第六回

何をしているかなんて一目瞭然で、聞く必要なんて無い。
そしてカカシ自身も答えを聞くつもりもなかった。
青白き閃光が醜悪な陰茎を晒したままの男達の間を走り抜ける。
次の瞬間。
「がは…っ!」
「あひい…っ」
「うご…」
呻き声と共にイルカを弄っていた男達が血飛沫を上げ、次々とその場に倒れ込んだ。
ある者は醜悪な陰茎を根元から切り落とされ、またある者はイルカを舐っていた舌を切り取られ、血の海の中惨めにのた打ち回る。
淫猥な陵辱の場は一瞬にして血に塗れた地獄絵図に代わった。
カカシは揶揄するような口調で、
「ねえ、邪魔だからさっさと失せなよ?」
地面に這い蹲る男の湾曲した背中を踏みつけた。
勿論男達が容易に動けない事を承知の上での仕打ちだった。
男達のその目を全て抉り取ってやったのだから。
激痛と共に奪われた視力に、幾ら忍といえど、すぐには動ける筈が無い。
だが、それくらいで止められた事の方が奇跡だとカカシは思った。よく分からない憤怒はまだ男達の血を求めて体の中で逆巻いていた。沸騰するカカシを冷静にしたのはイルカの視線だ。まるで魂が抜けてしまったかのように、茫然と見詰めている。その頬や手や太腿が全て返り血で赤く汚れている事に気付き、

ああ、早く拭ってやらないと、

カカシはふとそんな馬鹿げた事を考え苦笑した。
どうしてそんな事を思ってしまったのかは分からない。ただ、下衆どもの血に汚れたイルカの姿が嫌だった。
血の滴る刃を鞘に収め、カカシはイルカに近付いた。
その足取りをこれ以上も無いほど目を大きく見開いて、イルカが微動だにせず見詰めている。息を詰めて。
一体何が起こったのか、まだよく理解していないに違いない。

助けるつもりなんてなかったのに…

その無防備な様子に、カカシは小さく舌打ちをした。心が酷く苛立つ。
陵辱の場に居合わせたのは偶然ではなかった。
カカシは何かにつけ、イルカの元を訪れていた。いつも本人にそれと知られぬよう気配を消し、遠くから様子を窺った。
迷っていたからだ。
蜂巣の叫びが大賀の無念を伝え、イルカを断罪せよとカカシの心を掻き立てていた。
迷う事なんて無い筈だった。事実大賀の死を聞いた時カカシは全く迷わなかった。
だがイルカを傷つけたところで、心は晴れない事を知った。それどころか何処か虚しい事も。
それなのにイルカを傷つける事に意味はあるのだろうか。他に断罪の方法はないのか。
カカシは考えを巡らせながらイルカを見詰めた。
見詰めていると、何故か指先が熱く痺れた。
イルカに握られた指先。
病院のベッドの上で『大丈夫だよ』と微笑んだイルカの顔が浮んだ。
大怪我を負わせた張本人たる自分に向かって、そんな事を言うイルカの姿が。
その度毎に指先だけでなく、心の奥も何処か熱くなる。

意識を失ったイルカの単なるうわ言なのに。

イルカを見詰めれば見詰めるほどカカシの心の揺れは大きくなった。どうしたらいいのか分からない。
だから答えられなかった。
『憎いですか』とイルカに尋ねられた時。
憎い筈なのに。
まっすぐに自分を見詰める瞳は澄んでいて。
両脇に咲く白蓮の花がイルカの罪なき身の潔白を告げているようだった。
罪を償わせようと画策する自分の方が、酷く卑しい存在ように思えた。
その時イルカに手を伸ばし、己が負わせた傷跡を思わず指先でたどってしまったのは、何処かそんな後ろめたい気持ちがあったからだろう。未熟さは罪だ。大賀を殺したのは罪だ。イルカに後ろめたさを感じる事なぞ、何も無いと思うのに。
躊躇いが、消えない。
だからイルカが男達に茂みに引き摺り込まれた時、カカシは歓喜した。

