第三回

『大賀を殺したのって、あんた?』
そう尋ねながらもカカシはある程度その答えを知っていた。
『ある程度』というのは、上忍れんげ大賀の死に関して緘口令が敷かれている為、自分が得た情報は「らしい」「だそうだ」で締め括られる当推量ばかりで確証が持てなかったのだ。勿論一番に火影のもとに幾度となく押し掛け、問い詰めてみたが、里長が容易に口を割る筈もなく、全て徒労に終わっていた。
葬儀もなくひっそりと慰霊碑に刻まれた大賀の名前を見詰め、

あんたが死ぬなんて…どうしてなんだ?

カカシは心の中で咆哮した。
最後に大賀が就いた任務は金子の運搬護衛で危なげの無いものだった。
それにどうして大賀の葬儀は執り行われないのか。大賀は上忍の中でも屈指の実力を誇る忍で、火影の信頼も厚く、齢二十八にして次期近衛隊長にと推されるほどの人物でもあった。それなのにその殉死に対して火影から何の哀悼の言葉も無い。
カカシはそれが不満だった。大賀は四代目亡き後、実質その任を引き継いだ形でカカシの上官となった。カカシは始めの内はこの年若い上官に馴染む事ができなかった。

俺にとって、「先生」は一人だから。
―――だからあんたを先生とは呼べない。

ある日カカシが生意気な口を利くと、大賀は怒るでもなくわしゃわしゃとその大きな掌でカカシの頭を撫でた。

「先生」なんて柄じゃねえ。「大賀」でいいぞ。

大きく破顔して、そう言った。同じ仲間って事でいいじゃねえかと、わしゃわしゃと掻き混ぜる手は止めないままに。

餓鬼扱いしやがって。

そう思いながらも、カカシはそれ以上何も言えなかった。何故か泣きたいような気持ちになって。心に開いた風穴に何かが嵌まったような気がした。それから三年間、カカシが暗部に配属になるまで大賀の部下として任務を共にした。その間一度も「先生」と呼んだ事は無い。しかし心の中では四代目と同じように大賀を敬い慕うようになっていた。

その大賀の死がないがしろにされている。

一体何があったんだ…?

カカシの耳に入ってくる噂は正直信じられないものだった。
『大賀上忍は同じ木の葉の中忍に殺されたらしい。』
敵の術に陥った中忍に不意を衝かれて。しかもその中忍は生きて戻り情状酌量により罪を不問にされた上、高名な上忍を殺してしまった事で不利益を被らぬよう、この件に関する詳細は隠蔽されたという。そんな馬鹿な、とカカシは怒りを抑える事ができなかった。それが本当だとしたら許せる筈が無い。

どうしてその中忍は罰を受けないんだ…?
幾ら敵の術に掛かり心神喪失状態だったとはいえ…未熟である事は罪じゃないのか…!?

噂はその中忍の名も知らせていた。
「海野イルカ」。
大賀と同行した忍に、そんな名前の者はいなかった。不思議に思い調べてみると、同日大賀の運搬任務のルートに被る、危険度の低い文書運搬の任務に就く者たちがあった。任務依頼書にある請負忍の名前を見てカカシは驚愕した。
記載されていた中忍の名前は二つ。ひとつは海野イルカ。そしてもうひとつはれんげ蜂巣。大賀の弟の名だった。

蜂巣が一緒に…?

尋ねたくても蜂巣はその時外回りの任務で里に不在だった。
カカシ自身も暇ではなく、任務に追い立てられてなかなかその真実を探れずにいた。
そんな矢先に任務先の郭で偶然にも出会ったのだ。
「海野イルカ」に。
大賀の変形型クナイでそれが分かった。それは確証の無い噂を確かなものに変えた。

あいつが大賀を殺したんだ。

カカシはそう確信していた。あの時は気付かずに逃がしてしまった。だが、今度は逃がさない。二度目にこうして顔を合わせたのは偶然ではない。カカシがイルカを指名したのだ。

大賀が死んだのは…あんたの所為なのに。
誰もあんたを罰しないなら、俺が罰を与えてあげる…あんたは地面に這い蹲って罪を償うがいい…

「…あんたが大賀を殺したんでしょ?」
何も答えないイルカに憤怒を滾らせながら、カカシは更にクナイを押し付けた。深くなる傷に首筋を汚す鮮血の筋が太くなる。
「答えないと、このまま首を掻き切るよ…?」
あながち嘘ともいえない物騒な台詞に、しかしイルカはやはり押し黙ったままだった。

怯えて口も利けないのか…?

