(12)

カカシの容態はそれでも少しずつではあるが、快方へ向かっていた。
その証拠にイルカが見舞いに訪れるようになって一週間も過ぎると、ベッドから自力で起き上がったりする事が出来るようになった。手の自由もかなり利くようになり、カカシは始終その指先を開いたり閉じたりして、早く勘を取り戻そうと必死のようだった。

「随分と良くなりましたねぇ・・・・」

イルカが安心したように目を細めると、

「イルカ先生が毎日来てくれるからですよ〜やっぱり愛のなせる業ですかねぇ〜?」とカカシが嬉しそうに笑った。

「またそういう事を・・・・・」

イルカは顔を顰めながらも、何となくいつも通りの調子が出ない。本当ならカカシのふざけた言動に怒鳴り散らしているところだが、今のイルカといえば、曖昧に語尾をぼかして視線を避けるように俯いたりなんかしている。少しばかり挙動不審だとイルカも自覚しているが、どうにもならない。ここのところずっとそうだった。あの夢を見て以来、ずっと。

俺がカカシ先生を憎んでいたなんて・・・・・

しかも自分はおそらく雪山へ死に場所を探して彷徨っていたのだ。カカシから逃げるために。どうしてなんだろう、とイルカは思う。どうして自分はカカシから逃げたかったのだろうと。幾ら心の中を捜してみても、その理由は見当たらない。失くした記憶の中にしかその答えはないのだろうか。

だけど・・・・過去がどうであれ、今の俺はカカシ先生のことをそんな風に思っちゃいないし・・・・ それどころか俺はカカシ先生の事を気に掛けている・・・・こんな風に毎日見舞いに来てしまうほど・・・・・

かつての自分がカカシを憎悪していたと思い出した後、心の中に何処か納得できない違和感を感じた。そしてその時ようやく気付いたのだ。カカシの悪戯た言動が癇に障ったのも、それでもその関係を修復したいと思ったのも。こんなに体の容態が気になるのも。それは自分がカカシに好意を抱いているに他ならないからだと。その好意がどういった類のものか今一つ判然としないのは、カカシに感じている好意が今まで経験した事のないような形容し難いものだからだ。

この感情は記憶を呼び戻したら消えてしまうものなんだろうか・・・・?
そしてまた俺はカカシ先生を憎む事になるのだろうか・・・・?

イルカが沈んだ様子でじっと黙っていると、カカシが困った様な顔をして小さく笑った。

「このところ、イルカ先生元気ないみたい・・・・・どうかしたんですか?俺の体の回復に影響するんですよね〜・・・・ほらほら笑ってくださいよー!じゃないと、俺、何時まで経っても寝たきりですよう〜!」

カカシは趣味の悪い冗談を言いながら、自由になった手で早速こちょこちょとイルカの脇腹を擽ろうとする。

「な・・・っ、何すんですかっ!?」イルカが顔を赤くして慌ててその手から飛び退くと、カカシが不満そうに口を尖らせた。

「え〜・・・・だってイルカ先生の笑顔が俺の特効薬なのに・・・・どうすればアナタは笑ってくれますか?笑ってください、俺のために!!俺の愛のために・・・・!!」

イルカ先生〜〜〜〜!!と回復途中の体の機能を無駄に全て駆使して、呆気に取られるイルカの体をぎゅむっとカカシが抱き込んだ。ついでに久し振りのイルカを確かめるように、首筋に鼻先を押し付けてクンクンと臭いを嗅ぐ。

「あ〜・・・・イルカ先生の臭い・・・・安心するー・・・・」

うっとりと呟くカカシに、イルカは羞恥のあまり頭から湯気の出る思いがした。

「こ、こらこらこら〜〜〜〜〜っっっ!!!!なななな、何やってんですかっ!?は、離して下さい・・・・!」

力一杯抵抗したいが、カカシの体の具合が気になって押し返す手にイルカは躊躇する。するとカカシは益々調子付いて、イルカを抱き締める手に力をこめた。

「イルカ先生・・・・あの〜・・・笑顔もいいんですけどね、キスだともっと元気が出るんですが〜!」何処までも調子に乗る男の息は、既にハアハアと怪しく上がっている。

「はぁ!?」イルカは身の危険を察知して、思わず変な叫び声を上げる。

その瞬間突如としてガバと迫ってきた突き出された唇に、流石のイルカも最早気を遣う何処ろの話ではない。堪忍袋の緒がぶちっと切れた。

「ふ・・・っふざけんなーーーー!!!!嫌だって言ってるだろうが・・・・・!!そこで正座〜!!!!」

ぐいっと押し返すと、まだ完全に回復していないカカシは面白いほど簡単に引き剥がす事ができた。

「あんたはもう・・・・!!すぐ調子に乗って。そういうところが嫌だって言ってるんですよ!大体俺はカカシ先生の気持ちとやらをまだ信じたわけじゃありませんからね!何事にも手順があるでしょうが、手順が!!」

烈火のごとく怒り捲くるイルカの姿を、カカシが嬉しそうにニコニコとみつめる。それに気付くと、イルカはまた急速に怒りがしぼんでいくのを感じた。同時に自分に対する情けなさが募る。

まただ・・・・俺が沈んだ顔をしてるから・・・・きっとカカシ先生はわざと・・・・・

どうして自分はいつもこうなんだとイルカは唇を噛む。そして、どうしていつもあんたはそうなんだと、揺れる瞳でカカシを見詰めた。それに気付いて慌てて神妙な顔をするカカシに、イルカはふと顔を緩めた。

「あ、イルカ先生、今笑いましたね!?」カカシがそれに気付いて、心底嬉しそうな声を上げた。

「嗚呼〜・・・やっぱりいいですねえ、イルカ先生の笑顔は・・・・!明日は俺、もっと元気になってますよ、きっと!イルカ先生、元気の出る微笑みをありがとうございます〜!」

「・・・・・全く・・・・あんたには負けますよ・・・・」

イルカは諦めたように嘆息すると、笑えばいいんでしょうとばかりに、にぱっと盛大に顔を綻ばせた。少しわざとらしい笑顔だったが仕方が無い。意識すると上手く笑えないものなのだ。それでも笑ってやってるんだから、感謝しやがれというくらいの気持ちだ。

「これだけ笑顔のサービスしたんですから、明日は歩けるくらいになってくださいよ・・・!」

照れ隠しにわざと憮然としながら言うイルカに、カカシは嬉しそうに笑った。

「・・・イルカ先生は俺のことふざけてるって言うけど・・・・俺はずっとこうしたいって思ってたんです・・・・馬鹿な事言って、あんたを笑わして、それを見て俺も笑って・・・・・そういう他愛のないことをずっと・・・・・」

カカシは言いながら、イルカの頬をそっと指先で撫でた。

「うん、あんたは笑ってるのがいいですね・・・・」

そう言ったカカシの顔が笑っていながら何処か寂しげで、イルカはどうしてだかわからないけれど、急に不安になった。

その時、どうか消えないで・・・・とカカシが小さく呟く声が聞こえたような気がした。

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