(11)

それは夢だった。始めのうちは確かに夢だと思っていた。

夢の中で俺は十かそこらの餓鬼だった。

雪が、降っていた。
はらはらと花びらの如く舞い落ちる雪を眺めながら、俺は雪に埋もれていた。
脇腹からは鮮血が零れ凍える身体は感覚を失い、俺は動く事ができなかった。
・・・・・・・いいや、違う。それは嘘だ。
動く事はできた。本当は。ただ動く気がなかっただけだ。
立ち止まった俺に追いついた疲労が俺を捕らえていた。俺の心も、身体も。

どうでもいい。

俺は思っていた。

どうでもいい。このまま雪に埋もれてしまっても。

何時何処で死のうと自分にとっては同じ事だった。
血風の舞う阿鼻地獄の戦場であっても。
何処か敬虔と畏怖を喚起する、この静かな純白の世界であっても。
死は姿を変えることなく自分の上に淡々と訪れる。

だから。
今終わって何が悪い。俺が終わりを決めて何が悪い。
他は一切、何も自分では決められないのだから。
決められた任務を決められたようにこなすだけなのだから。
終わりくらい自分で決めてもいいでしょ。

そう思いながら静かに目を閉じた時だった。雪をさくさくと踏み締める音が聞こえた。敵かと思ったが、それすらもどうでも良かった。このまま緩慢に死を迎えるよりは一思いにやられたほうが簡単な事のようにさえ思えた。 俺はもう終わろうと決めていた。俺という人生をやめてしまおうと。
しかし半分閉じた目の端に映った姿は、自分と同い年くらいの少年だった。俺の姿に大きく目を見開いた少年は、黒い瞳をしていた。それと同じ色をした髪が頭の高い位置で括られ、尻尾のように揺れていた。
なんだ、と俺は落胆した。敵じゃなかったのか。
少年は恐る恐る俺に近付いてくると、少し逡巡しながらも、大丈夫?と声を掛けてきた。
俺は応えなかった。放っておいて欲しかった。
応えない俺にしかし少年は更に近付いて、大丈夫?ともう一度繰り返した。その少年の気遣わしげな声は耳障りでしかなかった。死を迎え入れようとする自分を現実に引き戻す声。俺はまた黙ったままだった。
すると不意に少年が手を伸ばしてきた。俺は思わず反射的にその手を振り払っていた。他人に触られるのは嫌いだった。
少年は俺の咄嗟の行動にビクリと身を震わせながらも、ホッとしたように顔を綻ばせた。

良かった。生きてて。死んでるのかと思っちゃった。俺の父ちゃん呼んでくるから、ちょっと待ってて。

そう言って急いで走り去ろうとする少年の腕を、俺は掴み止めていた。余計な事を、と思っていた。この少年を口止めさせてこの場から追い払わねば。少年を拘束している手とは反対の手が、躊躇いなくホルダーの中のクナイを掴んだ瞬間、少年が突然俺の髪を撫でた。

「な・・・・何を・・・・・っ!?」

子供に子ども扱いされた気がして、俺はカッとして思わず声に出して叫んでしまっていた。その声に少年はまた吃驚した様な顔をしながらも、当たり前のことのように言った。

髪に雪が積もってたから、払ってあげようと思って。

そして次には無邪気な笑顔を見せる。

君の髪、雪で凍えて冬華が咲いてるみたいだ。白い花がとても綺麗。
でも冷たくて寒いでしょう?

少年は自分のしているマフラーを外し、俺の頭にふわりと被せた。このマフラーあげるよ、とその笑顔を崩さぬままに。

なんて暖かくて、そして残酷な笑顔。

俺は暫し呆然と少年を見詰めていた。俺に悪戯に温か味を与え、死への憧憬から俺を強烈に引き戻すその存在を。
何もなかった心に執着が芽生えた。この暖かな笑顔をもっと欲しいという執着が。それは空恐ろしいまでの感情だった。
しかし同時に少年に対し酷い憎しみが湧いた。
死にたいと思っていた心はその執着に引き止められ、疲れた心と身体に鞭打って、血塗られた世界へ戻る事を余儀なくさせる。

俺はまた血で血を洗うあの世界へ帰っていくのだ。俺が生きるという事はあの世界で生きるという事なのだから。
人を殺める苦悩と罪業を背負いながら、俺はこの少年を手に入れるためだけに生きるのだ。

少年にとっては、多分取るに足りないような優しさ。
だけど俺にとっては、それはとても。

あんたはその残酷な優しさで俺を引き止めたのだから、あんたも俺のために生きねばならない。
そして俺が生きる事によってこれから受ける苦しみを、あんたは近い将来償わなければならない。

俺はもう一度ホルダーに手を伸ばし、クナイをしっかりと握る。
俺を引き止める大罪の印を、痛みを以って少年に刻み込むために。
瞬間。迷うことなく振り上げた切っ先が少年の顔を大きく薙ぐ。

「ひああぁぁぁ・・・・・っ!?」

零れる鮮血と共に、少年が悲鳴を上げて顔を自分の手で押さえた。突然襲った痛みに身を震わせ、覆った指の間から怯えた少年の目が俺を覗き込んでいた。俺はそれに満足する。
その時、姿の見えない子供に父親が心配そうにその名を呼ぶのが聞こえた。

イルカ―――!もうすぐ日が暮れちまうぞ!早く出てこないと父ちゃん先に帰っちまうからな!鴉が鳴くから帰ろうっと!

イルカ。それは少年の名前だった。
イルカ。
・・・・イルカ・・・・?・・・・・違う、そんな筈はない。俺が知っているイルカはただ一人だ。
俺の知っているイルカは黒髪で、黒い瞳をして・・・・・馬鹿な。それでは全く同じじゃないか・・・・
同じ・・・そうだ同じだ。

その証があんなにもくっきりと鼻の上に残っている。
俺のつけた大罪の印が。

 「・・・・・・・っ!!」

カカシはあまりの驚愕に急激に眠りから目が覚めた。自分の心臓が煩いくらいドクドクと激しく鼓動を刻んでいた。

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