自制を超えた苛立ちに、思わずクナイを握る手に更に力を込めてしまいそうになった時。
がさりと遠くで茂みが揺れ、誰かが近付いてくる気配を感じた。遅れて、隊長、と自分を呼ぶ声がする。

ここまでか…

心中舌打ちしながら、
「命拾いしたねえ、」
カカシは酷薄な笑みを浮かべてイルカを解放した。クナイを離しトンと肩を押すと、イルカは体を大袈裟に後方によろめかせた。二、三歩下がり踏み止まると、詰めていた呼吸をゆっくりと吐き出す。イルカは無言のまま頭を下げると、踵を返しその場を立ち去った。その足取りが動揺の為にかふらふらと覚束無い。

この程度で動揺するなんて…本当、なってないねえ…

カカシはその未熟さに侮蔑を込めて、遠ざかる後姿を見詰めた。

…幾ら逃げても、もう無駄だよ…

心の中で呟いて、カカシは口元を歪に捻じ曲げた。






任務は夜の闇に紛れて決行された。
部隊は幾つかの役割に分かれ、イルカは見取り図奪取の為に、敵の注意を引き付けておく囮役に割り振られた。
最後まで敵陣に残るこの役割に作戦指揮を取るカカシも就いていた。指揮官が撤収まで責任を持つ事は別段珍しくは無いが、イルカはとても冷静さを保っていられなかった。獣面で覆われ、その表情は窺えないというのに、暗部の男が探るような瞳で自分を監視しているような気がした。

あの人は…大賀上忍とどういう関係なんだろう…随分と親しかったんだろうか…?

イルカはよく分からなかったが、暗部の男は凄まじい殺気を放っていた。
『命拾いしたねえ、』
男の身も凍るような笑い声が今も耳について離れない。あれは脅しではない。本気だったとイルカは思う。だが、男が何を言おうがイルカは答えるつもりがなかった。大賀上忍の死に関しては緘口令が敷かれている。故にどんなに噂が立っても、イルカは幾らでも言い逃れはできた。誰も真実を知らないのだから。
しかし。

俺はあのクナイを置いて来てしまった…

大賀上忍の死に確かに自分が関ったのだという証拠を、残して来てしまった。どうして素早く女の手からクナイを抜き取らなかったのか。女の死に動揺してまるで気が回らなかった。イルカは己の迂闊さを呪った。

流石暗部と言うべきか…あの男は聡い…俺は何処まであの男を欺く事ができるんだろう…?

やがて事実を嗅ぎ付けられてしまうかもしれない不安に、イルカの胸は押し潰されてしまいそうだった。もし事実を知ったら、あの男はどうするだろうか。
蜂巣の姿が脳裏を掠める。

知られるわけにはいかない、

イルカは乱れる心を何とか落ち着けようと努力した。

兎に角今は目の前の任務に集中しろ…!一瞬の油断が命取りになる…

その時前方に身を潜める指揮官が、音もなく手を上げた。作戦開始の合図だった。
瞬時に囮役の忍達が予め決められていた自分の持ち場に散る。見取り図を保管する建物は大きく、警護の見張り番は様々な場所に配置されており人数も多い。その為、囮役にはそれぞれ引き付けておく見張り番の頭数を割り振られ、持ち場も決まっていた。自分の失態が他の者に余波を及ぼす。

そんな事は絶対に嫌だ…!

イルカは気を引き締め、すぐさま地を蹴り跳躍した。
自分の持ち場に見張りは三人。他に比べれば手薄な場所だ。

誘き寄せて、建物から遠ざけるか…

考えを巡らせながらも、容易くはないなと苦笑する。
上手く誘き出せても、三人を相手に立ち回れるかどうか。敵の実力はチャクラの流れから察するに、自分よりも実力が上だ。その上、自分にはさほどの実戦経験がない。勿論敵を殺して負荷を軽くできればいいのだが、そんな余裕もイルカにはありそうになかった。

それでも、やり遂げなくては…!

イルカはクナイを放ち先制攻撃を仕掛けた。すぐにイルカの気配を捕らえた敵が二人前に出る。

ギリギリまで引き付けて…

緊張に早鐘を打つ胸の音を聞きながら、イルカは飛んでくる手裏剣をクナイで跳ね返した。避けきれず、脇腹と脹脛に二発喰らったが大した事はない。近付いて来る敵との間合いを冷静に計り、一瞬気弱に退がるような素振りを見せて、

今だ…!

一気に仕留めようと猛進してくる敵をかわす形で、前方高く大きく跳んだ。思わず見上げてイルカの行方を追った敵の目を、イルカが放った閃光弾が焼く。その光景に建物の前から動かなかった見張り番が前に飛び出した。その男はイルカ同様まだ年若い容貌をしており、場数を踏んでいないのかチャクラに乱れを感じた。

いけるかもしれない…

イルカは走りながら小刀を抜くと、懐深くその敵に向かって切りつけた。刃先は僅かに敵の衣服を切り裂いただけだったが、敵の闘志に火をつけるには十分だったようだ。最初の一太刀で大きく退いたイルカを不審に思った様子もなく、敵は持ち場を離れ追って来た。閃光弾から視力を戻した先の二人もそれに加わる。

