(6)

「あ、イルカ先生来てくれたんだ〜。」

病院の特別病室のベッドの上で、カカシは満面の笑みを浮かべてイルカを迎えた。その案外元気そうな様子にイルカは拍子抜けした。
イルカは病院に着くと何の事情の説明もないまま、取り合えずカカシの病室に通された。そんな状態でのカカシとの再会に、イルカは戸惑いのようなものを感じていた。アスマや火影の話では、カカシが何か退引きならない事態に陥っているような、大層深刻な様子だった。カカシの身に何が起こったのか、一体今どうなっているのか。イルカは考えただけでも不安な気持ちになったが、今目の前にいるカカシはいつもと同じ様に見える。何処か腑に落ちないものを感じながらも、イルカはホッと安堵の溜息を吐いた。
元気そうですね、とイルカが言葉にしようとした時、カカシが情けなさそうに眉尻を下げて笑った。

「あ〜・・・、格好悪いでしょう?俺・・・・。正直言うとね、幾ら愛しのイルカ先生でも、今はまだ会いたくなかったなあ・・・・。」

 会いたくなかったと言われて、イルカは思いの外自分が傷ついてるのを感じた。さっきまでカカシの身を案じてうろたえていた自分が滑稽に思える。そんな自分を悟られまいと、イルカはわざと辛辣な口調で言った。

「俺だって会いたくて来たわけじゃありません・・・・火影様に呼ばれて仕方なく・・・・。」

「うん、分かってます・・・あんたが来たのはあの狸爺の仕業だって・・・俺が言ってるのはそういうことじゃなくて・・・折角久し振りの逢瀬だっていうのに、俺、あんたを抱き締めることもできない・・・それって蛇の生殺しも同然デショ?」

余計辛いです〜、といつもの間延びした口調でほざくカカシに、イルカは心底呆れた顔をした。

火影様もアスマ先生も一体何を心配してるんだか。別に変わったところはないじゃないか。

こうしたカカシの悪戯けた態度が原因で、前回気まずいまま別れたというのに、カカシは何と懲りない人なのだろうか。イルカは心配して気に病んでいた分、怒りのような感情が湧き上がるのを感じた。

「カカシ先生、逢瀬だの何だのって何馬鹿な事言ってるんです?それに抱き締めるって何ですか!?そんな事しないで欲しいって、この前も言ったばか、り・・・だっ・・・」

思いのままに張り上げた怒声は、しかし言葉途中で弱々しく力を失った。カカシがベッドの上に横たわったまま、イルカに一生懸命手を伸ばしていた。それはまさに一生懸命と言う形容にふさわしい様子だった。カカシの手は大きく震え、緩慢な動きで伸びてくる。途中で何度も力が抜けたように、手が上下に大きく振れた。カカシは眉根を寄せて、きつく歯を食いしばっていた。その手に、渾身の力を込めているのだとイルカは思った。ベッドの傍らに座るイルカの頬に、ようやくカカシの腕が届いた時には、カカシはうっすらと汗をかいていた。

「カ・・・カシ先生・・・?」

イルカの声は動揺に掠れていた。カカシは震える指先で何度かイルカの頬を撫でると、満足したようにその腕から力を抜いた。突然だらりと落ちる腕に、イルカは言いようの無い不安が押し寄せるのを感じた。

「・・・今はこれで精一杯。ね?俺、情けないでしょう・・・?」

カカシは言いながら困ったように笑った。

「俺の身体、どうしちゃったんでしょうね・・・はやく治してまたイルカ先生といちゃいちゃしたいなあ・・・・」

カカシの言葉にイルカは胸にひやりとしたものを感じた。まるで心臓に冷たい刃が突きつけられているようだ。アスマは1カ月前にカカシが戦場で倒れたといっていた。外傷もなく、チャクラ切れでもなく。それなのにカカシは1カ月経った今もベッドに縫い止められたまま、手さえ満足に動かすことが出来ない。異常な事態だった。そんな事はありえない。イルカは火影やアスマの困惑っと焦燥が、今は手に取るように理解できた。

「カカシ先生・・・・」

イルカは何と言ってよいか分からず、その先を続けられないでいた。気休めを言ってみたところで、自分の身体のことはカカシ本人が一番分かっていることだろう。二人の間に落ちた沈黙に、イルカはどうしたらよいか分からず視線を彷徨わせた。その時、先ほど伸ばされた右手とは反対の、左手の先に違和感を覚えた。

何だろう・・・?

イルカが目を凝らしてよく見ると、左手の薬指の第二関節から上の部分が欠損していることに気付いた。その事に気付いた時、イルカは自分の心臓が突然ドクドクと早鐘を打つのを感じた。形の無い不安がイルカの胸を塞いでいく。一体自分はどうしてしまったのかと、イルカは訳の分からない感覚に狼狽した。
しかも実際はイルカはその感覚に覚えがあった。あの夢だ。あの夢を見た後の感覚に似ている。イルカの背中を冷や汗が流れては落ちる。
どうしてだろう。この指先が、欠損した指先が怖いと思う。怖いと思うのに、同じくらい陶然としたものを感じる。何処か狂気じみている。何処か正気じゃない。何故こんなに激しく心を乱されるのか。

イルカのあまりに落ち着かない様子に、「イルカ先生・・・?」とカカシが怪訝な声を上げる。

「カカシ先生・・・これは・・・この左手の薬指はどうしたんですか・・・?」

イルカは聞いても仕方がないようなことを、つい口にしてしまっていた。

カカシもその問に特に驚いた風でもなく、

「ああ・・・いつも義指をはめているから、イルカ先生は知らなかったか・・・」と答えた。

「これはね、古傷ですから心配無用です。十年位前ですかねぇ・・・戦場で失ったんです。まあ、大して支障はないんですけどね・・・。」

十年位前に戦場で、とイルカは小さく繰り返して、僅かな符合にまた胸を波立たせる。頭がガンガンと痛んだ。痛む頭の奥で何かを訴える声がする。 その声を聞き取ることが出来ないのに、身体は心得たように、イルカの意思を無視して勝手に動いた。

次の瞬間イルカはカカシの左手を握り寄せ、その欠損した指先に口付けていた。

口付けながら、イルカは自分のその振る舞いに恐れ戦いていた。何故そんなことをしているのか、自分で自分自身が信じられなかった。何度も押し付けられる唇に、カカシが苦しげな表情を浮かべた。

「あの〜・・・すっごく嬉しいんですけど・・・今は拷問でしかないんですけど・・・」

茶化すように言っているものの、吐き出される言葉は切ない溜息のようだった。
イルカはハッとして唇を離すと、何故こんなことをと激しい動揺に顔を茹蛸のように赤くした。

「そ、それでいいんです、これはあんたの日頃の行いに対する、俺の嫌がらせです・・・!」

言い訳の仕様がなくて、イルカは適当にそんなことを言った。

カカシは瞬間ぽかんとしながら、

「辛いような気持ちいいような、随分とSMちっくな嫌がらせですね〜」と嬉しそうに言って、またイルカの不興を買った。

いつものように軽口を叩くカカシに何処か安心しながらも、握り返すことのないカカシの手に、イルカはそれ以上の不安を感じていた。

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