第八回

 

 

幾ら酔っていたとはいえ、宿敵ともいえるあの暗部の男と酒を酌み交わしてしまうなんて…信じられねえ…

翌日イルカはガンガンと二日酔いで痛む頭を抱えながらも、きちんとアカデミーに出勤して内勤の仕事に従事していた。

イルカはゆくゆくは教職に就く事を希望しているので、戦忍希望の者たちに比べ、内勤の仕事が回ってくる事が多いのは当然の事ではあるが、最近は火影が気を遣って、イルカに内勤の仕事を回してくれている。

イルカが大賀の件に関して他の忍から嫌がらせを受けるのを、火影は懸念していた。噂が鎮火するまで、なるべく自分の目の届く範囲に留めて置こうと思っているらしい。

そして実際イルカは時折嫌がらせを受けていた。

「大賀上忍を殺しておいて、よく平気な顔をして外を歩けるな、」

擦れ違い様に嫌味を言われたり、小突かれたりする事は日常茶飯事だった。

だが、その程度は予想していた事だ。それよりも火影を巻き込んだ上、気を遣わせてしまっている事が申し訳なかった。

頭は痛いけど…暗部の男の事も気になるけど…取り合えず今は火影様に報いる為にも頑張らなくちゃ…!

イルカは体の不調をおくびにも出さず、その日の仕事を無事に勤め終えた。

その帰り道、突然上忍と思しき男達四人に道を阻まれた。

「お前、とんでもない奴だな…大賀上忍を殺しておきながら、のうのうと酒なんて飲んで…ご機嫌だったらしいじゃねえか、」

随分といい御身分だなと腕を捩じり上げられて、イルカは苦痛に「うっ、」と息を詰めた。

昨晩の様子を誰かに見られていたのか…

福岡ドームは少し遠い場所だったので、他人の目はないものと油断していた。

まずったなとイルカが思っていると、

「そんなに怯えた顔をすんなよ、今日はな、そんなに酒が好きなら俺達が飲ませてやろうっていうんだよ、悪い話じゃないだろ、え?」

男達は有無を言わさずに、イルカを小さな居酒屋へと引き摺って行った。連れ込まれた二階の座敷は貸切らしく、他に人影はない。既に準備された酒肴の席に強制的に座らされ、イルカは無理矢理一升瓶を口に含まされた。

「うう…っ…ぐっ、」

飲みきれない酒が口の端から零れ、イルカはゴホゴホと激しく咽込んだ。

そんなイルカにあちこちから怒号が飛ぶ。

「零すんじゃねえよ!さっさと綺麗にしやがれ、」

鳩尾を殴られ、酒の零れた畳に顔を擦り付けられても、イルカは何の抵抗もできなかった。空きっ腹に一気に酒を流し込まれて、意識が霞んでいた。とても動けない。

男達はそんなイルカの体を容赦なく引っ張り上げて、手拭とざるを手渡した。

……なんだ、これ?

朦朧としながらも、イルカはそのふたつのものを不思議そうに見詰めた。なんでこんな物を手渡されたのか、わけが分からない。

茫然とするイルカに、男達はにやにやと卑下た笑みを浮かべながら言った。

「酒の余興だ!お前は俺達を楽しませる為に、今から裸踊りをするんだよ!」

「ええ…っ!?

イルカは青褪め、素っ頓狂な声を上げていた。

裸踊りくらいお安い御用といいたいところだが、自分を快く思わない輩に強制されて踊るのは屈辱的だし、今はそれよりももっと不味い問題があった。

お、おおお、俺の体にはキスマークで描かれた、へのへのもへじや可愛いコックさんが、まだくっきりと残って…!!!!!

絶対に見られたくなかった。

「い、嫌だ…っ、」

抗うイルカの体を押さえつけ、男のひとりが無理矢理イルカの頭に手拭を被せ、鼻の下で蝶結びする。そして仕上げとばかりに鼻先をセロテープで上向きにとめて、研ナ○コのようにした。

「はっはっはっ、こりゃいい様だぜ…!」

男達は笑いながら、今度はイルカの服を脱がせにかかった。男のひとりがベストのファスナーを下げ、もうひとりがズボンのベルトを抜く。

「あ…っ、や、やめ…」

へのへのもへじが見えてしまう…!!!!

