殺さなくては。
恩師や親友が愛したこの里を守るために。守りたかった人々は逝ってしまったけど。せめて彼らの思いだけは。
木の葉の人々を無条件で愛し、それに属さないもの達をひどく憎んだ。
それが16歳の頃のカカシだった。

そんな時にカカシはイルカに出会ったのだ。血風吹き荒ぶ戦場で。

その日もカカシは戦場を駆け抜けていた。鮮やかに攻撃をかわしては躊躇うことなく人を裂く。
次の作戦に移る為、移動していたカカシの目の端に、見慣れた色が流れて映った。木の葉の忍服の色。カカシは思わず足を止めた。

なんだ?こんなところに仲間が。

距離はあったが、見たところ確かに木の葉の忍びであるようだった。まだあどけない雰囲気が残る少年だった。
下忍だな、とカカシは思った。部隊から逸れたのか?
少年は屍が重なる地面に跪いて何かをしていた。カカシがいぶかしんで近づくと、誰かと喋っているようだった。

彼以外動くものの無いこの場所で、一体誰と?

よくよく見ると、少年の足元にある死骸にまだ息があるようだったが、それも時間の問題だった。
カカシは用心深くまた少し距離を詰めて、眉を顰めた。

少年が言葉をかけている瀕死の者は、木の葉の者ではなかった。

敵だ。

カカシは無意識のうちに腰のホルダーに手を伸ばす。
瀕死であろうと敵は敵だ。カカシは容赦が無かった。甘い心を持っていては暗部は務まらない。

その時少年の声がはっきりと聞こえた。死に行く者の耳にも届くように、はっきりと。


俺が許します。
神があなたの御魂とともにありますように。


そう言って、少年は男の手を握った。
カカシは沸沸と煮え立つ怒りに我を忘れた。今目の前の少年は何とほざいたのか。許すといった。神の慈悲を祈った。敵のために。なんとお優しいことだろう。その甘さが少年や仲間をいつか窮地に追い遣るだろう。そのくだらない憐憫のために。

かつての自分がそうであったように。

カカシは許すことができなかった。
くだらない自分を。
くだらない敵を。

そして目の前の少年も。


カカシは躊躇いなくクナイを放っていた。止めを刺すために。


しかし、次の瞬間。
そのクナイを身に受けたのは少年だった。瀕死の男をかばったのだ。
「ウッ...」とその場に崩れる少年にカカシは慌てて駆け寄った。いくら腹の立つ相手とはいえ、カカシは同胞が血を流すのは好きじゃなかった。足元の男は既に事切れていた。

「どうせ死ぬような相手を、どうして庇うんだよ。馬鹿かあんたは。それにそいつは敵だぜ。」

カカシが処置をしようと手を伸ばすと、少年はそれを払いのけた。

「それはこっちの台詞だっ....!もう死の淵にある者をどうしてわざわざ殺すような真似を....!」

少年の顔は怒りと悲しみで濡れていた。カカシはクッと皮肉な笑いを零した。

「どうしてって、敵だからだよ。」当たり前デショ。

その言葉にカッとなった少年がカカシの胸倉を掴んだ。どうでもいいけど手当てさせて欲しい、カカシはそう思いながら少年のしたいようにさせていた。まずは彼の興奮を宥めなければ。

「敵だからって何だよ...!戦いだからって何をしてもいいのかッ....!?あんたは大事なことを忘れてる。それはどんな時も、忘れちゃいけないんだ.....っ!」

少年の大きな黒い瞳から涙が次から次へと溢れる様を、カカシは不思議な気持ちで見つめた。何を忘れているというのだろう。少年は何をそんなに怒っているのだろう。

「俺達は人なんだ!物じゃない....!だから人としての最低限のことは守らなければいけないんだ。敵も味方も関係無い...!」
それを忘れてしまっては、人じゃない。

カカシは何を馬鹿な、と思いながら自分が震えていることに気付いた。震える手をぐっと握りこみ、きつく口を結んで震えを抑えようとするが、それは止まらなかった。

人であれ。

逝ってしまった恩師がカカシにいつも言っていた言葉ではなかったか。
どんな戦いの中でも、人であれと。

俺は。
失ってしまったものたちの遺志を継ごうとして。
でもそれは。彼の人達が望んでいる姿ではなかったのか。

人の心を、何処かに置いてきてしまった。

少年の瞳が射るようにカカシを見つめる。
怒りと悲しみと涙に濡れた、強くてまっすぐな瞳。なんて綺麗。
カカシはその瞳に見惚れながら思った。
俺のことを非難しながら、この少年は最後は俺のことを許してくれるのだろうか。
痛みで意識を手放す少年の身体を抱きとめながら、カカシはその首筋に口付けた。

絶対に手に入れよう、この少年を。そう決意して。



あれから十年。カカシはようやく手に入れた。
忘れたことなんて無かった。イルカは忘れてしまっているようだけど。
カカシは思い出して、口元に軽い笑みを浮かべた。

「何ですか、思い出し笑いなんかして。」いやらしいなあ。イルカがカカシの顔を覗きこむ。

ずっと変わらない、その強くてまっすぐな瞳。

あの時から。

焼きついて、離れない。


                   終
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