第六回

 

 

白い天井と少し薄汚れた蛍光灯。

目覚めて最初にイルカの目に飛び込んできたのは、その二つだった。

ここは何処だろうと考える前に、すぐに視界に白衣姿の老人が姿を現し、イルカは自分が病院のベッドの上にいる事を知った。

何故俺が病院に…?

イルカは病院に運び込まれる前後の記憶が、非常に曖昧だった。

確か荷の勝ち過ぎる難易度の高い任務を割り振られて、緊張気味に里を出た筈なのだが…

「俺、任務先でへまをして、大怪我でもしたんですか?」

イルカは自分の腹や胸、太腿、尻と、体中に大仰に巻かれた包帯を見て、幾分緊張気味に医者に尋ねた。

病院のベッドで厄介になっていた日数も、あわせて聞いてみる。

医者は目を伏せながら、何処か困惑した様子でイルカの問に答えた。

「海野さん、君は運び込まれてから一週間も意識を失ったままだったんだよ…その包帯の下は大怪我をしているわけではないが…なんというか、その…君の記憶障害と長らくの昏睡は精神的ショックによるものだろう…そのショックの原因が恐らく包帯の下の…」

歯切れの悪い医者に、イルカの不安は募った。

「えっ、それはどういう…」

「包帯を解いてみるといい、私の口からはとても言えん…君の怪我は右腕の脱臼くらいだ。特に他に悪いところはないから、もう本日中に退院してくれても結構だ。」

「せ、先生…」

言う事だけ言うと足早に立ち去る医者に、イルカは茫然とした。

い、一体この包帯の下には何が…?

勇気を出して解こうと手をかけると、頭がズキッと痛んだ。見てはいけない、と何かがイルカに警告する。不吉な予感に囚われて、イルカは遂に包帯を解く事はできなかった。

そのままイルカは医者の言葉通りに退院すると、すぐさま火影の元へと赴いた。自分が重要な任務で失敗をしたのではと心配だったからだ。

すると火影もまた医者同様言葉を濁しながら言った。

「いや、お前に何か不手際があったわけではない…ただ、今回の任務で作戦総指揮を取っていた男…あの男は実は大賀が肉親の如く目をかけておった部下なのじゃ…恨みつらみを任務と混同させるような輩ではないと思うが…その、なんじゃ、この上官にしてこの部下ありというか…ちょっとばかり変わったところがある男なんでな…そっちの方で目をつけられたとあっては厄介じゃ…」

憐憫の眼差しでイルカの包帯を見詰める火影に、イルカはうっすらとではあるが、曖昧だった記憶の一部を思い出した。

そ、そうだ、確か作戦総指揮を取っていたのは、あの銀髪の暗部…!

あの人、大賀上忍の部下だったのか…という事は、今までの出来事は大賀上忍を殺した俺への嫌がらせ…?

っていうか、火影様の口振りからすると、俺今回あの人に何かされたのか…!?

恐ろしくて、イルカは益々包帯を取る事ができなくなってしまった。現実を直視するのが怖い。

イルカは暗い面持ちで火影のもとを辞すると、その足で今度は慰霊碑へと向った。

初めて殺めた人の名が刻まれた場所へ。特に任務のない限りはこの場所へとやって来て、手を合わせるのが日課となっていた。

入院していたとはいえ、随分と間が開いちゃったな…

イルカは道中摘んで来た、純白の蓮の花を慰霊碑に手向けると、その場に跪き静かに手を合わせた。

殺した相手が顔見知りだった所為だろうか、いつまで経っても罪悪感が拭えない。

それは感じる必要のないものかもしれないけど…

慰霊碑を前に佇んでいると、大賀の最期の顔が浮んだ。

手向けた純白の蓮の花は花魁の白い肌にも似て、風に揺れる花びらに、嬉しそうに綻ばせた口元を思い出す。

微笑みながら逝った花魁の顔を…

そして何故かあの暗部の男の顔までも。

訳のわからない男だと思っていたが、大賀の部下だったと知ってから、一連のイルカへの振る舞いに何か意味があるような気がしてきた。大賀の死について、イルカを責めているような、そんな気が。

