「イルカ先生、可愛いの下げてるー!」
「何これー!?」
「先生、ちょうだーい!」
キャアキャア嬌声をあげる女性徒に囲まれて、イルカは困ったように鼻先を掻いた。女の子達の注意を引いているのは、イルカの鞄に下げられた、キューピーのキーホルダーだった。先日マヨネーズを買った時にオマケとしてついてきたのだ。イルカは食品に時々ついてくる、こうしたオマケを捨てられない性質だった。使わないまま捨てるに忍びず、何かにつけ使っている。そんな貧乏性な自分を恨めしく思う一方で、物を大切にする自分を誇らしく思ったりする。大の男がそれをつけている不自然さを、全く感じないイルカだった。
別に大した物ではないのだが、とイルカは思った。誰か一人にあげるわけにはいかない。なんとかこの場を治めなければ。
「これは駄ー目。あげられないよ。先生の大切なものだから。」
キューピー
「イルカ先生が恋をしてらっしゃるって、生徒達の間で大変な噂ですよ。」
同僚の女教師にそう言われて、イルカは飲んでいたお茶をブーッと景気良く噴出した。
「あ...あぁ、すみません。驚いちゃって...。」
謝りの言葉を口にしながら、イルカは噴出したお茶をポケットから取り出したハンカチで拭いた。
「なんだってそんなことに...」顔を赤くしながら、イルカは独りごちた。
「キューピーのマスコットを大切にしてるからですって。イルカ先生、ご存知でした?キューピーの元は愛の妖精キューピッドなんですよ。キューピーのマスコットを大切にすると恋が叶えられるって、女性徒の間で今とても流行っているんです。」
イルカは自分の鞄のキューピーのキーホルダーを、ガバッと手に取った。
こ、これが原因だったのか....!!
そう言えば、このキーホルダーを下げて間も無い頃、教え子の女の子達にくれ、くれと、異様なテンションで囲まれたっけ。
あれはそういう意味だったのか。
しかも、あの時俺....。
イルカはその時のことを思い出して、がっくりと肩を落とした。
先生の大切なものだから、とか言っちゃったよ....。
これから暫く、このことをネタに女性徒達にからかわれそうだ。子供だからって舐めちゃいけない。高学年ともなると、彼女らはもう女性特有の強かさを持ち合わせているのだ。イルカはとても太刀打ちできそうになかった。
イルカがハア〜と大きく溜息をつくと、目の前の女教師は人の良い笑顔を向けて言った。
「で、イルカ先生は好きな人いるんですか、本当に?」
笑顔の中の目は興味津々といった様子で、興奮に輝いていた。
ああ、これだよ。これ。女が強かだと思うのは。
イルカはげんなりしながら答えた。答えても無駄だと分かっていても。
「好きな人なんて、いませんよ....」
しかし、その噂もすぐに呆気ない幕切れを向かえた。イルカが外そうかどうかと考えあぐねている数日のうちに、つけっぱなしだった鞄に鎖の部分だけを残し、キューピーのマスコットの部分だけが、何処かに落ちてしまったのだ。所詮オマケはオマケ、安っぽくできているなあ、とイルカは変なことに感心した。女性徒達は見当違いにも、大丈夫だよ先生、落としちゃってもきっと恋は叶うから、と一生懸命イルカを慰めた。ませていると思っていた子供達の年相応の無邪気さに、イルカは頬を緩めた。
その失くしたはずの、キューピーが。
何故か今ここに。
しかも3ヶ月の時を経て。
イルカは自分の手の中のキューピーをまじまじと見つめた。自分のものだという確認のポイントは、キューピーのお尻の頬っぺの擦れた跡だ。その傷は偶然にもハートの形のように見えるので、何だか可愛いなあ、などと思ったものだった。
それが何故か、カカシ先生のポケットから。
休憩時間に自動販売機の前で、イルカがコーヒーを啜っていると、丁度そこにカカシもやって来た。カカシが自販機の前に立ち、小銭入れをポケットから取り出した時、ポロリと何かが零れ落ちた。カカシが気がつかないようなので、「何か落ちましたよ」とイルカが拾い上げたその物こそ、件のキューピーだった訳である。
ナルトを通じて知り合ったカカシとは、ここ数ヶ月で少しばかり親しくなっていた。しかし相手は上忍、しかも手配帳にも載るような実力者だ。カカシのイルカに接する物腰は柔らかかったが、イルカは自分の立場を弁えていた。身分を笠に着ない、カカシの態度を嬉しく思いながら、その身分の違いに腰の引け気味の自分がいた。
その、凄腕の上忍が。
今イルカの前で顔を茹蛸のように赤くして、オロオロと視線をさまよわせていた。
イルカもなんだか訳が分からず、オロオロした。
「あ、あのこれ...」
もう気がつかなかった振りをしてカカシに返してしまおう、俺の勘違いかもしれないしと、イルカがキューピーを差し出すと、その手首をカカシがギュッと握った。そして、イルカにキューピーを握りこませるように、もう片方の手でイルカの手の甲を包み込むようにした。
「返します、これ、イルカ先生のだから。」
カカシの言葉にイルカは目が飛び出そうになった。
「えぇっ!?」やはり!
