踏み躙ってやりたいんだよね。あの笑顔を。歪めてやりたい。

6年前の戦場で、カカシは吐き捨てるように言った。俺はその言葉を聞きながら、あぁ、そうだろうな、と納得した。カカシだったらイルカのことをそう思うだろう。でもそれは仕方の無いことだ、と俺は肩を竦めた。カカシが悪いわけでもなかった。勿論イルカが悪いわけでも。生き方の相違というヤツだ。二人はあまりにも掛け離れた世界にいたので、分かり合うことは無いだろうと思った。

だが、カカシのイルカに対するその感情は、驚くほど形を変えた。たった半年の間に。
それと同時にカカシ自身も驚くほど変わった。
無表情で冷淡な印象が、表情豊かで優しいものになった。イルカの隣にいても、違和感を感じないほどに。

だから俺は確信していた。
記憶を失ったカカシがイルカに苛立ちを感じると、俺に告げた時に。

きっとまたこいつは、イルカに惚れるんだろうと。


番外 良心は苛む


「イルカ先生〜俺、もう退院してもいいそうです〜。」

カカシがこれ以上が無いくらいの満面の笑顔で、見舞いに訪れたイルカと俺を出迎えた。カカシは俺の姿を認めると、「なんだ、アスマも来てたの?」と、先ほどとは打って変って、これ以上無いくらい嫌な顔をして、手でシッシッと追い払うような仕草をした。

おい、なんだその態度は。いい度胸してるじゃねえか!

俺は声に出すのをグッと我慢して、心の中で叫んだ。今ここで口にして、カカシとくだらない問答に時間を費やしたくなかった。どうせ何を言ったところで、この男は微塵も気にしないのだ。隣のイルカはカカシの言葉に興奮した様子で、「本当ですか?本当に退院していいんですか?」と何度も尋ねている。その顔が隠し切れない喜びで輝いていた。

里を襲った黒の猟団事件で、カカシとイルカは爆発に巻き込まれて重傷を負い、木の葉病院に入院を余儀なくされていた。始めに動けるようになったのはカカシの方で、イルカは意識がずっと戻らなかった。だが、いざイルカが目覚めると、イルカの方が軽傷だったので退院が早かった。それに引き換え、カカシは絶対安静の中を動き回っていたこともあり、存外傷が回復していなかった。その為退院が遅れていたのである。

「本当ですよ〜。お医者サマがもういいって。ね?」

その言葉に、カカシのベッドの傍らに立っていた医師が、ビクリと大袈裟に身体を震わせたかと思うと、すごい勢いで首を縦に振った。心なしかその顔は青褪めているように見えた。

怪しい。先週訪れた時は、退院はまだ1〜2ヶ月先だと言っていなかったか。

何かやりやがったな、と俺は咎めるような目でカカシを睨みつけたが、カカシは何処吹く風だ。イルカに至っては、全く何も気がついていないようで、よかった、よかった、と手放しで喜んでいる。医者は、それじゃ私はこれで、と逃げるように病室を後にした。

「そ、そうだ。退院の準備をしなくちゃいけませんね。俺、着替えとか取りに行ってきます。」

目尻に浮かんだ涙を拭って、笑顔を向けるイルカに、カカシは「え〜このまま帰るからいいです〜ねぇ、俺、イルカ先生の家に帰っていいんでしょ?一緒に帰りましょうよ〜」と甘えた口調で駄々を捏ねる。

俺はそのカカシの子供じみた振る舞いに、驚きを通り越して怖気立つ思いだ。
そう。俺の予想通り、カカシはまたイルカに惚れた。記憶を無くしても、イルカを選んだ。
それみたことか、と俺は内心ほくそ笑んだ。
踏み躙ってやるだの、苛立つだの、生意気に粋がって見せても、結局イルカに骨抜きになる癖に。
端から見ている俺からは、単純且つ明快な事実も、当の本人には全くわからないものらしい。面倒臭ぇもんだ。

だからある程度予想していた。
またカカシは変わるのだろうと。6年前のように。

だが、しかし。

そこまで考えて俺はとても疲労を感じた。病室の隅へ移動して、こっそり煙草に火をつける。


「えぇっ!?だ、だってカカシ先生、寝巻姿ですよ...そ、それに突然俺の家って言われても、それこそ布団とか、準備が...」

イルカがカカシの言葉に困ったような声を上げた。するとカカシは涼しげな顔をして言った。

「いいんですよ〜。だって家に帰ったらどうせ脱いじゃうんだし。布団もね、心配いりません。一組あればいいんですから。」ね?イルカ先生、いいでしょう?

ぶはーーーーーっ!

俺は咥えていた煙草を吹き飛ばしてしまった。

「ア、アスマ先生!?だ、大丈夫ですか!?」イルカが赤い顔をしながら、吃驚してこちらを見た。

俺は咽てしまってゴホゴホと咳が出るばかりで、返事すらできない。返事の代わりに手をひらひらと振って見せる。
変わるとは思っていたけど、と咳込む苦しさに涙の浮かぶ眼で、カカシを見遣った。

カカシ、お前、変わり過ぎだっつーの!

「ああ、まだいたの?アスマ。」カカシは冷たい目で俺を一瞥して、また視線をイルカに戻すとコロッと態度を変えて、「ねえねえ、イルカ先生〜いいでしょ〜?」と猫撫で声でイルカの胸に頬を摺り寄せる。それでも渋るイルカに、カカシは突然哀れ臭い声を出した。

「う...っ!み、右足が痛い...!俺、俺...心細いんです。もう忍として生きられない...俺はっ、イルカ先生しかいないんです...!」よよ、とベッドに崩れ落ちるカカシに、イルカはハッとしたように身を震わせ、沈痛な面持ちになった。

俺はイルカよりも、もっと沈痛な面持ちになった。

誰が右足が痛いって?もう治ったとか言ってなかったか?
しかもそのことを俺は医者に確認済みだった。

忍として生きられないって...おいおい。なんだ、その学芸会並のくさい演技は!?

...勘弁してくれ!

「カカシ先生...、すみませんでした...俺、気がつかなくて...わかりました。一緒に俺のうちに帰りましょう。」

優しく囁くようにしてカカシの背中を撫でるイルカに、目をウルウルとさせてカカシが顔を上げた。

「イルカ先生〜!」ガバッとイルカに抱きつくカカシと、俺の目が合った。カカシが凶悪な笑みを浮かべて、口を動かした。


黙っててよ?


「それじゃあ、早速もう帰りましょうか〜?」

次の瞬間にはまたイルカにベタベタし始めるカカシに眩暈を覚えて、俺は無言のまま病室を後にした。6年前のカカシの変化は歓迎すべき可愛ものだった、と思いを馳せながら歩く。だが、あの時はカカシも20歳になったばかりで若かった。カカシ自身がまだ若さゆえ、すれていなかったからいい方向へ変化したのだと俺は気付いた。しかし6年も経ってしまった26歳のカカシは、あの当時より捻くれ度も荒み加減もひどいもので、更に悪知恵まで身につけている。イルカを手に入れて、その凶悪さに拍車がかかったようだ。

イルカよ、お前の惚れた男は本当にその男か。

アスマの心は良心の呵責でズキズキと痛んだ。
これからのイルカの受難を思って。


終わり