いいぞ、後はなんとか撤収まで持ち堪えれば…

イルカはクナイを飛ばし敵を牽制しながらも、時々歩調を緩め攻撃の手数を減らし、敵を引き付けた。まともにやりあっても勝機が無いのだから、逃げ回るしかなかった。

後どれくらい引き付けておけばいいのか…

傾く月をちらと見上げて、その時間を計ろうとした瞬間。イルカは身を凍らせた。
月光を背にこちらへむけて跳躍してくる、新たな影。
刀をイルカに向けてまさに振り下ろすとするその姿は、仲間のものではなかった。

誰か持分の敵を逃がしたのか…?それとも…

視界が赤く染まりイルカの思考はそこで途切れた。イルカの体を敵の刃が大きく切り裂いていた。




消灯時間を過ぎた木の葉病院はひっそりと静まり返り、時折急患を告げる慌ただしい声が聞こえるだけだった。
そんな時間にもかかわらず、カカシはまだイルカの病室に留まり、僅かなベッドライトの光に照らされるその顔をじっと見詰めていた。イルカはカカシが指揮を取る囮任務で大怪我を負い、意識不明のまま木の葉病院に運び込まれたのだ。
見回りに来た看護婦が、
「はたけさん、そんなに心配なさらなくても危険な状態は抜けましたから…少しはお休みになったら…?」
憂えた顔をするカカシに声をかけたが、それはとんだ見当はずれな言葉だった。
何故なら。

…俺がこの人に大怪我を負わせたんだから…

囮任務の際にわざとイルカの持ち場へと敵を逃がした。任務にイルカを指名した時からそのつもりだった。

大賀が身に受けた苦痛を、あんたもその身を以って味わうがいい…

断罪者を気取ってクツクツと腹の底で笑った。勿論見殺しにしなかったのは、簡単に苦しみを終らせるつもりはなかったからだ。同胞殺しが敵に術をかけられていたという理由で許されるならば、任務で如何に重傷を負っても、自分の腕の未熟さ故という事で仕方が無いと思われるだろう。

俺が仕掛けた罠だと気付かれさえしなければ。

カカシはこれからも任務に託けてイルカを引き摺り出し、大賀を殺した罪を償わせるつもりだった。その事に何の迷いもなかった筈なのに。しかし、今こうして傷付き意識なく横たわるイルカを見詰めていると、カカシは自分を掻き立てていた激しい怒りが鎮火して行くのを感じた。どうしてだろう、傷付くイルカの姿に満足を覚えるはずの心は、予想に反して空洞を大きくするばかりだった。荒涼とした風が心の空洞を吹き抜ける淋しげな音が聞こえた。何処か虚しい。

こんな事をして何になるっていうんだ…?

こんな事をしても大賀は帰って来る訳でもなく、遣る瀬無い思いが募るばかりだ。

だけどイルカを許す気にはなれない…大賀を殺しておいて…何の罪の償いもせずのうのうと生きているこいつを…俺は許せない…

どうしたらこの心にあいた空洞を埋める事ができるのか。この行き場の無い思いを昇華する事ができるのか。

分からない…俺はどうしたら…

心の定まらないカカシはイルカを病院に運び込んだまま、その場を動く事ができなかった。
その時突然。
「…だよ、…す」
微かな呟きと共に伸びてきた手がカカシの手を握った。ぎゅっと、力強く。
それはイルカの手だった。
驚きにカカシが慌てて顔を上げると、イルカが薄っすらと目を開けていた。
その口の端がゆっくりと押し上げられ、緩やかに微笑みの表情を作る。
その微笑をカカシは茫然と見詰めた。馬鹿の様に茫然と。
何故か目が離せなかった。
もう意識が戻ったのかと思ったのも束の間、イルカの手はすぐに力を失ってするりと落ち、薄く開いた瞳はまた閉じられてしまった。
再び訪れた静寂に、まるで今の出来事が嘘の様だった。
だが嘘ではない証拠に、ぎゅっと握られた手がまだその余韻を残していた。
後半の言葉は途切れてよく聞き取れなかったが、イルカの微かな呟きもちゃんと聞こえていた。
『…大丈夫だよ、』
イルカはそう言ったのだ。自分の手を握り優しい笑みさえ浮かべて。
まるで自分の惑う心を見透かしたかのように、確かにそう言った。

どうしてそんな事を…

たったそれっぽちの事に、カカシの心は酷く掻き乱されていた。
間違った事はしていないと思う一方で、酷く間違った事をしているような気がしていた。矛盾した思いが心の中で鬩ぎ合っている。思わず表情を歪めるカカシの耳に、その時かたりと微かな物音が聞こえた。

なんだ…?

ハッと弾かれたように顔を上げると、僅かに病室の扉が開いていた。その隙間から覗く意外な姿を認めて、カカシは知らず大声で叫んでいた。
「蜂巣…!?」
カカシの叫びに驚愕した表情を浮かべ、蜂巣がその場を逃げ出した。その後を追って、カカシは病室を飛び出していた。

続く