第十一回

カカシは驚きを禁じえなかった。
蜂巣の後をつけていたら、意外な光景に出くわした。
「イルカ、」
仄かな月明かりの下で、蜂巣が仕事帰りのイルカを呼び止める。カカシは咄嗟に物陰に隠れ、息を潜めて様子を見守った。大賀の死の件について調べているうちに、蜂巣とイルカが小さい頃からの幼馴染だと知った。親友だったと。しかし二人の付き合いは大賀の死後一変する。蜂巣はイルカに対し憎悪を露わにし、イルカは諾々とそれを受け止めている。それに対し周囲は当然とばかりに何等疑問を抱いていない。今まではカカシもそうだった。
だが。

騙されてたんじゃないか、

カカシはそれについて確信を深めていた。
イルカが大賀を殺したのであれば、それが故意的でないにしろ、蜂巣と従来の関係を続けていくのは難しい。肉親殺しの事実が二人の関係に何も影響を与えない事自体が不自然だ。逆説的論法で行けば、大賀の死後も蜂巣とイルカの間に従来通りの付き合いが介在していたとするならば、イルカが大賀を殺したという大前提に疑問の余地が出てくる。

本当にイルカが大賀を殺したのか…?

今やそんな疑惑がカカシの頭の中を占拠していた。
イルカが殺したんじゃないとすれば、蜂巣が殺したのか。
だが、どちらが殺したにしても、心神喪失状態であったならば問題は然程変わらない。代って罪を被る理由が見つからない。
一体十年前何があったのか。

大体、大賀の死に緘口令が敷かれたのもおかしいんだよね…

殉職した上忍に葬儀らしい葬儀も執り行われなかった。その事についてはカカシ自身当時から不審に思っていた。
大賀の死には一体何が隠されているのか。二人は何を隠そうとしているのか。この件について里長は、火影は、何処まで把握して黙しているのか。蜂巣のイルカに対する不自然な態度に、カカシは改めて当時の事件を調べてみて、新たに気付いた事があった。
殉職する月の二ヶ月ほど前から、大賀のこなした任務量が尋常ではないのだ。上忍らしからぬ、煩瑣な任務にまで赴いている。何かに憑かれた様なその数にカカシは思わず呻いた。しかもその任務の殆どが国外だ。当時は大賀の殉職した際の任務にしか気を払わなかったので、気がつかなかった。

これは偶然の符合なんかじゃない…何かがある…

しかしそこまで調べてカカシは頓挫した。大賀の請け負った任務に法則性は無く、今更その一つ一つを追った所で時間が経ち過ぎている。
カカシは真実を知りたかった。大賀の死の真実が。

どうして大賀は死ななければならなかったのか…どんな風に死んだのか…

二人のうちボロを出すなら蜂巣の方だと思っていた。イルカは十年経った今も黙して語らず、その毅然とした態度に変わりは無いのに、蜂巣は何かが綻び始めている。十年前は憎悪に顔を歪めていたのに、今蜂巣がイルカを見詰める瞳にその影は見当たらない。

それどころか…。

カカシは思考途中で、少し離れた場所でイルカの手を掴み、何か囁いている蜂巣を見詰めた。暗い夜なのに二人の繋いだ手がやけにはっきりと見える。その光景によく分からない苛立ちを感じて、カカシは小さく舌打ちした。

ここからじゃ距離があってよく聞こえないな…一体何を話しているんだ…?

思わず身を乗り出したその時、
「イルカ…こんな馬鹿げた事はもうやめよう…俺が…俺が間違ってたんだ…!」
突然蜂巣がそう叫んで、イルカの体を抱き締めた。
瞬間。
堪え切れなかった何か、怒りにも似た感情がカカシの体を駆け抜けた。ざわと空気が揺れる。

しまっ…!

