(29)

・・・カカシは・・・あの時の・・・あの雪の日の少年だったのか。

俺は病院のベッドで横たわるカカシの傍らで、血の気のない白蝋の如きその顔を見詰めながら、ぼんやりと考えていた。

戦場で瀕死の重傷を負ったカカシと衰弱しきった俺は辛くも後続の味方部隊に発見され、そのまま木の葉の里へ強制送還された。カカシの大怪我に戦線の部隊も木の葉の里の上層部も上を下への大騒動となった。そしてこの時になって初めて、俺の存在の有害性について真剣に取り沙汰にされた。皆泡を食ったようにカカシの元を訪れては、傍らにいる俺に詰問した。

隊長の任務遂行の邪魔になるような真似をして、それでお前は平気なのか。
今がどういう時期なのかわかっているのか。
お前には自らの命を賭して、里の為になろうという気概はないのか。

それを耳にした時の、腹の底から湧き上がって来る憤りは生半可なものじゃなかった。里の為にという大義名分の元に、既に全てを投げ出していた。全てを投げ出すことを強要されていた。そうしてカカシに人身御供として俺を易々と差し出しておいて、結果上手くいかない責任を俺に擦り付ける。

これ以上どうしろと言うんだ。進んで自害しろとでも?

人とは思えない扱いに憤りながらも、俺は何処か他人事のようにそれを受け止めていた。何を言っても無駄だと思っていた。また里が押し付ける紙切れ一枚で俺の行く先は決まってしまうのだ。勝手にしろ、と俺は煩い外野に心の中で唾を吐いた。

カカシの容態は一進一退し、時に微かに目を開けるようなことはあっても、はっきりと意識の戻る事はなかった。
俺はその傍らで一日中、何もせずにぼんやりと過ごしていた。鞭打たれた傷は完全に癒えてはおらず、体はまだ疲弊を引き摺ったままだったが、戦場ではない場所ではそれでも何とか事足りていた。

一体何時までこうしていられるんだろう。
俺はカカシから引き離されるのだろうか。

ピクリとも動かぬカカシの閉じられた双眸を見詰めながら、まるで死んでいるようだと俺は思った。

あの時も死んでいるのかと思った。
あの時も。脇腹に大怪我を負っていた。傷口から流れ落ちた夥しいまでの赤い血が、白一色の世界に鮮烈な色を添えていた。目を閉じたまま身動ぎ一つしない少年の姿に俺の不安は掻き立てられた。
強くなる雪を巻き込んでビョウビョウと唸る風が、まるで冷たく孤独な死を迎えた少年を葬送しているようだった。

その子に息があると知って・・・・心底嬉しかったっけ・・・。

俺は思い出しながら小さく口元に笑みを浮かべて、しかしすぐに顔を歪めた。膝の上で握り締めた手が小刻みに震えていた。

あの時少年は死に掛けていた。俺は助けたい一心で手を伸ばした。 それが最良の方法だと信じて疑わなかった。

だけどあの時少年は・・・カカシは・・・

俺は堪らずにギュッと目を瞑った。幾度となくその事を考えていた。意識のないカカシの姿を見詰めながら、毎日繰り返し。
そして何度考えても行き着く答えは同じだった。

あの時カカシは死にたがっていたのだ。

辿り着いたその事実に、俺は思わず震える手のひらで自分の顔を覆った。鼻の上の古傷がズキズキと痛んで熱を帯びているような錯覚がしていた。

俺もあんたが憎い・・・

カカシの言葉が俺の頭の中で木霊する。

死のうとする心を引きとめられる苦しみ・・・それがどんなに残酷か・・・・俺を引き止めたのはあんただ・・・

言いながらカカシは苦痛に満ちた顔をしていた。俺の何がカカシを引き止めたのか分からない。だがあの時、俺は確かに引き止めたのだ、カカシを。俺がカカシに雪山で引き止められた時と同じように。

死を求めるほど耐え難い現実に連れ戻され、カカシは絶望していたのだろうか。
俺がそう感じていたように、カカシも。

だからカカシはあの時俺に刃を向けたのだろうか。計り知れない絶望と憤りに衝き動かされて。

カカシの自分に対する憎悪の理由が分かったような気がした。カカシは確かに自分を憎んでいるのだ。
それなのに。それははっきりしているのに。

どうして俺のマフラーなんかを持ち歩いていたんだ・・・あんな・・・草臥れてボロボロなものを・・・・

包帯を探して弄ったホルダーの中に、それはきちんと畳んで仕舞われていた。まるで大事なもののように、そっと。
よく分からなかった。カカシの考えている事が。よく分からないのにその事を考えると胸が震えた。

あの戦場で俺はそのボロ布のごときマフラーを止血に使おうとして、結局使わずにもとの場所に戻した。
取り出した時と同じように丁寧に畳んで。
仕舞いながら俺は痛む胸に我慢できずに涙を零していた。

「うぅ・・・っ・・・く・・・ふぅ・・・・っ」

何故胸が痛むのか。何故泣いているのかわからなかった。
ただ俺はそのマフラー以外、もう何もカカシに与えられるものはないだろうと感じていた。

ずっと昔に自分からカカシに許したマフラー。それ以外はもう何も。

俺はその時のことを思いながら、また込み上げてくる何かを必死に遣り込めていると、病室の扉がガチャリと突然開いた。
俺がはっとして視線を向けると、そこには火影様の姿があった。いつものように硝煙と血の臭いをさせて。

「ほ、火影様・・・戦場から戻られたんですか・・・?」

俺の言葉には答えず、火影様は寝たきりのカカシの姿をちらと見遣った後、徐に言った。

「カカシに関して事の次第は聞いた。イルカよ・・・これはお前がカカシと離れることができるいい機会かもしれん。上層部も今ならばそれについて異議を唱えることはない。お前が望むならすぐさま正式に手続きを取ろう。どうじゃ?」

俺は突然の火影様の申し出に息を呑んでいた。

 

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