第四回

「蜂巣…っ!」
上忍の足をそうそう巻けるものではない。
カカシに追いつかれその腕を掴まれた蜂巣は、小さく呻いて観念したように振り返った。
憮然とした表情を浮かべて、睨み付ける様にカカシを見る。しかしその鳶色の瞳は心の動揺を映して微かに揺れていた。
何処か、怯えている。
それを怪訝に思いながら、
「どうして逃げたの…?」
カカシは蜂巣の瞳をじっと見詰めて尋ねた。
あまり似ていない兄弟だと思っていたが、瞳の色の深さだけは不思議とよく似ていた。
まるで大賀と向かい合っているかのような錯覚に、カカシの胸はじくりと痛む。
「どうしてここに来たの…?」
蜂巣に会ったら聞きたい事が沢山あった。確かめたい事が、沢山。
唯一の大賀の肉親である蜂巣は、真実を知っている筈だ。大賀の死について、真実を。

そう…だってお前もその場にいたんでしょ…?
大賀が殺されるその瞬間に居合わせたんでしょ…?

それなのにどうして大賀を殺した男の病室を見舞うのか。
あの中忍が大賀の死に関っている事はまず間違いが無い。蜂巣にとっても憎むべき相手なのではないか。
だが、先ほど扉の隙間から垣間見た蜂巣の表情は何処か心配そうで、イルカの身を案じているように見えた。

どうして…?お前はあの男を憎んではいないの…?

蜂巣の揺れる瞳の奥に、自分の知らない事実が隠されているような気がした。何かがあるような。

それを知りたい。

「…大賀を殺した奴がそんなに心配?」
カカシが様子を窺いながらそう口にすると、
「違うッ…」
蜂巣が大声を上げた。ここが夜中の病院だと忘れているようだった。
「俺はそんな気持ちでここに来たんじゃない…っ!カカシさん…あんたは知らないから…兄貴の惨めな死に様を見ていないからそんな事が言えるんだ…っ!簡単に死なれたら兄貴が浮かばれないから…だからあいつの様子を見に来た…こんな楽な死に方、許せなくて…」
大賀と同じ瞳をして蜂巣が叫ぶ。その無念さを訴える。
「あいつが兄貴を殺した…俺はあいつを許せない…許せないんだ…っ!」

許せないんだと蜂巣が。大賀が。苦しげな瞳でカカシに縋る。

蜂巣が語る真実にカカシは体を震わせた。
噂は本当で、遺された大賀のクナイが語る通り、全ての罪はイルカにある。蜂巣の叫びが大賀の叫びに聞こえた。

蜂巣は…大賀は、罪の贖いを求めている…

ならば自分もそれを叶えてやるべきだとカカシは思う。思うのに。

どうして俺は迷っているんだ…?何を…迷っているんだ…?

騒ぎを聞きつけて、
「何かあったんですか…?」
看護婦達が駆け寄ってくる足音が聞こえてた。夜中の病院であれだけ大声を張り上げれば当然の結果といえた。瞬間力を弱めた拘束に蜂巣はするりと逃げ出して、脱兎の如く走り去った。カカシは駆けつけた看護婦に適当な言い訳をして頭を下げると、再びイルカの病室に戻った。イルカは出て行った時と変わらずに静かに眠ったままだった。カカシは傍らに座り、その寝顔をじっと見詰めた。
この男を許してくれるな、と大賀の声が耳元で聞こえる。
確かにイルカの事は許せない、許すべきではないと思うのに。
カカシの心にかつての激しい憎悪は戻ってはこなかった。




まだ朝なのに随分と暑いな…

七月の太陽は早起きで、既に夜の闇を一掃して里中を光で磨いている。その働きぶりに大気がもうもうと汗をかく。
イルカは落ちてきた額の汗を拭うと、もう一度慰霊碑の前に手を合わせた。任務で重傷を負い、二ヶ月ほど入院していた。本当はもう少し入院しているように言われていたが、家で安静にしているからと無理を言って退院させてもらった。
それから毎朝慰霊碑を訪れている。誰にも見つからないような時間にそっと。
だが、いつも一人ではない事をイルカは気付いていた。
近くに感じる別の気配。
そしてそれが誰なのかも分かっていた。
おそらく、その人物も毎朝慰霊碑をたずねているのだろう。身を隠しイルカが退くのを待っているのだ。

あまり長居しちゃ悪いからな…

イルカは腰を上げると、慰霊碑を後にして歩き出した。
だがその日はいつもと違い、気配がイルカの後をついてくる。

どうしたんだろう…何か俺に用があるんだろうか…?それとも…

イルカは声をかけるべきかどうか迷った。
何故なら、気配の人物はイルカを憎んでいる事を知っていたからだ。身動きの取れない間病院のベッドの上で幾度となく任務の状況を考えた。上手く行っていた筈なのに、どうして自分はこんなに大怪我をしてしまったのだろうと、繰り返し。
そして薄っすらと思い出したのだ。意識を失う瞬間、自分を庇うように降り立った銀の影が振り向いて、くつりと愉快そうに笑い声を上げた事を。『いい気味』と囁かれた小さな声を。それは夢の中での出来事のようにも思えるのに、イルカは漠然とそれが現実だと確信していた。その時全てが分かった。

どうして荷の勝ち過ぎる任務に俺が選ばれたのか。

まだ傷の癒えきらないイルカはゆっくりとしか歩けない。それにあわせてついて来る気配もゆっくりと歩を進める。
道の両端の蓮沼には朝日を浴びて、白蓮がその花びらを柔かく広げていた。
真っ白に咲いて迷いが無い。
その姿を見詰めていたら何処か決心がついて、イルカは立ち止まった。
そして静かに言った。


続く