知らず迸り出てしまった己の殺気にはっとして、カカシは慌ててまた気配を殺したが、時既に遅し。イルカが驚愕した面持ちでごくりと唾を飲み込んだのが分かった。イルカは何か蜂巣に耳打ちすると、その体をゆっくりと押し戻した。
大分、酔っていらっしゃるようですね、とイルカの声が聞こえた。わざとらしい事この上ないのに、しゃあしゃあと。
それを合図に二人の影がまるで何事も無かったかのように、別の方向へと歩き出す。確固とした足取りのイルカに比べ、蜂巣の足元は酷く覚束無い。それは泥酔している演技なのかそれともこの場を第三者に目撃された動揺によるものなのか。カカシにはよく分からなかったが、今追いかけるとしたら蜂巣の方だ。

今追いかければ、陥落できるかもしれない。

そう思うのに、カカシの足はイルカの方へと向かった。イルカが進むべき道に先回りしてその姿がゆっくりと近付いてくるのを待つ。

俺は何をしてるんだ…?

自問する声が頭の中で鳴り響く。その答えに何処か気付いているような気がした。
夜闇の深淵に僅かに降り注ぐ月光を纏って、イルカがやって来る。顎を上げて真っ直ぐに。その瞳に夜闇さえ消せない強き意志の光を湛えて。何も疚しい事は無いというかのように、待ち受けるカカシの姿に僅かな動揺も見せない。

そう、あんたには本当に何も疚しい事はないのかもしれない。だからそんなに毅然としていられる…
そして俺もそれを信じたいのかもしれない…

イルカが疚しい所がないなら、後ろ暗いところがあるのは蜂須か。それとも…。
一瞬思いもよらない考えがカカシの頭を過ぎった。その考えにギクリと体を強張らせる。まさかと思いながら最初からその可能性だけは無いものと、念頭に置いていなかった自分に気付く。

…そんな事ある筈は無い、

カカシが自分の頭に湧いた馬鹿げた考えを追い払おうとした時、イルカが軽く頭を下げて会釈して傍らを通り過ぎようとした。
その時不意に。払拭しきれない疑惑がカカシの口を吐いて出た。
「罪があるのは…本当にあんた?それとも…」
続く言葉は震える唇に上手く声にならなかった。
イルカははっとしたように僅かにその体を震わせだけで、振り返らずに去っていく。
だがいつも動揺を見せないイルカのその僅かな震えが、カカシに真実を告げているような気がした。





はたけ上忍に何か気付かれてしまっただろうか…?

イルカは昨晩の出来事が気になっていた。
カカシは擦れ違いざま確かに言った。

『罪があるのは…本当にあんた?それとも…大賀?』

それは本当に微かな呟きにも似た声であったけれども。
イルカは受付に座りながらも全く仕事に集中できなかった。蜂巣に連絡を取らねばと密かに考える。それよりも火影に相談するべきだろうか。そんな事ばかり考えていた為、蜂巣が受付に姿を現した時気が急いてしまった。この緊急事態を何とか伝えようと焦るあまり、蜂巣が自分の机に投げ出した報告書に、うっかりインクを零してしまったのだ。それは取り返しのつかないほど報告書を汚した。隣で見ていた蜂巣の仲間の上忍が、それを見て大声を上げる。
「何ボケッとしてるんだよ?」
「も、申し訳ありません…」
「謝れば済むって問題じゃねえだろ!?なあ、蜂巣、責任とって貰わなくちゃなあ、」
いつもナルトの事で絡んでくる上忍達が、呆然と立ち尽くす蜂巣に向かって制裁を促す。
「あ、ああ…」
短く返事をしたまま、何も行動を起こさない蜂巣に仲間が怪訝な顔をした。その様子にイルカは肝を冷やした。

どうしたんだ?蜂巣…怪しまれないようにいつもの調子で俺を詰れ…!

じっとイルカが懇願するような瞳で見詰めると、視線を彷徨わせていた蜂巣が一瞬瞳を閉じて、ぎゅっと唇をきつく噛み締めた。その手がイルカの後ろ頭を掴むと、
「お前がした粗相を良く見てみろよ、」
インクの広がった机上に勢いよくイルカの顔を叩き付けようとした。
その時。
「あんた、よくそんな事ができるね、」
机まで僅か数センチ。叩きつけられるすれすれで止められた動きにイルカが恐る恐る顔を上げると、蜂巣の手を掴み止めるカカシの姿がそこにあった。

続く