イルカが思わずじわっと目尻に涙を浮かべた瞬間。

ざわりと恐ろしいほどの殺気に空気が揺れた。

「あんた達、何してんの…?」

青白い雷を体から迸らせながら、暗部装束を纏った銀髪の男がひらりと姿を現した。

男の殺気に縫い止められて微動だにできない男達に向かい、暗部の男は顔を覆う獣面を、ゆっくりとはずした。

その下からは怒りに燃える赤い異形の瞳が現れる。

「…そんなに裸踊りが好きなら、自分達で好きなだけ踊ってれば?」

冷たく言い捨てた暗部の男が素早く印を組むと、左目に宿る雷がぐるぐると回り始めた。

すると不思議な事に、イルカを除く男達四人全員がすっくと立ち上がり、次々に己の衣服を脱捨て全裸になった。皆それぞれに頬かむりをしたり、ざるを持ったり、鼻に割り箸を突っ込んだりして、「あら、えっさっさー、」と陽気に踊りだす。

むくつけき男達が四人も集まって、四角い尻や醜い一物をぶりぶりさせながら裸踊りをする様は、はっきり言って濃過ぎる。網膜に焼き付く光景だ。

これが写輪眼の瞳術の威力か…?すごい…すごいけど、もっと他の事をさせて欲しかったなー…

二日酔いも手伝って、イルカが吐き気を覚えていると、暗部の男に手を引かれ体を起こされた。

「大丈〜夫?」

心配そうに声をかけられて、

いつも加害者のあんたに心配されたくねえ…!

イルカは怒鳴りつけてやりたかったが、今回は不本意ながらも助けられてしまったので、そうもいかない。

だからといって、「ありがとう」なんて礼は絶対に言わないからな…!

イルカがむっつり黙っていると、「大丈〜夫?」と男がしつこく聞いてきた。

「なんだよ、別にこのくらい、なんて事ない…!」

相手にせずにいようと思っていたのに、ついつい苛立ってイルカが叫ぶと、男がギュッとイルカの手を握り締めた。

「そ?ならいいけど…あんたの手が震えてるから。」

言われて始めて、自分の手が震えている事に気付いた。

あ…俺、怖かった…のか…?

情けないと思っていると、目の前の男がよしよしとばかりにイルカの頭を撫でた。

「こ、子ども扱いすんな…!」

カッとするイルカを性懲りもなく、男はグリグリと撫でた。

「子ども扱いしてない〜よ、俺が撫でたいだけ。」

なんだそれ、とイルカは思ったが、なんだかボロッと涙が零れた。

え、ええー…?な、何泣いちゃってるんだよ俺…!?

イルカは焦ったが、涙は止まらなかった。男はずっとイルカの頭を撫で続けている。

頭を撫でられるのなんて、親が死んだ時以来かもしれない。何だかとてもホッとする。

これではまるで男の慰めに甘えているようではないかとイルカは益々焦ったが、零れる涙をどうする事もできなかった。

すると突然、男が握り込んだ右手をイルカの鼻先につき付けた。なんだと思っていると、次の瞬間その右手からポン!と紙吹雪とともに花が飛び出した。

手品だ。

吃驚して目を丸くするイルカに向かい、男はにっと笑ってその花を差し出す。

お、俺にか…?

思わずイルカが受け取ると、手を離す男の軌道に合わせて、その花の下につらつらと続く小さな万国旗が姿を現した。

「今の俺にはこれが精一杯だ〜よ…」

イルカの頭をポンポンと軽く叩きながら、ごめ〜んねと男がちょっと情けないような顔をして言う。

いつも勝手で傲慢な男がしおしおと…

それが何だか可笑しくて、イルカは思わず「ハハッ」と声を出して笑ってしまった。

な、何笑っちゃってるんだよ俺…?