「イルカ先生がそれを落とした時、俺丁度見てたんです。すぐに追いかけて、届けようと思ったんですけど。」
カカシがばつが悪そうに言うので、イルカはおかしくなった。
届けようと思ったけど、大した物じゃないから忘れてそのままになっていたんだな。よくあることだ。
それにしても、カカシ先生の態度。悪戯を見つかった、アカデミーの子供みたいだなあ。
いつもは飄々として、掴み所の無い人なのに。
なんだかカカシをぐっと身近に感じてしまうイルカだった。
「いいんですよ、カカシ先生。大した物じゃないし。」
イルカがそう言って笑うと、カカシは何か決心したような真剣な顔をした。
「わざとなんです。」
カカシの短い言葉にイルカは、は?、と首を傾げた。
「追いつこうと思えば、すぐに追いつけた。すぐに返せたんです。でもこの人形が、いつもイルカ先生の鞄についてるのを知ってたから。その...欲しくなっちゃって。」
そこまで言われても、イルカはピンとこないのだった。何だろう。カカシは何が言いたいのだろう。キューピーの人形が、そんなに欲しかったんだろうか。上忍でお金持ちなんだから、もっと新しくていいのを買えばいいのに。そんなことを考えながらも、イルカが何も言えないでいると、カカシが続けた。
「黙っていれば返さないで済むかな、って。いけない出来心というか。ゴメンナサイ。俺、イルカ先生のことが好きなんです。ずっと、好きだったんです。」
ようやくカカシが何を言いたいか、鈍いイルカでもよく分かった。
カカシの目がじっと自分の目を覗きこみ、逸らすのを許してくれない。イルカは今度は自分が茹蛸のように赤くなるのを感じた。
ど、どう答えたらいいんだ。カカシ先生のことは好きだけど、それは恋人の好きと違うし。
いや、俺達男同士だし。ああ、でもこれで気まずくなるのは嫌だなあ。
そんなイルカの様子に、カカシがクスリと笑った。
「イルカ先生の気持ちはわかってますよ。でも、俺も本気ですから。本気で好きですから、諦めません。俺を好きになってもらえるように頑張りますから、イルカ先生も俺のこと、本気で考えてください。」
よろしくお願いします。
カカシは礼儀正しくペコリとお辞儀をして見せた。
つられてイルカも「こちらこそ」とお辞儀を返してしまった。しまった、と思ったものの後の祭である。
顔を上げると、カカシが満面の笑顔で言った。
「よろしくついでに、今晩飲みに行きませんか。」
さっきまで顔を赤くしてオロオロしていたのに、もうこんなに不敵な笑みを浮かべて。
無邪気で、強かで。まるで子供のよう。
俺は太刀打ちできないんだろうなあ。
イルカは予感めいたものを感じて、手のひらの中のキューピーを恨みがましく見つめた。
その矢を立てる相手を、もうちょっと考えてくれよと思いながら。
終
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