ただの変態男じゃなかったんだな…

なんとなく、沈んだ気持ちになってきて、イルカはこんな時はあれだ…!とその夜は福岡ヤフードームへと遠出した。

ホークスファンのイルカは外野席で応援の声を張り上げているだけで、落ち込んだ気持ちも盛り上がってくるのだ。ホークスが勝った時は殊更スカッとする。

今晩も勝ってくれよ…!と期待しながら応援していたが、その晩は応援も虚しく、ロッテに惨敗してしまった。

気分を盛り上げるどころか激しく落ち込んだイルカは、ドーム近くの屋台で一杯引っ掛けていく事にした。木の葉で飲酒は十八歳未満は禁止だが、忍社会でそんな事とやかく言うような奴はいやしない。

屋台の親父も特に何も言わずに、イルカに酒を差し出してくれた。

「畜生、ロッテが何だあ!ロッテが怖くてガムが噛めるかあ!!!」

ぐいぐいとコップで冷酒をあおり、ダンと空のコップを卓上に叩きつけるように置く。

「親父、もーいっぱい、」

「兄さん、もうそれくらいにしといた方が…」

「もー・い・っ・ぱ・い!!!」

バンバンと卓を叩くイルカに親父が溜息を吐く。酒を注いでやるべきか否か考えあぐねている様子だ。

するとその時突然暖簾をくぐって、

「俺が責任持って連れて帰るから、注いでやってよ、」

獣面をつけた銀髪の暗部の男が姿を現した。

血の臭いを纏わせた怪しい影が、すすっと音もなくイルカの隣りに腰を下ろしても、既に出来上がっていたイルカはまるで気付かなかった。

「…任務に出てる間にあんたが退院していて吃驚した〜よ、すごく捜しちゃった。もう右腕の脱臼の方は大丈夫なの?」

神妙な口調で男が尋ねてきたが、

「ロ〜ッテロ〜ッテ、こあらのまあち〜♪」

勿論イルカには聞こえていなかった。

「無視しないでよ…腕の事は謝る。お仕置きも…やり過ぎました。ねえ、だから仲直りしよ?」

テーブルの下でぎゅっと手を握られて、イルカはようやく男の存在に気付いた。

え?あれ…?ぎ、銀髪の暗部…!なんでこの男がここに…!?俺の行く先々にいる気がする…

一瞬うっと怯んだが、そこは酔っ払い、すぐにどうでもよくなる。酒を飲んでいる時にまで、面倒臭い事は考えたくなかった。ここは一時休戦だ。

男が何を言っているのか今一つよく分からなかったが、イルカはアッハッハッと豪快に笑いながら、暗部の男の背中をバーンと叩いた。

「何しんみりしてんスかー!?俺は全然気にしてないッスよ!無礼講無礼講、あんたも今日はとことん飲みましょう!親父イ、酒!」

酒は時としてイルカの気分を大きくする。イルカは暗部の男にコップを手渡すと、こちんと勝手にコップをぶつけて乾杯した。

「うまいっすねー!」とぐいっと一気に飲み干して、にこーっと相好を崩すイルカを、暗部の男がぼうっと見詰めている。

飲まないんスか、とイルカが不思議そうに尋ねると、暗部の男が慌ててコップを空にした。獣面をはずさぬままに空になったコップに、イルカは吃驚した後、とても愉快な気持ちになった。

「今、どうやって飲んだんスかー!?もっと飲んでみてください、」

「ちょ、ちょっと、あんたね…」

暗部の男は困ったような声を上げながらも、満更ではない様子で、イルカが勧めるままに酒がなみなみ注がれたコップを次々空にした。

それからどれ位盃を重ねただろうか。イルカがぐでんぐでんになった時、ふいに暗部の男がポツリと呟くように言った。

「あのさ、俺、あんたと大賀の事が聞きたいんだけど〜…」

 

 つづく