(10)

それは幻想的な夢だった。

深雪に埋もれる山が夜の闇の下にひっそりと清らかに蹲り、月明かりを受けて純潔の輝きを放っていた。
その中をイルカは当所も無く彷徨っていた。心ここにあらずといった様子で、覚束無い足取りをしていた。
斜面には冬華の咲く木々が白珊瑚の如くその枝を広げ、その先に続く、純白と静謐とが支配するシャングリ・ラへとイルカを導いているかのようだった。

どうして俺はあんなところを歩いているのか。

イルカは何処か遠くから自分の姿を見下ろし訝しむ。
あんな夜の雪山をひとりで。とても正気の沙汰とは思えない。一体どうしたのか。
それでもイルカは足を止めることなく、無目的に歩き続ける。何かにとり憑かれているかのようだ。
その姿にイルカは漠然とした不安を覚えた。

・・・・無目的に俺は歩いていたんだろうか・・・・?果たしてそうだっただろうか?

自分の心が何かを訴えて警鐘を鳴らす。これは夢である筈なのに、その続きをイルカは知っているような気がした。

そうだ・・・・確かに俺は正気じゃなかったのだ・・・・俺は疲れていた・・・酷く・・・・

何かに追い詰められていた。自分の精神を、身体を貪る悪鬼のような恐ろしき存在に。俺は酷く疲れていた。そうだ、あの時雪道を行きながら俺は探していたのだ。無意識の行動でありながら、俺は自覚していた。

そうだ、あの時俺は・・・・

思い出しそうになってイルカは恐れ戦く。怖い。思い出したくない。眼下では自分がまだ雪の中を黙々と歩いている。
その後を。その俺の後を誰かが。
銀の髪をした誰かがやって来る。

何処へ行くの?

男がわざと緩慢な動作で近付いてくる。表情はぼやけていながら、酷薄な笑みに吊り上る口の端が見えた。
俺は見つかってしまった驚きと恐怖と絶望に大きく目を見開き、逃げる事もできずに、ただただ身体を震わせているだけだった。

こんな夜中の雪山を一人で・・・・危ないでしょ。帰って来れなくなるよ。

男が殊更優しい猫撫で声で囁く。近付いてきた男の手が、イルカの肩をぐっと掴む。何気ないようでありながら骨をも軋ませるその手の力に、イルカは思わず呻き声を上げた。男は小さく笑いながら、

それとも、帰って来ないつもりだった?

と訊いた。それは問い掛けでありながら、それに対するイルカの返答を十分に分っているようだった。

あんた、死ぬつもりだった?そうなんでしょ?

黙ったままのイルカに男は先程までの猫撫で声とは打って変わって、冷淡に凄惨な声音で言った。

無理だよ、俺からは逃げられない。絶対にあんたを死なせない。

笑顔でありながら凶暴な猛りをその瞳に映す男の顔が、月明かりの下にはっきりと見えた。
イルカに絶望と恐怖と――――そして憎悪を齎す男の顔が。

冷たく輝く青い瞳の隣には異形の瞳が赤く滾っていた。銀の髪に薄く形の整った唇。とても美しい男。

その男はカカシ、だった。

「・・・・っんな・・・・馬鹿な・・・・・っ!!」

イルカは思わず絶叫してその自分の声で目が覚めた。体中にはぐっしょりと寝汗をかいていた。

「そんな・・・・馬鹿な・・・・」

イルカは荒く脈打つ胸にハアハアと息を乱しながら、呆然と呟いた。どうしてだかわからない。その理由を全て思い出したわけでない。しかしこれだけは事実だった。
どうして思い出したくないのか分った。自分を恐れさせる感情の正体が。

 

俺は・・・・カカシ先生を憎んでいたのだ。

 

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