俺が手を下さなくても、他の奴らが断罪してくれる…
他の奴らがイルカは罪に塗れているのだと証明してくれる。
俺を、安心させてくれる。

そんな卑怯な気持ちで木の上から傍観していた。
しかしそれも上手く行かなかった。イルカが殴られているうちはまだよかった。
暴力がやがて陵辱に代わり、擦り付けられるグロテスクな陰茎に、目縁を涙で濡らすイルカの姿を見た瞬間。
例え様も無い憤怒に湧き立ち、頭の中が真っ白になった。

許せない。イルカを弄る男達が、堪らなく。

ただその思いだけがあった。その怒りに衝き動かされるがままに、カカシは地面に降り立っていた。
助けるつもりなんかなかったのに。涙に濡れるイルカを見ていられなかった。誰かに泣かされるイルカを。
そんな自分自身に苛々しながら、カカシは茫然とするイルカに向かって手を伸ばした。
瞬間ビクリと体を震わせ、その腕を拒むように身を引くイルカに苦々しさを覚える。何処か疼くような胸の痛みも。
「ほら、立って。」
カカシは構わずにイルカの手を引き立ち上がらせると、肌蹴た衣服を整えてやった。
イルカは茫然自失の状態でされるがままになっていた。
しかしカカシがその体を強引に背負うと、
「え…?あ…っ、」
吃驚したように初めて反応を見せた。
「あ、あの、俺…」
「黙って、」
カカシは苛々とイルカの言葉を遮った。
イルカが何を言いたいかなんて決まっている。
『どうして自分を助けたのか。憎んでいるのではなかったのか。』
その答えもカカシ自身も知らない。

誰かに泣かされるくらいなら、俺が泣かせた方がいい。

ただ、そう思っただけだ。
イルカはこうも訊くだろう。
『自分を背負って、何処へ行くつもりなのか。』
面倒なので答える気にもならない。

何処へ行くのか分かったら、この人暴れるかもだし。

カカシは押し黙ったまま、イルカを背負って歩いた。イルカは暫しの間それでも「あの…」と口をもごもごさせていたが、カカシの頑なな態度に諦めたのか、大人しくカカシの背中に身を預けてホウッと溜息をついた。
それは酷く安心したような、そんな溜息だった。
微かに空気を揺らすだけの、その吐息にカカシの心は滑稽なほど揺らめいた。

あんたに怪我を負わせた男の背中で、安心してるなんて…馬鹿だねえ、

呆れながらも、どうしてだろう泣きたいような気持ちになる。

どんなつもりで助けたか、分かったもんじゃないのに…

イルカが身を預ける背中が熱い。指先が、熱い。カカシは自分の胸の奥がどこかぎゅっと締め付けられるのを感じた。
嬉しい、と思っていた。自分の背中で安堵するイルカを嬉しいと。
それに気付いた時、カカシは何となく分かったような気がした。自分がどうしたいのか。

俺は探していたんだ、きっと…

カカシはそこから一番近い自分の住処の一つまで黙々と歩き、そこに着くと、沸かした湯でイルカの体を汚す血や精液を丁寧に拭ってやった。そしてその後抉られた傷跡の手当てをした。イルカはそれを不思議そうな顔をして見詰めていた。何かを問いたげなその唇が開くより早く、カカシが言った。
「俺、これから任務なの。」
それは本当だった。
「四日後には戻ってくるから…五日後の朝、あんた慰霊碑の前で俺を待っていてくれる?」
カカシの突然の申し出にイルカが吃驚した様な顔をする。
だがカカシの中ではそれは突然でも何でもなかった。
「慰霊碑の…大賀の前で、俺と一緒に手を合わせて?」
そんな事くらいで何かが変わるとは思えない。だけど。

許したいと思っていたんだ…ずっと。
イルカを許す理由を、ずっと探していた…

そんな自分の心に気付いてしまった。
「そこで…大賀が死んだ時の事を詳しく聞かせて…お願い…」

封印されたあんたの真実が。懺悔がききたい。
俺にあんたを許す、切っ掛けを頂戴。

イルカは暫くの間カカシの顔を困惑したように見詰めていたが、意を決したように、やがて小さくコクリと頷いた。




しかし五日後慰霊碑の前にイルカは現れなかった。
イルカへの暴行事件を知った火影が心配して、イルカを遠方の長期任務に命じたのだと。
カカシが知ったのはずっと後のことだった。



続く