(20)

「イルカ、久し振り。」

呼びかけられて俺はハッとした。任務先で俺に話しかける物好きはいなかった。カカシが俺に乱暴しようとした輩を切り刻んで、再起不能にした事は遍く知れ渡っていた。俺にちょっかいを出していると勘違いされる事を皆恐れていた。それで無くても俺は皆から男に媚びる嫌らしい奴だと軽蔑され孤立していた。

それなのに、一体何処のどいつが。

振り向いた俺の目に懐かしい姿が映る。自分に向けられた屈託の無い笑顔に俺は瞠目した。

「ヒラマサ・・・・」

呆然と呟く俺に「アカデミー卒業以来だな・・・・元気だったか?」とヒラマサは頭を掻く。
両親を失ってから淋しさ紛れによく馬鹿をやっていた頃。同じように馬鹿な事をして悪戯けあったアカデミーの旧友。
ヒラマサは教職希望の俺とは違い、卒業後すぐに中忍に昇格し外回りの任務に就いた実戦派の忍だ。選んだ道の違いから卒業後顔を合わせる機会がなかった。それがまさかこんな所で再会しようとは。
固まったままの俺に、今日この戦線に合流したのだとヒラマサは告げた。言いながら俺を見つめる瞳に曇りはなく、俺は酷く狼狽した。そんな風に普通に接してくれる他人に久しく出会っていなかった。

ヒラマサは俺の・・・・俺の噂を知らないんだろうか・・・・?

再会の喜びよりも不安の方が勝っていた。

もしこんなところを誰かに見られたら。俺なんかと親しく話しているところを見られてしまったら。
ヒラマサにまで火の粉が降り掛かってしまう。ヒラマサはきっと好奇の色眼鏡で見られ、嫌な思いをするに違いない。

俺は慌てて周囲に視線を走らせた。少し離れたところでカカシが部隊の小隊長達を集めて作戦の確認をしている。密談めいたその場所に他に人の影は見当たらないが、小隊長の一人に何か耳打ちされながらもカカシがこちらを冷淡な瞳で見詰めているのが分かった。俺はぎくりとしてカカシから視線を逸らすと、ヒラマサに向かって小声で言った。

「ヒ、ヒラマサ・・・・俺・・・・俺なんかに話しかけちゃ、駄目だ・・・・・っ」

おどおどと顔を俯ける俺は何と惨めで滑稽なのだろうか。
本当は。元気だったかと俺も言いたかった。どうしてたのかと肩を叩いて。あの頃は馬鹿な事したよな、と笑い合いたかった。
そんな普通の事さえ自分にはもう許されていないと感じていた。
だがそれをどうやってヒラマサに伝えたらいいのだろうか。ヒラマサは知らないのだろうか。今の俺の状況を。

知られたくない。

俺は知らずぎゅっと拳を握っていた。 知られたくなかった。俺のこの情けない姿を。自分を見詰めるその曇りのない瞳が侮蔑の色に取って代わるのを、見たくなかった。
思いながらも俺は静かに首を横に振る。ヒラマサが知らないなんて、そんな事はありえなかった。いつだって俺とカカシとの関係は噂の的なのだから。

それなのに話しかけてくれたのか・・・・
一体どうして・・・・どうして自分から火の粉を被るような真似を・・・・?

訝しむ俺の心を見透かしたようにヒラマサがわざとおどけたように肩を竦め、苦笑を浮かべた。

「おいおい、何て顔してるんだよ?感動の再会にシケた面すんなよ。それに友達に会ったら声を掛ける、基本だろ?」

友達、と俺は馬鹿のように小さく繰り返した。

友達と、思ってくれているのか。全てを知った上でも尚。

「お・・・・俺・・・・・」

答えた声は上擦っていた。ぐっと胸に競り上がってきた熱い塊に目頭も熱くなる。何もかも失くしてしまったと思っていた。里に贄として差し出された時から。俺自身も何もかも諦めてしまっていた。でもまだ俺にも残されていた。残されているものはあったのだ。どんなにささやかなものであっても、それは何と俺を安堵させるのだろう。はっきりと言葉にしなくても、ヒラマサの変わらぬ態度に俺はその気遣いを感じ取る事が出来た。体を震わせ言葉に詰まる俺の肩をヒラマサがポンポンと叩いた。イルカ、そんなに俺に会えて嬉しいか、と軽口を叩くヒラマサに、ぬかせ、と俺は笑ってその顔面に拳骨をお見舞いした。ずっと以前によくそうしたように。笑ったのは久し振りだった。
その時「あ、」と小さく呟いて、ヒラマサが急に顔色を変えた。
え、と思った瞬間、背中越しに肩を掴まれた。力の込められた指先が容赦なく肩に食い込む。凄まじい痛みに顔を歪めながらも俺は後ろを振り返らなかった。振り返らなくてもそれが誰なのか分かっていた。俺にそんな事をするのは一人しかいない。

「何?この人知り合い?」

更に力の込められる手に、俺は思わず呻き声を上げそうになるのを必死で堪えながら、無言のまま頷いた。ヒラマサはヒラマサで、「本日からこちらの戦線に合流しました、第十七部隊の山葵ヒラマサです。宜しくお願いいたします!」と慇懃に挨拶した。カカシはふうん、とヒラマサのことを値踏みするような目つきでじろじろと眺めながら、突然愛想のよい笑みを浮かべた。とても綺麗な微笑だった。

「・・・・よろしくね?」

柔かな口調で語られたその言葉にヒラマサは感激したような顔をしていた。
その優しげな声の裏に、俺はどこか禍々しいものを感じて背筋を凍らせていた。 

 

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