(3)

「イルカ先生、今晩は。随分と帰りが遅いんですね。」

残業を終えて、アカデミーの門を通り抜けたところで、イルカはいきなり呼び止められた。その声の主にイルカは多少の驚きを感じながら振り向いた。

「カカシ先生・・・任務に出たんじゃなかったんですか・・・?どうしたんです、こんなに遅く・・・」

言ってしまってから、イルカは内心でしまったと舌打ちした。こんなに遅くどうしたかなんて、また不快な戯言で茶化されるに決まっている。貴方を待ってただの、好きだの、いつもの調子で。カカシが返事をしないうちに、その言葉を予測してイルカは思わず顔を顰めた。続いて零れた深い溜息に、カカシは情けなさそうに眉尻を下げて苦笑した。

「イルカ先生の言う通り、俺、これから任務なんです。実は長くかかりそうなんで・・・出発前にどうしてももう一度、イルカ先生に会っておきたいなあと思って。イルカ先生を待ってたんです。途中まで一緒に帰ってもいいですか・・・?」

珍しくイルカの返事を伺うカカシに、イルカは「はぁ・・・?」と間の抜けた声を上げてしまった。カカシがそんな殊勝なことを言うのははじめてではないだろうか。カカシの今までの傍若無人さを思うと、何を今更と呆れた気持ちになった。しかし、カカシに背負われた旅支度の荷物がこれからの長期任務をイルカに嫌でも意識させる。立つ鳥後を濁さずという言葉がイルカの脳裏に浮かんだ。難しい任務なのだろうか。帰還の目途のない任務だからこそ、カカシはこうして自分を待っていたのではないか。今までの自分への非礼を清算する為に。咄嗟に思いついた不吉な考えにイルカは身震いした。馬鹿なことをと、カカシの顔をちらと見遣ると、存外真摯な眼差しに射竦められて、イルカはドキリと心臓を跳ねさせた。

あんなに過ぎる悪ふざけに悩んでいたのに。

我ながら甘いなぁ、とイルカは思いながらも、「ええ、いいですよ。」と答えた。カカシの帰還が覚束無いものならば、自分も心を塞ぐもやもやを吐き出して、カカシとの関係を改めたいと思っていた。カカシの事を忍として尊敬をしている。九尾の狐憑きのナルトに分け隔てなく接してくれる、数少ない人物でもある。できることならば、友好的な関係を保っていたい相手だ。今ならばカカシに言えそうな気がしていた。

どんな言葉で伝えればいいかな。

月明かりを道しるべに、暗い夜道をカカシと肩を並べて歩きながら、イルカは眉間に皺を寄せて考えていた。「ふざけんな!」「いい加減にしろ!」等と罵倒の言葉は数限りなく、カカシに浴びせかけてきたイルカだったが、そうした行為に傷ついている心情を吐露したことはなかった。その心情を一笑に付されたら、更に傷つくことが分かっていたからだ。今ならばそんな自分の心情をカカシに分かってもらえると思うのに、いざ言葉にしようと思うと案外難しい。イルカがウンウンと唸っていると、隣を歩いていたカカシが「今日は星が綺麗ですよ、イルカ先生。」と夜空を仰ぎ見た。

「えっ?あ、あぁ・・・そうですね・・・」

イルカはカカシの言葉に、慌てて同じ様に空を仰ぎ見ながら相槌を打った。思いがけず見上げた夜空は満天の星が瞬き、黒い絹の上をうねる光沢のように輝いていた。一瞬心に思い煩っていたことをも忘れ、イルカは足を止めて暫し夜空の美しさに見入っていた。

「本当に綺麗ですね・・・!」

満面の笑顔で夜空を見上げるイルカの隣で、カカシが囁くようにそれに応えた。

天翔ける神馬の足元を照らす星の瞬きも、イルカ先生の瞳の輝きには遥かに及ばない・・・流石木の葉のアイドル、笑顔のナイチンゲール・・・!貴方の瞳に乾杯☆

はあ・・・?

イルカは恥ずかしい台詞に鳥肌を立てながら、今まで通りのカカシの軽い調子に愕然とした。胡乱な目つきでイルカがじっと見つめると、「そんなに熱い瞳で見つめないでくださいよ〜」と自分勝手にカカシが爆走する。今イルカの目の前にいるのは、いつものカカシだった。

この期に及んで、またおちゃらけて・・・カカシ先生は俺を馬鹿にするために来たのか・・・!?

