(22)

一晩中の激しい情交の所為か、翌朝未だ寝床から起き出さぬカカシの傍らをそっと離れ、俺は軋む体を叱咤しながら天幕を抜け出した。末兵用の朝の炊き出しの前で顔を合わせたヒラマサは、俺の姿を見るなり嫌悪に顔を歪め露骨に視線を逸らした。ヒラマサ、と俺は勇気を振り絞ってその名前を呼んだ。薬の効果が切れるまで快楽を貪った体はガタガタで、近寄る足元も覚束無く、途切れぬ嬌声に痛んだ喉にその声は掠れてさえいた。だけど俺は分かって欲しかった。昨夜の俺は違う。あれは本当の姿じゃないと。答えない背中に俺はもう一度声を掛ける。

「ヒラマサ、」

震える俺の声に答えたのはヒラマサではなく、周りでそれを見ていた他の奴らの野次だった。ピューと揶揄するように口笛を吹き、よ、色男、オカマ野郎に言い寄られてんのか、減るもんじゃなし掘ってやったらどうだ、とにやにやと笑いながら下賎な言葉で囃し立てる。俺はその声に硬直して暫し動けなくなってしまった。ヒラマサは背を向けたまま振り返る事もなく、俺から遠ざかって行く。俺はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。

ヒラマサに俺の話を聞いて欲しい。しかしこれ以上引き止めたらヒラマサが皆に・・・・。

そう思いながらも俺はふらふらとその背中を追っていた。

友達だって言ってくれた。俺の噂を知っても友達だって。だからきっと・・・分かってくれる・・・・

俺は掛ける言葉もなく、思わずヒラマサのその肩に手を伸ばす。手を伸ばして。引き止めて。俺の話を。
しかし俺の手がヒラマサの肩に触れた瞬間、振り向き様に物凄い勢いでその手を払われた。咄嗟の出来事にガタガタだった俺の体は踏ん張る事もできずに無様に尻餅をつく。何が起こったか分からず呆然とする俺の頭上から忌々しげな声が降って来た。

「友達面するな・・・・変態野郎が・・・・!」

続けてヒラマサは地面を掘るように蹴りつけ、座り込んだままの俺に砂を浴びせ掛けた。その光景に周囲でどっと笑い声が上がるのが聞こえた。俺は砂を払うのも忘れ、その場に固まったままだった。何か言葉にしたいのに震える唇はだらしなく開いたままで何も言う事ができない。

俺なんと言うつもりだったのか。

考えていた筈の言葉は跡形も無く消え去っていた。頭は真っ白で、何も考えられないのに。全ての感覚が麻痺してしまったかのようなのに。

胸だけが。酷く、痛くて。

俺の目の奥からぐっと熱く痺れるような感覚が襲ってくる。情けないと思うのにそれを俺は堪え切れなかった。隠す事すら忘れた涙が俺の視界をぼんやりと滲ませた、まさにその時。
卑下た笑いで騒がしかったその場が突然しんと静まり返った。凍りついた雰囲気に温度を下げるその中を、誰かが何の躊躇いも無く淀みない足取りで近付いてくる。姿を見なくても俺にはそれが誰なのか分かっていた。足音は俺の傍らで止まり、見下ろす影が苛立たしげに舌打ちしながら、座ったままの俺を無理矢理引っ張り上げる。

「・・・・何で泥だらけなわけ・・・・?」

脅しにも似た怒りを孕んだ声。その声の主はカカシだった。徐に振り上げられたカカシの手に、叩かれると思わず目を瞑った瞬間、下りて来た手が少し乱暴に俺に掛かった砂を振り払った。俺はそんなカカシの気遣わしげな振る舞いに吃驚して目を見開く。瞳に捕らえたカカシの表情は見たことのないものだった。
怒っているような。苦しいような。そして何処か悲しんでいるかのような。

俺を責めるような顔。

俺はその顔に突然喩え様のない苛立ちを覚えた。何故そんな顔をされなければいけないのか。
カカシはもう一度俺に向かってゆっくりと言った。

「何で、泥だらけなの・・・・?」

その言葉に顔色を失くすヒラマサの顔が見える。心なしか体も震えているようだ。その時になって、ああ、そうかと俺はようやく気付いた。催淫剤で乱れる俺の痴態をヒラマサに見せ付けるだけでは気が済まず、俺の口から泥を掛けたのがヒラマサだと告白させ、徹底的に友情を叩き潰す気なのだ。

どうしてそこまでされなくてはいけないのか。

俺は今更ながらに沸き立つ激しい憎悪に強く拳を握った。

何もかも。全てを明け渡さないと気が済まないのか。
そんな俺を責める様な顔をして。僅かばかりの安寧を求める、そんな資格すらないと俺を蔑んでいるのか。
虫けらのように全てを踏み潰してもいいと。

何で泥だらけなのか、とカカシは言った。そんなの決まってる。
ヒラマサが俺を侮蔑の目で見詰め、俺に砂を蹴り掛けたのは。その原因は。

「・・・・俺が泥だらけなのは・・・・」

俺の言葉にヒラマサが戦慄く姿を目の端に止めて、俺は悲しみに顔を歪めた。いつかまたヒラマサが俺の肩を叩き、俺があいつの顔に拳骨をお見舞いする。そんな日が帰ってくるといい。失ってしまったとは思いたくなかった。

だから俺は言った。

「あんたの所為ですよ。俺が泥だらけなのは・・・・あんたの。」

いい様俺はカカシの顔に唾を吐きかけていた。

 

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