後編
「アスマ先生、こんにちは...元気になったって...え?俺が寝込んでたのご存知なんですか?」
「ご存知も何も、それで儲けさせてもらったぜ。」ほれ、お裾分け、とアスマは自分の抱えている紙袋から日本酒の瓶を取り出すと、イルカの下げている袋に強引に押し込んだ。
え、え、と訳がわからず狼狽えるイルカに、アスマは大笑いした。
「苺は美味かったか、イルカ?」
「は、はい....ええぇぇっ!?」なんでそんなことをアスマ先生が...とイルカが驚いていると、アスマは更に驚くべきことを話し出した。
「昨日朝一番で火影様のところにカカシが来てよ、病床のイルカ先生が苺食べたいって言うから、買いに行くので今日仕事は休みます、ついでに出国許可もください、って開口一番ソレよ。」
思い出してよっぽど可笑しかったのか、アスマはそこまで言うとクククと肩を揺らして笑った。
「駄々を捏ねだすとカカシは鬱陶しいからな。慣れたもんで、火影様も早々に諦めて出国許可を出したってわけよ。」木の葉の里は今日も平和で良かったな、って話だ。
イルカはアスマの口から語られる意外な事実に目を白黒させた。
カカシ先生が、苺を買いに?一体何処まで?
「カ、カカシ先生は一体何処まで苺を買いに...?」
イルカがやっとのことでそれだけ質問すると、アスマはわざと声を潜めて答えた。
「水の国まで。」
イルカがその言葉を理解するまでに、一拍の間があった。
「...えええぇぇぇ〜っっっ!?う、嘘です。アスマ先生、また悪い冗談....だって、昨日カカシ先生帰って来たんですよ!朝、水の国へ向かって木の葉を発って、夜に戻ってくるなんて....む、無理です!」
そう、無理だ。水の国のどの辺かは知らないが、一番近いところでも帰ってくるのは翌日になるだろう。
「だから賭けになるんじゃねえか!」アスマがイルカの顔の前で人差し指をビシリと立てて、分かってねえなあ、とばかりにその指を横に揺らして見せた。
「賭け...!?あっ、じゃあこのお酒って....」イルカは事の成り行きにようやく合点が行ったのか、突然大声をあげた。
「そそ、カカシが水の国からその日のうちに戻って来れるかどうか賭けたわけよ。その戦利品。火影様もノリノリだったぜ!」
ほ、火影様まで賭け事に参加していたのか...!?
賭け事の対象にされたことに多少のショックを感じながらも、イルカはそれよりも気になることがあった。
「じゃ、じゃあ、カカシ先生はほ、本当に水の国に...?そ、それで本当に間に合ったんですか...?」
アスマはそんなイルカの様子に苦笑を浮かべながら、喝を入れるように景気よくバーン!とイルカの背中を叩いた。
「寝惚けた事言ってんじゃねえぞ、イルカ?カカシは昨日帰ってきただろう?苺を手土産によ。お前が一番よく知ってるだろうが。」
イルカはアスマの声をどこか遠くで聞いていた。
そんな。まさか。だってカカシ先生は何も言わなかった。
温室栽培のを買ったって。任務が長引いたって。
でも、そう言えば。
帰って来た時カカシ先生は汗でびっしょり濡れて、大層息が乱れていた。
あれは水の国から、急いで帰ってきたからだったのか。
今日倒れてしまったのは。
昨日限界を超えて体を酷使したからだったのか。
「俺はカカシが間に合う方に賭けたのよ、大方は間に合わねぇ方に賭けたがな。でも、俺には勝算があった。皆分かっちゃいねえな。カカシの野郎はお前のことが絡むとよ、」アスマはそこで言葉を切って、イルカの方を見てニカッと笑った。
「出来無えことは何にもねえんだっつーの!」
アスマの言葉にイルカは震えた。
「あいつがよくお前との事を惚気て、お前のためなら空も飛べるとか、月も獲って来るとか与太噛ましててるけど、俺ァ、カカシに限って言うとそれもアリかなと思うぜ?」ま、ちと狂ってることには違いないけどな。
アスマは言うだけ言うと、ま、カカシによろしくな、と締め括って去って行った。呆然とするイルカを残して。
イルカは夏風邪を引いた時のことを思い出していた。
夏真っ盛りのあの時も。
俺は季節外れにも蜜柑が食べたいと言った。
あんまり深く考えもせず。
あの時もカカシ先生は汗だくで蜜柑を持って帰ってきた。
あの汗は夏の暑さのせいだと思っていたけれど。
「アスマ先生...俺も、分かってなかった...みたいです。」イルカは悄々と小さく独りごちた。
「俺は体力には自信があります。」
イルカが作ってくれたごった汁を、カカシがフーフーしながら食べていると、イルカが突然口を開いた。
その場にそぐわない、あまりに唐突な切り出しにカカシの蓮華を持つ手が止まる。
「イルカ先生....?」何が言いたいのか分からず、カカシが不思議そうにイルカを見遣った。
「でもどんなに頑張っても無理です。」
イルカの言葉は謎を深めるばかりだ。
「あの、何の話ですか?」戸惑うカカシにイルカは顔を俯けて言った。
「俺はどんなに一生懸命頑張っても、カカシ先生に夏の蜜柑も、冬の苺も用意してあげられません。」
瞬間、カカシはしまった、というような顔をした。イルカ先生にばれちゃったか。
イルカはこういうことをされると、負担に思って嫌がる事を知っていたから内緒にしてたのに。
だが、嫌がるからと止められないカカシだった。イルカのために、自分がそうしたいのだ。そうせずにはいられないと言った方が適切かもしれない。
「あのね、イルカせんせ....」カカシが言い訳しようとするのを遮ってイルカは続けた。
「俺にはこんなものしか用意できないけど。」とイルカは摩り下ろした林檎の皿を差し出した。そして顔を上げてカカシの瞳をじっと見つめて言った。
「カカシ先生に負けないくらい、俺もあんたが好きなんです。」
出来無いことは何もない、なんて自分にはいえない。
どんなに急いでも自分は水の国から1日で帰って来れない。
どんなに頑張ってもイルカはカカシのために空を飛べないし月も獲って来れない。
カカシと自分は違うのだ。自分は中忍で、その実力からして劣っている。
でもそれは気持ちが劣っていることではないのだ。
相手を思う気持ちが劣っていることでは。
カカシの優しさが痺れるほど嬉しかった。
でも自分はそういう形でカカシを喜ばせてあげられないから。
「イルカ先生...」カカシは掠れた声でそう呟くと、急いでイルカを掻き抱いた。
「すごく、カカシ先生のことが好きなんです。」
「うん。」
「俺だって、好きなんです。」
「うん。」
「俺の方があんたの事好きなんだから。」勝ったなんて、思わないでくださいよ?
イルカがなんだか挑戦的な愛の台詞を吐く。カカシはただ頷くだけだ。
イルカの声が段々涙混じりになってきて、カカシは抱きしめる手に力を込めた。
カカシはイルカに勝ったなんて思ったことはなかった。
いつもイルカにやられっぱなしだ。
今もどうしようもなく煽られて、心臓がばくばくいっている。
カカシは熱が上がりそうだった。
終
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