焦るイルカを他所に男はホッとした様な顔をして、少し頬を赤くしながらガシガシと後ろ頭を掻いた。

「俺これからまた任務なんだけど、昨日の気まずいまま出立するのが嫌で…あんたの様子を見にきてよかった。こんなところ、もう出よ?」

男に腕を引かれて立ち上がりながら、イルカはまだ踊り続ける男達の姿をちらと振り返った。

踊りを続ける男のひとりが、口から泡を吹いていた。

だ、大丈夫なのかな…あっちの男の人なんて白目を剥いてるけど…

このまま置いていっていいものかとちょっと心配になって、暗部の男に窺うような視線を投げかけると、

「ま、気絶するまで踊り続けるだけだから。大丈〜夫。」

男はのほほんと恐ろしい事を言って、イルカを凍らせた。

やっぱりこいつってよく分からない…というか、俺も何こいつに手を引かれるがままになってるんだよ…

そう思うのに、なんだか腕を振り解けない。

散々酷い事をされてきたのに、一回助けられたくらいで少し気を許しかけている自分を感じた。そんな自分が信じられない。

そんなんでいいのか俺、と自分自身に突っ込みを入れていると、手を引く男が突然クルリと振り返った。

「あのさ、俺、もういかなくちゃなんないんだよね…」

「はあ…」

さっさと行けばいいじゃないかという、続く言葉は呑み込んで、イルカが曖昧な返事をすると、

「一週間後の朝には帰るから、あんた慰霊碑の前で俺を待っててくれる?」

男が酷く真剣な様子でそう言った。

なんで俺が…

確かに助けてもらったが、だからといってこの男と馴れ合うつもりはなかった。大賀が肉親の如く思っていた男。自分が抱える秘密を思うと、危険過ぎる。

イルカは即座に断わろうとしたが、

「俺は大賀の死の真実が知りたい…」

魂を震わせるような切実さを含んだ声音で請われて、何も言う事ができなかった。男の真摯な思いがひしひしと伝わってくる。

やはりこの人は…大賀上忍の死について、昇華できない思いを抱いているんだ…

それで俺に何かとちょっかいをかけてくる…

ふざけて見えるけど…本当はこの人も苦しんでいるのかもしれない…

初めて男の心が少しだけ理解できたような気がした。理解してしまうと、益々イルカの心は揺らいだ。

真実を話す事はできない。決して。

それなのにイルカは男の言葉に頷いてしまっていた。

男もまた嬉しそうに頷いて、

「大急ぎで終らせて帰ってくる〜よ、今度は絶対逃げないでね、」

どさくさ紛れにチュッとイルカのこめかみに軽く唇を押し当てると、その場からサッと姿を消した。

「な、なんなんだ一体…!?

イルカは男が消えてしまった後で、アワアワとこめかみを手でガードしたが、勿論遅かった。

何処までが冗談で何処からが本気なのか、よく分からない。

だがどんなにふざけた態度を取られようとも、イルカは以前のように男を腹立たしく思う事はできなくなっていた。

 

 

安請け合いをして…俺は一週間後、あの男になんと答えるつもりなんだ…?

噂をなぞるだけの言葉で、あの男は納得してくれるだろうか。

イルカは悩んだが、翌日にはその悩みから解放された。

なんと裸踊りの瞳術にかけられた四人の男のうちのひとりが、心配していた通り、踊り途中で心臓発作を起こし、大変な騒ぎとなっていたのだ。

手早い処置により命に別状はないものの、幾らなんでもやり過ぎだと男達はイルカの所業を訴えた。暗部の男の記憶は男達には残っておらず、全てはイルカの仕業と思い込んでいた。

罪に問われたイルカは、「私がした事です。間違いありません。」と暗部の男の存在は黙っていた。

男に対し、真実を教えられない事に対する、罪滅ぼしのような気持ちだったかもしれない。

火影はそんな瞳術をイルカが扱える筈がないと分かっているようだったが、敢えてその嘘を黙認して、罰として僻地への異動をイルカに言い渡した。実質上の左遷だ。

すぐさま出立する事をイルカに命じながら、火影はそっと耳打ちした。

大賀の噂が風化し、ほとぼりが冷めた頃、必ずやお前を呼び戻そうぞ。

火影の優しい気遣いに、イルカは声もなくただ頷く事しかできなかった。

取るものも取り合えず、イルカはその日の内に里を出た。

暗部の男との約束を果たせぬままに。

その事を申し訳なく思いながらも、イルカは何処かホッとしている自分の卑怯さを感じていた。

 

 つづく