(25)

死に場所を探していた。俺は無意識の内に。
白く穢れの無い夜の雪山を彷徨いながら、己の死ぬべき場所を。
この美しい静謐な世界に埋もれて、雪の冷たさが齎す緩慢で穏やかなる死を願って。
俺は疲弊していたが、解放を求めていたのではなかった。
自分を衝き動かす思いは唯一つ。

カカシに殺される。

そうした強迫観念からだった。耐え難かった。心と体だけではなく、命までも弄ばれる事が。

カカシにくれてやる命は無い。

俺はそう思っていた。それは全てを俺から奪う男に対する最後の、そして最大限の抵抗だった。

 

ヒラマサの一件以来、俺はカカシを甘んじて受け入れる事はなくなっていた。いつも死ぬほど抵抗した。
それに対してカカシもまた死ぬほど俺を鞭打った。情け容赦は一切無かった。
限度を超えた加虐に痛覚は麻痺して、俺はいつも朦朧とした意識の中で鞭の振るわれる音を何処か遠くに聞いていた。
体の感覚と抵抗を奪った後で、カカシは俺を抱いた。
ぐったりと力なく弛緩した、裂けた傷跡から零れる血で赤く濡れた体を。俺の肌の上を辿るカカシの唇が、指先が。そして合わせた胸が。俺の流す鮮血で赤く染まっていく。その姿をぼんやりと瞳に映しながら、鬼のようだと俺は思った。
衰弱しきった体はカカシの愛撫に何の反応も示さず、快楽は勿論苦痛さえも感じなかった。何もかもが麻痺していた。
激しく穿たれている最中に俺はいつも気を失った。その度ごとに、

このまま死んでしまうのかもしれない。

薄れ行く意識の中で俺はそう感じた。危懼でも何でもなく、それは真実であり現実であった。
畢竟、例え明日目覚めたとしても、こうした行為の果てに待っているのは死でしかなかった。いつか自分は目覚めぬままの日がやって来る。カカシに屈しない限り、カカシが俺を苛む手は止まらないだろうと分かっていた。俺は自分の体の限界を感じていた。
実際カカシは抗う俺を苛む手を止めはしなかった。
それなのに意識を失った俺が次に目覚めると、裂けた傷跡には治療が施され、使い回しではない真っ白な包帯が丁寧に体に巻かれていた。傍らにはカカシが座って、こちらをじっと見詰めていた。カカシは俺の髪に触れていた手をそっと離すと、化膿止めと鎮痛の薬を飲むように言った。差し出された錠剤とコップ一杯の水に俺はカッとして、咄嗟にそれを払いのけていた。
地面に転り落ちたコップから、ばしゃりと水が零れる音がした。
それを見てもカカシは無表情なままだった。
腹立たしかった。何もかもが。
残虐な行為の合間に気紛れに与えられる気遣いが、優しさが。全て疎ましかった。
それで埋め合わせているつもりか。俺は心の中で叫んだ。
自分にも温情はあるのだと、真っ当な人間を気取るつもりか。良心が疼くとでもいいたいのか。

それともそれくらいで俺が従順になるとでも?
馬鹿にしやがって。

俺は自分の体に巻かれた包帯を素早く解くと、処置された傷の上に爪を立て、見せ付けるように抉った。

「あんた、何やってんの!?」

カカシは一瞬息を詰めて驚いたように叫んだ。すぐさま傷を抉る俺の手を掴み止め、そのまま力任せに捩じり上げる。近くで見るカカシの瞳は怒りに燃え滾っていた。締め付けられた俺の手首がギチと嫌な音を立てる。その痛みに俺は呻きながらも、負けじとカカシを睨みつけて言った。

「あんたから・・・・優しさなんて、いらない。」

その言葉に俺の手を掴むカカシの手にぐっと力が籠もった。

「う・・・っ」

折られる・・・・!

軋む骨に覚悟して、無様に叫ばないようにときつく歯を食いしばった瞬間、カカシが不意に俺の手を離した。その事に俺が僅かながら吃驚していると、カカシが救急箱から新しい包帯を取り出し、呆然とする俺の体に再び包帯を巻き始めた。俺はハッとして、

「止めろ・・・離せ・・・っ!」

まるで子供のように手足をジタバタと暴れさせた。しかしカカシはそれを物ともせず、力で押さえつけて強引に包帯を巻いた。
俺はまたすぐに包帯を解いてやった。俺は何度も解き、カカシもまた何度も巻き直した。
馬鹿げた事をしていると思った。子供染みている。
それでも俺はムキになって包帯を解き続けた。カカシも途中で放り出したりしなかった。黙ったまま辛抱強く解けた包帯を巻き直す。

どうしてカカシがこんなことに付き合っているのか分からなかった。
どうして鞭で打たないのかと思った。

一体どうして。

我武者羅に包帯を解く手元がぶれて見えた。

「・・・う・・・・くっ・・・・・」

俺は何時の間にか涙を零していた。頬を伝い落ちる熱い滴の感触に俺は身を震わせた。自分が何故泣いているのか、よく分からなかった。

悔しいからだろうか。違う。それとはもっと別の・・・・何か。

自分でもそれが何なのかよく分からない。よく分からないけれど無性に悲しかった。

「う・・・うぅ・・・っ・・・く・・・・」

解け掛かった包帯を掴んだままの俺の手をカカシはそっとどけて、また包帯を巻き直した。
そして涙を流す俺をどうするでもなく、静かに天幕を出て行った。
一人きりにされるのは随分と久しくない事だった。俺はよく分からないまま、ずっと泣き続けた。
その涙は暫くの間ずっと止まらなかった。

 

それでも俺はカカシに組み敷かれる度に抵抗し続けた。カカシもまた俺を手酷く扱うことをやめることはなかった。そしてその後手当てする事も。 与えられる暴力に回復が追い付かず、俺はどんどん衰弱していった。戦場よりも強烈に死を意識した。

このままでは殺される。こんな奴の手の中で死にたくない。

俺は漠然と、しかし心に強くそんなことを思っていた。けれどもカカシの束縛と監視はきつく、俺はどうすることもできなかった。そんなある日、どうしても寝床から起き上がることができなくなった俺を、カカシは遂に連れて行くことを諦め天幕に残したまま戦場に出たことがあった。その日は久し振りによく眠れた。次に目覚めた時はもう夜で、よく寝た所為か、何とか起き上がれる程度になっていた。天幕にまだカカシの姿はなく、戦いが長引いているようだった。俺は外の空気が吸いたくなって、のろのろと起き上がり、天幕から一歩外に出た。外に出ると空からちらちらと白い雪が舞い落ちていた。

雪の中だから帰還に手間取っているのか。

そんなことを思いながらじっと白い雪を見詰めていたら、おいで、と誘うように雪が呼んでいる気がした。
その時どうしようもない衝動が込み上げてきて、俺はふらふらと足を踏み出していた。

今しか機会はない。

一瞬の逡巡もなく、俺は天幕を後にしていた。

 

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