怒りと失望のようなものを感じながら、イルカは自分の浅はかさを呪った。カカシがいつもと違うなんてどうして思ったのだろう。全ては俺の思い違いだったのだ。情けない。全く自分は何時までたっても、この上忍にいい様に遊ばれて。一喜一憂して。本当に情けない。

「好きですよ、イルカ先生・・・」

伸ばされたカカシの手を力一杯叩き落すと、イルカは怒りのままに叫んでいた。今まで言わなかったようなことも全部。

「あんたは・・・っそうやっていつもいつも俺のことをからかって・・・!俺をからかうのは楽しいですか・・・?あんたの一言で赤くなったり青くなったり、慌てふためく俺を見るのはそんなにおもしろいですか・・・?もう、いい加減にしてください・・・!!俺はあんたのことを尊敬してました・・・忍として・・・ナルトの教官として・・・そんなあんたに軽んじられると正直俺は辛いんです・・・!正面切って詰られるより辛い・・・もう俺を・・・」

怒鳴り声は最後の方は、とても小さな呟きのようなものになっていた。

「これ以上惨めにしないでください・・・俺に・・・構わないでください・・・」

言った。言ってしまった。俺の情けない本音を。

イルカは言ってしまってから激しく後悔した。きっと今からカカシの口から紡がれる言葉に、自分は酷く傷つくことになるだろう。きっとカカシは興醒めしたとばかりに呆れたような調子で言うのだろう。

イルカ先生、そんなに向きにならないでよ。これは冗談なんだから。

悪びれた様子もなく、薄い笑みさえ浮かべながら。

カカシの顔を見るのが怖くて俯いたままでいると、何故かカカシも黙ったままだった。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

気まずい沈黙が二人の間に落ち、イルカは居た堪れない気持ちになって益々顔が上げられない。するとピー・・・ッとどこか遠くから微かな笛の音が聞こえてきた。召集の合図だとイルカにもすぐに分かった。

こ、こんな中途半端なままで、終わりなのか・・・!?

思わず顔を上げてしまったイルカの瞳に、困ったようにガシガシと銀髪を掻くカカシの姿が映った。

「・・・困りましたね〜、もう行かなくちゃいけない時間です。」

イルカは何と答えていいかわからず、黙ったままでいると、カカシが情けなさそうに笑った。

「えーとね、イルカ先生?俺はあんたのことをからかってなんかいませんよ・・・いつも言ってるでしょう。好きですって・・・言ってるでしょう?どうしたらあんたに伝わるのかなあ・・・どうしたら信じてもらえるの・・・?」

笑っているのに、カカシの瞳の奥に寂しい色が滲んで揺れていた。また自分の思い違いだとイルカは思うのに、その瞳にイルカは激しく動揺した。何故か自分の方が酷いことをしているような後ろめたい気持ちになった。何でそんなことをと思うのに、イルカは居た堪れなくて思わず視線を逸らしてしまった。

「好きです、イルカ先生。」

カカシの言葉にイルカは俯いたまま答えた。

「信じられません・・・」

さっきまであんな軽口を叩いておいて、今はまるでしおらしい子供のような口調で縋る。信じられない。何もかも。

カカシがもう一度何か言いたげに唇を震わせたが、再び響き渡る笛の音がそれを遮った。俯いたままのイルカの耳元に僅かに砂を蹴る音が聞こえて、はっと視線を戻すと、もうそこにはカカシの姿がなかった。気まずい別れにイルカは脱力してその場にぺたんと座り込んだ。

笛の音に弾かれて、イルカが顔を上げた時、
カカシは笑いながら。
泣きそうな、顔をしていた。

でもだからといって。

「信じられるかっていうんだよ・・・」

漏らした言葉は吐息と共に白く濁って夜に溶けた。
酷く憂鬱な気分だった。

翌日同盟国3国が手を組んで、火の国に反旗を翻した事実が里中に知らされた。まだ交渉が続いているらしいが、均衡は危うい状態で保たれているらしかった。3国は小国ながらも手を組まれたら侮れない戦力になる。戦争の火蓋はまだ切って落とされてはいないが、開戦したら第三次忍界大戦とまではいかないまでも、稀に見る大規模な戦になることは言わずと知れた。開戦を止めるべく秘密部隊が派遣されたとも聞いた。遂行の難しい任務だとも。

その部隊にカカシの名前があった。

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